前回、斎藤ひとりさんが「1に浄霊だよ」というのを書きました。

私は、今から十数年前まで古神道系の宗教に入信し、目に見えない存在とのふれあいや目に見えない世界のことについて学び、その一環として除霊もしていました。


一般的に除霊というと悪さをする霊を力で祓うというイメージをされると思います。

実際、そのような除霊をされている霊能者もいると思います。

「霊との戦い」ですよね!


そのような除霊だったら、かっこいいんですが、私が行っていた除霊は違っていました。


どこがちがうかっていうと、霊とコミュニケーションを取りながら、霊の種類や状態に応じた方法で対処していました。

どのような種類に霊をわけていたかというと、浮遊霊、地縛霊、先祖霊、因縁霊、動物霊、水子霊、生霊の他、龍とか天狗などの自然霊等々、細かく分類して、その状態も、普通、恨んでいる、救いを求めている等々、分類してました。

また、かわったケースとして、神仏の戒めというのもありました。

この神仏の戒めの例としては、家の隅にあった祠を改築のために取り壊す時に、お祓いも何もせずに取り壊し、祠にいた神仏が怒っている等々、神仏に対する礼節を怠った場合、戒めを受けたりしていました。

除霊をしていた当時、お稲荷さんは、お祭りするのを止めると、7代たたるというのを聞かされました。

真意の程は、よくわかりませんが、これも神仏の戒めの一種だと思っています。


これらのことを踏まえて障りを起こしている霊に対処していきます。


とはいっても、特別なことはしませんでした。

霊は、生きていた人が死んで霊になっています。

ですから、生きている人と同じように相手の生きていた時代を考慮しつつ対処していました。


自分が死んだ事すら知らないために浮遊霊や地縛霊になっていたら、神仏に死んだところを見せてもらい、死んだことをわからせ、霊が信心した仏さんがここに来て霊をあの世に連れて行くよう神様に祈り、それをみとどけました。


少し厄介だったのが、因縁霊といわれるもので、その家系に対して恨みをもっているケースでした。

また、大木を切ったり、古い井戸を埋めたり等々で自然霊が祟るというケースもまれですが、ありました。


このような恨みをかったような場合は、霊の苦しみをやわらげることをしました。

というのも、霊は死んだ時の痛みをもってて、その痛みが恨みの炎を燃やし続けさせているからです。

なので、痛みがあればそれを取り除くようにして、話しができるような状態まで霊をヒーリングします。

それから、恨んでいる霊に対して、因果応報ということを伝え、霊自身がそのような不運な目にあった原因が自らにあることをわからせ、恨みを水に流し、あの世に行くようさとしていきます。


というような感じで除霊をしていました。


相談者の先祖霊が子孫に救いを求めて現世に来ているケースもありました。

このような場合は、神様にお願いして、先祖霊の霊格を上げてもらい、居心地の良いあの世に移してもらうようにしました。


このときの、知識が、いま、シータヒーリングをするときに、役立っています。

シータヒーリングでは霊を光に還します。

私もシータヒーリングで霊を光に還していきますが、必要性に応じて、霊に対しヒーリングのエネルギーを送った後に、光に還したりしています。

リーディングで霊を見た時に恐れを感じないのは、むかし除霊を学んだ時に学習した思考があるからだと思います。


むかし除霊の技術を学ぶ時に、教わったのは、「霊は弱い」ということです。

生きている人は、霊体があり、神様に通じる魂があり、神様からエネルギーが無限に供給されているが、霊は、魂のない霊体だけの存在でエネルギーの供給がない。

生きている人が霊を恐れると、その恐れる心のエネルギーが、その霊に注がれ、その霊の力を強くしてしまう。

なので、恐れる心がでてきたら、イメージで自分の体を大きくして、自分の手のひらに蟻んこぐらいの大きさの霊がのってるところを描くように、教えられました。


斎藤ひとりさんが言うように、どんな人にも多かれ少なかれ霊はついてて、大なり小なり影響を与えていると思いますが、憑依されないかぎり、その影響は限定的で、人生上、重要な局面では守護天使や守護霊やガイドが導くので、道を踏み外すことはないと信じています。

つまり、人生上の大切な選択を間違う事はないと思います。

日々のこまかな、どちらでも良いような選択は間違うかもしれませんけど・・




どうしても霊の影響を受けたくないという方は、霊の存在を否定することです。

霊の存在を否定することで、霊とのつながりが断たれるため、こころに入り込む余地がなくなります。

なので「霊は存在しない!」と信じる事が霊の影響を受けない一番の方法かもって思います。