第5回 違憲審査基準の使い分け | 憲法の流儀~実学としての憲法解釈論~

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第5回 違憲審査基準の使い分け

1 必ず違憲審査基準を選択した「理由」を書く

 平成22年採点実感2頁には,次のような記述があります。
「幾つかの審査基準から,なぜ当該審査基準を選択するのか,その理由が説明されなければ」ならない。
 また,平成20年ヒアリング3頁には,司法試験は,「原則的な規範について,修正がきくかというのを問うている」という記述があります。
 ここから導かれるのは,まず,①原則的な規範を理由付きで理解し,次いで,②それを修正する理由を学ぶ必要があるということですね。大切なのは,相場観から外れるような審査基準,例えば,職業選択の自由や財産権,生存権につき,A厳格審査基準を適用するような答案を書かないことでしょう。また,必ず,原則的な規範を「理由」付きで説明すること,そこから修正するのであれば,その「理由」を説明することが肝要です。
何度もいうようでしつこいかもしれませんが,理由がなければ,答案としては知らない人と同じです。司法試験が書面審査であることを肝に銘じておいてください。

2 違憲審査基準の要素は保護の有無・程度×制限の有無・程度・態様×立法裁量の有無・程度

以上のように答案で論じるためには,違憲審査基準はどのような要素で決定されるのかを学ぶ必要があります。そこで,これらの要素を学んでいきましょう。

違憲審査基準を決める要素としては,主に次の3つの要素があげられます。

①憲法上の権利としての保護の有無・程度
②制限の有無・程度・態様
③立法裁量の有無・程度

 1つ1つ順番に検討しましょう。

(1) ①憲法上の権利としての有無・程度

まず,憲法上の権利として有無・程度を検討します。
ここでは,①-ⅰ憲法上の権利として保護されるか,①-ⅱ憲法上の権利としてどの程度保護されているか,の2つのステップを検討することになります。
①-ⅰ憲法上の権利として保護されるか否かは,明文の規定がある場合は,原則として問題になりませんね。
問題になるのは,明文の規定がない場合です。ここで,安易に13条後段の幸福追求権に飛びついてはいけません。「報道のための取材の自由」についても,憲法上は明文の規定はありませんよね。しかし,博多駅事件(最大判昭44・11・26刑集23-11-1490)【百選Ⅰ80】は,「憲法21条の精神に照らし,十分尊重に値いするもの」としています。このように,憲法上の明文の保障がなくとも,それに近い権利で保障されるかを検討する必要があるのです。憲法13条後段の幸福追求権は,最後の砦であるということを忘れないでください。
この点は意外と忘れがちですが,芦部憲法にもキチンとその旨の記載があります。「個別の人権を保障する条項との関係は,一般法と特別法との関係にあると解されるので,個別の人権が妥当しない場合にかぎって13条が適用される(補充的保障説)」(芦部119頁)。
なお,これ以上の議論については,第6回以降に「新しい人権」のところで検討する予定ですので,しばらくお待ちください。
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※5-1 某受験指導校は,2011年の全国模試において,思想を窺い知ることができる前科の照会がなされた事案において,単に前科であることに着目して,13条後段の幸福追求権に飛びついておりました。しかし,思想を窺い知ることができる時点で,19条の派性原理として導くべきでしょう。アルバイトのスタッフさんのレベルが知れますね。

①-ⅱ憲法上の権利としてどの程度保護されているかは,当該憲法上の権利が保障する行為の典型例と何が異なるかに着目して判断することになります。
例えば,上記の「報道のための取材の自由」は,博多駅事件によれば,憲法上の保障の程度は,「十分尊重に値するもの」というレベルにすぎませんね。同判決はその理由につき「報道機関の報道が正しい内容をもつため」という指摘しているように,取材の自由は表現行為そのものというより,表現内容の正確性を確保するための手段にすぎないとして位置付けているようです。
この点は,学説の有力な批判があるところですね。その理由は,「報道は,取材・編集・発表という一連の行為により成立するものであり,取材は,報道にとって不可欠の前提をなすこと」(芦部177~178頁)にあるのは,しっかりと押さえておいてくださいね。要するに,前提行為たる取材行為がなければ,表現活動もありえないわけですから,取材に自由についてもしっかりと満額の保障をしてください,ということです。

 以上の検討から,憲法上の権利として保障されなければ,基本的には,合理性の基準のような緩やかな基準が適用されることになるでしょう(え?保障されないのに憲法問題になるの?という方は,次回をお楽しみに!)。
また,保障されるとしても,「十分尊重に値する」レベルですと,厳格審査まで持ち込むことは難しいかもしれません。イメージとしては,一段階審査基準が下がるような感じですね。

(2) ②制限の有無・程度・態様

 次に,②憲法上の権利に対する制限の有無・程度・態様を検討します。
 まず,②-ⅰ制限の有無については,結局は,憲法上の権利の保障の有無と表裏一体の関係にあるため,厳密に分けて検討する必要はありません。詳しく知りたい方は,作法41~44頁・欄外番号226~231(特に,43~44頁・欄外番号230)を参照してください。

