夜がきても
もう鳴くことはなかった
なにも食べず
なにも飲まず
その涙がしたたり落ちるとき
空が身を震わせるのがわかった


死んでしまったあとも
この悲しみを忘れられない
名を呼びつづけたことを忘れられない
歌っていたおまえ
呻いていたおまえ
心を焼き尽くす炎により
死んでいったおまえ


悲しい鳩のように
朝早くから歌っていた
誰もいないこの家で
すべての扉が開いたままの家で
あの鳩は
おまえの魂だったのだ
不幸せな女が戻ってくるのを待っていた鳩
ククルクク
ククルクク
何があってももう泣くな
鳩よ
おまえが恋について知りうることは
いったいなんだろうか




今日、観たのは、ペドロ・アルモドバル監督作品の2本立て。
「抱擁のかけら」と「トーク・トゥ・ハー」


「抱擁のかけら」は、主演のペネロペ・クルスが魅力的(映画の準備期間の半分を衣装合わせに費やし、監督自ら全てのアイテムを選んだという)だったけれど、それ以上に、謎解きのような構成に惹きこまれた。

映画を観る楽しみの一つが、別の場所で起こっていることや、過去の出来事など、最初はバラバラな事柄を頭の中で組み立てていく(組み立てさせられる)面白さかな。
中盤、もしくは終盤で繋がったところで、出だしのセリフの伏線に気づくのも。


様々な愛のかたち。


昨日の「アデル」と今日の「トーク・トゥ・ハー」、偶然にも、物語を動かしていく「愛」の、対象となる人物の状態が同じ。
描き方も、何もかも、両極端と言っていいほど違うのに。

昏睡状態・・・
「眠り姫」や「白雪姫」も、一種の昏睡状態だったのかな。

脳と心と精神と意識と魂と・・・
映画の本筋から離れて、考え込む。



幼い頃から、外を歩いている時などに、目も見えていて耳も聞こえていて足も動いていて、場合によっては会話もできるのに、自分がどこか遠くに行ってしまったような不思議な感覚に陥ることが、たまにあるのだけれど、今日は、映画館を出た後、駅までの道すがら、久々にこの感覚にとらわれた。
「トーク・トゥ・ハー」の印象が強烈だったのかも。



抱擁のかけら [DVD]/ペネロペ・クルス,ルイス・オマール,ブランカ・ポルティージョ


トーク・トゥ・ハー スタンダード・エディション [DVD]/レオノール・ワトリング,ハビエル・カマラ