自己とは

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自身の身体を、無限宇宙と見做す。
そして、自己とは、その中の、小指のツメの、ひとつの細胞と見做す。
それだって大切だけど、
まぁ、なくても無限宇宙は困らない。
 
その細胞は、となりの細胞とある期間親しかった。
でも、それも時期が来れば、さようなら。
 
喧嘩をする間柄でも、同じこと。
 
セ・ラ・ヴィー、、、、、、、、、
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存在の力

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深夜、寝ている間、いろいろなことが頭に浮かびます。

昨晩は、

「存在の力」:

...

存在していなければ 
お金を得ることも
野球をすることもできない

存在していなければ
内省し 魂を磨くこともできず
愛を知ることもできない

人生における選択肢は無数にある
しかし
そのいずれもが、存在することを大前提としている。

一千億の銀河と一千億の恒星と惑星
この無限ともいいうる空間と
過去から未来までの
無限ともいいうる時間

この無限の時間・空間の交差する
この一点に
このわたしは 「存在」する。

非存在ではなく、存在することの
驚異と不思議。

この微細な一点に存在するからこそ
わたしには
無限の選択肢がある。

個人は その無限の選択肢の中から
多くの選択を 自由にできる。

すべては、非存在ではなく、
存在することから得られる事実。

存在することは、このような
限りない 「力」の源泉。

これを 「存在の力」と呼びたい。

存在の力は、困難や苦難から
自分を解放する可能性を
選び取ることができる。

せっかく 存在の力を
与えられているのだから

いかなる状況においても
わたしは、
前進する道を
断固として
選ぶのだ。

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イエスのこの矛盾・・・・
 
イエスは様々な奇跡を連発してきた。
しかし、あるとき、奇跡を起こせなくなって、民衆に罵倒された。
 
かたや、イエスは、「心から信じるならば、何でも実現する。」と言い切っている。
そして、ユダヤ教徒であるイエスの信じる旧約によれば、全ては言葉によって生まれたともある。
 
何故、苦しむ人のために、イエスは奇跡を起こせなくなったのか?
 
たぶん、誰も言わないだろうけれど、自分はこう考えて:
 
奇跡の連発は、人々が狭き門から入ることを避けることとなってしまう。人々は、広き門すなわち、楽を求めるから。
その結果は、最終的には、永遠の命と離れてしまう。
 
従って、イエスは、人々の自立を促し、永遠の命に導くために、あえて、奇跡を起こさなかった。
これが、大愛。
 
 
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