翡翠の巫女 松井久子 & 武司 です。
いつもご訪問いただき、ありがとうございます。
突然ですが、昨晩、僧侶が運転するバスに久子と武司が乗っている夢を見ました。
そのバスが、舗装されていない凸凹道を超高速で走り続けるのです。
わぁ!危ない!とひやっとする場所も、ものすごいハンドリングで切り抜けながらバスは進みます。
これまで徒歩でしか行けなかったような凸凹道を僧侶が運転するバスに乗ったおかげで、大通りまで連れ出していただけたのです。
危険な凸凹道を徒歩でゆく・・・
それは私たちのこれまでの道のりの歩き方そのものです。
ですが、ここから先は道開きの神様のご神徳により、安全な大通りに連れ出していただけるというお知らせだったのだと思います。
今、翡翠の巫女に流れてきている
この道開きの開運の運氣をブログの読者様にもお届けしなければと思い、ご報告させていただきました。
◆ 平安時代の公家や僧侶らがこぞって行った開運の秘儀「庚申待ち」をご一緒しませんか?
一年に6度だけ巡ってくる庚申の日はご存知でしょうか?
次回の庚申の日は、5月28日(月)に巡ってきます。
この日は「庚申待ち」と言って、
平安時代から公家や僧侶によって行われていた風習で、
強力な開運と厄難除去のため一晩中眠らずに夜を明かすのですが、
江戸時代にはこの庚申信仰が庶民にまで広がり、全国各地で盛んにおこなわれたそうです。
翡翠の巫女のサロンがある渋谷区笹塚の街にも、
庚申さまをお祀りしている小さな祠、「庚申塔(こうしんとう)」があちこちにあります。
翡翠の巫女が何年も通い続けている、こちらの庚申さまは、とても情深く接してくださいます。
笹塚の「庚申塔」には説明文が書かれています。
「庚申塔」
庚申の信仰は中国の道教思想に基づくもので、江戸時代に盛んになり、村の辻などに庚申供養塔が建てられました。
庚申信仰は、六十日ごとに巡りくる庚申の夜、眠り込んだ人の体内から三尸(さんし)と呼ばれる虫が出て、
天帝にその人の罪過を報告し、罰が下されるというもので、寝てはいけないと信じられていました。
庚申堂や当番の人の家に集まった村人たちは、一晩中勤行をして夜明けを待ちました。
その仲間を庚申講と呼んだのです。
庚申信仰は「猿」と「申(さる)」との混同から庚申の日に猿田彦神をまつるようになりました。
この庚申塔にも青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)の下に三匹の猿が掘ってあります。
(注:写真ではわかりにくいですが、見ざる言わざる聞かざるの姿が彫られています。)
ここにある庚申塔は、元禄十三年(1700)に立てられたものですが、付近の人びとによっていまでも大切に守られています。
渋谷区教育委員会
庚申待ちの日には、
身を清めて一晩中、寝ずに勤行を行ったそうですが、
他には宴会を行ったり、和歌を詠んだり等、
さまざまな遊びをしながら夜を明かした様子が
「源氏物語」「枕草子」「栄華物語」などにも描かれているようです。
庚申信仰は、比叡山の山王信仰と結びつき、山王権現の使者・猿=申という連想から庚申と結びついたとも考えられています。
三猿を三尸の虫になぞらえ、「見ざる・言わざる・聞かざる」で、天帝に罪を報告させない、という意味にも捉えられていたそうです。
翡翠の巫女では、平成30年5月28日の庚申の日に
かつての日本人がこぞって参加した庚申講を復活させます。
山王信仰の聖地である
東京赤坂 日枝神社
にて行われる道開きの特別祈祷を受けた後、
ホテルニューオータニの360度の展望レストランにて
直会(開運予祝の食事会)を行います。
夜通しの宴会ではありませんが、
平安時代の公家や僧侶たちが欠かさず行っていた開運の秘儀、庚申待ちの儀式を現代風に体験いたしましょう!
直会(開運予祝の食事会)は、
360度の展望が開けて、
どの方角にも一切の障害がなく、自由に羽ばたくことができるようにとの願いを込めて場所をお選びしました。
詳細はこちらからご確認ください。
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どうぞ、万障お繰り合わせのうえ、ご参加ください。
巫女体質のためのお清め教室|翡翠の巫女
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※ 2018年5月下旬の個人相談枠
東京都 19日、20日、21日、22日、23日