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 次に,②-ⅱ制限の程度を検討することになります。ここでは,「全面規制か一部規制か」という視点が重要です。例えば,薬事法事件判決(最大判昭和50・4・30民集29-4-572)【百選Ⅰ102】は,「一般に許可制は、単なる職業活動の内容及び態様に対する規制を超えて、狭義における職業の選択の自由そのものに制約を課するもので、職業の自由に対する強力な制限である」として,許可制=強力な制限という定式を確立しています。この判決は,許可制が営業の自由の制約にとどまらず,「職業の選択の自由そのものに制約を課する」という全面規制であるから,強力な制限であるとしているわけです。他方,いわゆる営業の自由の制限は,職業そのものに就くことは制限されていないわけですから,一部規制にとどまり,審査基準は下がることになるでしょう。そうすると,事案における争点は,事実上職業選択の自由を制限するか,職業遂行の自由に対する制限にすぎないのか,という点でしょう。実際に薬事法事件でも,このあたりが争点になっていますね(※5-2)。

※5-2 判決文のうち四(二)(1)「薬局の開設等の許可における適正配置規制は、設置場所の制限にとどまり、開業そのものが許されないこととなるものではない。しかしながら、薬局等を自己の職業として選択し、これを開業するにあたつては、経営上の採算のほか、諸般の生活上の条件を考慮し、自己の希望する開業場所を選択するのが通常であり、特定場所における開業の不能は開業そのものの断念にもつながりうるものであるから、前記のような開業場所の地域的制限は、実質的には職業選択の自由に対する大きな制約的効果を有するものである。」としている箇所です。国側から,特定場所における出店を制限するにすぎず,薬局という職業は選択できるため,職業選択の自由の問題ではなく,職業遂行の自由の問題にすぎない,という反論があったことがうかがえます。

 ②-ⅲ制限の態様についてですが,ア)直接・間接的・付随的規制,イ)事前・事後規制の分類が有益です。前者は,精神的自由で特に問題となります。

 ア)直接規制とは,「憲法上の権利の行使を規制することを目的とするもの」をいいます(読本81頁)。他方,間接的規制と付随的規制は,いっしょくたに「間接的・付随的規制」と理解する見解もありますが(読本81頁),ここでは次のように区別しておきます。すなわち,間接的規制とは,行動の結果としての弊害を直接的な規制対象とするものをいい,付随的規制とは,「意見とは異なる弊害の防止を狙った規制の結果,偶然的に意見表明の自由に制約が及んだこと」をいいます(宍戸39頁)。

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間接的規制と付随的規制の違いは,宍戸先生もおっしゃる通り,「かなり微妙です」。区別する方法としては,「表明される意見がもたらす弊害を防止するためにその意見の表明を制約するもの」(香城敏麿「政治的行為の規制に関する最高裁猿払事件」『憲法解釈の法理』(信山社,2004年)59頁)であるならば,直接規制です。そうではなく,「表明される意見の内容とは無関係に,これに伴う行動がもたらす弊害を防止することを目的とするもの」の場合,当該自由の制約が当然予定されているならば間接的規制となり,当該自由の制約など予定しておらずたまたま制約されたといえるならば付随的規制となります。ビラ貼を禁止する条例に対する法令違憲の主張は間接的規制,ビラのために住居へ立ち入った場合の住居侵入罪に対する法令違憲の主張は付随的規制ということになるでしょう。
 直接規制の場合は,審査基準は厳しめのものになるでしょう。他方,間接的規制の場合,「行動の結果としての弊害が直接的な規制対象だから,意見表明の自由の不利益の程度は小さいはず」(宍戸39頁)ですから,審査基準も1つくらい下がるでしょう。また,付随的規制の場合,偶然に規制されたにすぎないわけですから,不利益の程度はもっと小さいといえ,審査基準はさらに下がるでしょう。

なお,精神的自由の場合,これらの直接・間接的・付随的規制というベクトルの他に,内容着目・内容中立規制という別のベクトルを観念しております。詳しくは,表現の自由のところで扱いますが,簡単に違いを説明しておきましょう。内容着目規制とは,当該法律の適用対象が特定の表現・思想・学問等に限定されている規制を指します。内容中立規制とは,表現等の内容にかかわりなく,すべての表現活動等にあまねく適用される規制を指します。
以上の2つのベクトルをまとめると,下記の表のようになります(審査基準は,表現の自由のところで解説します。)(※5-3)。

