不意に何か苦しくなるときがある、
対象を欠いていて、
原因がどこにも見当たらないような、
(しかし本当はとっくにその原因に気づいている)
そうした種類の重圧だ。
それはそれとして、
変わることがこうして、何かを産むと同時に、
確実に何かを、表情ひとつ変えずに、破壊してもいるのだから、
いつもそこに苦しさを感じる。
そうして目の前の暖かな光と、
その光が所詮は資本によって照らされただけの、
虚偽と欺瞞に満ちた、低劣な人工光源でしかないことを分かってしまっている冷たさが、
立ち止まらせてしまう。
どうせ玩具に過ぎないと分かっていて、
すぐに終わる子供騙しと知っていて、
それでも、それが必要なのである。
ひとつひとつ、こなしていけるように。
またいつか会えるように。