照明の当たるところを潜水して進んで行く。
光が射し込んできて、気泡と水の動きによってその光は、様々な方向へと輝きながら離散していく。
そんな些細な景色を見るためだけに、わざわざ潜水をしたのは、Mr.Childrenの「潜水」という曲を思い浮かべていたからだ。
それだから、「出来るだけ、遠くまで」潜水してみようとしていた。 ― もちろん、息は次第に苦しくなる。
ただ、水面の上に、呼吸をするために顔をあげる直前に、なにかそれ以上に綺麗な光景が見える気がしたのだ。
これが何かのメタファーといえるのかどうかはさておき、
深く潜っていくこと、そこに何かを求めることは、自分にとっては本質的な、
あるいは少なくとも、自分にとって大切な経験であり、方法であるように思う。
カントも言っている。
「藁はたやすく水の表面に浮遊するが、真珠を探し求めようとする者は水底深く潜行しなくてはならないであろう」(カント「風の理論」犬竹正幸訳『カント全集12 自然の形而上学』)