第5回規制類型論

しっかりと理解するために,具体的に考えてみましょう。ここでのポイントは,法令違憲の主張と処分(適用)違憲の主張とでは,同一事例であっても,上記の規制類型の評価が異なる可能性があるということです。
【例1】ポルノ映画館を小学校の近くに建築することはできないという規制は,いうまでもなく内容着目規制ですね。その上で,当該規制がポルノ弾圧という目的なのか,善良な風俗を本当に保護する目的なのかで,直接規制か間接的規制が区別されると考えています。立法経緯を見て,どちらの目的であるかが争点になるでしょう。
【例2】立川反戦ビラ事件のように,反戦ビラを配布するために,敷地内に進入したところ,住居侵入罪で起訴されたという事例の場合,法令違憲の主張として,住居侵入罪そのものが憲法21条1項に違反すると主張した場合,同罪はすべての表現活動に適用されますから,内容中立規制ですね。また,同罪は,当然に表現行為に適用されることが包含されているとはいえない規制ですから,付随的規制といえます。もっとも,処分(適用)違憲の主張の場合,本当に内容中立規制,直接規制といえるかが争点になります。具体的には,ピザ屋のビラ,他の政治ビラについては起訴されていないならば,内容着目規制である疑いが生じますね。また,配布態様も,散らかすようにばらまくわけではなく,しっかりとポストに投函しているのであれば,住居の平穏が害されているとはいえませんから,住居の平穏を保護するための間接的規制である,とはいえず,直接規制と評価する方が素直です。

※5-3 以上のように,私は,直接規制,間接的規制,付随的規制の関係は,それぞれ独立の守備範囲を有していると考えております。すなわち,直接規制かつ付随的規制,というのはあり得ず,必ず3つのいずれか1つに分類できると考えております。この点の私の見解は,小山先生と考えの異なるところです。小山先生は,①行為内容自体の害悪に着目した規制,②生命,健康,財産保護など,表現内容・職業内容中立的な目的から行う規制,③ある特定の法益を保護するために,その法益を害するおよそあらゆる行為を禁止する規制が,表現行為や職業活動に対しても及ぶ場合の3つに分類し,①②が直接規制であり,③のみが直接規制かつ付随的規制であると考えております(作法36~37頁・欄外番号219)。その上で,間接的規制は,①~③とは異なる類型であり,「≪宗教法人に対する解散命令は,宗教的結社の自由を直接制限するものではなく,また信徒の自由を直接に制限するものではない≫という場合」に限られるとしています。私の見解ですと,小山先生の②は内容中立規制という別のベクトルの問題であり,①が間接的規制,③が付随的規制,直接規制は①~③の分類とは別モノとなります。このあたりは議論が錯綜しておりますので,どの見解でもいいでしょう。私の概念は1つの試案にすぎませんが,筋としては通っているはずです(論点教室94頁以下「13間接的制約・付随的制約」[曽我部真裕]がよく整理されていますが,私の見解とは異なります。)。
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 イ)最後に,事前・事後規制です。事前規制とは「憲法上保護された自由の行使に先立ち国家権力がそれを規制する場合」をいい,事後規制とは「自由の行使によって現実に弊害が発生した後に法的責任を追及する場合」をいいます(宍戸42~43頁)。
事前規制の方が,審査基準が高くなります。その理由は,第1に予測に基づいて制約する点,第2に「裁判所によって司法的に権利自由のコントロールがなされる」(法学教会編『註解日本国憲法上巻』(有斐閣,1953年)295頁)点にあります。特に,第2の点が重要です。要するに,事前規制であると,行政権がその要件該当性を判断することになる点で,司法権威よる手続の適正よりは劣ると判断せざるを得ません。ですから,事前規制であっても,司法権による判断がなされるならば,違憲の疑いはある程度緩和されるわけですね。

(3) ③立法裁量の有無・程度

③立法裁量の有無・程度については,司法府と立法府のどちらに委ねることが適切かを検討することになります。
第1回で指摘したとおり,違憲審査権は、我が国が採用している原則である「民主主義を覆すもの」です。ですから,民主主義で解決できること,民主主義の方が利害調整に適しているものは,立法府に委ねるべきです。具体的には,社会権との調整問題が生じる経済的自由権に対する制約や,そもそも憲法から原則形態を導くことができない抽象的権利(財産権の他,生存権などの請求権)等は,立法裁量による解決の方が適切でしょう。
他方,民主主義に委ねると救済されないものは,司法府たる裁判所が積極的に立法判断に介入する必要があります。この点につき,元最高裁裁判官である泉徳治先生も同様の指摘をしております。曰く,「①基本的人権のコアをなす精神的自由(思想・良心・信教・表現などの自由),②民主的政治過程(知る権利,集会・結社・言論・出版の自由,平等な選挙権),③社会的に分離し孤立した少数者の権利――の3つの分野では,これらを制約する立法などの合憲性審査には,司法が一歩前に出て,厳格な違憲審査基準か,少なくとも厳格な合理性の基準をもって臨むべきです。これらの権利の用語は,司法でなければできないことであり,司法の役割であります。」とあります(山田隆司著『最高裁の違憲判決―「伝家の宝刀」をなぜ抜かないのか』(光文社新書,2012年)292頁)。
これらの権利は,それぞれ①民主制に参加する自律した個人の基盤たる条件であること,②民主制に過程を構築するものであること,③民主制では救済が期待できないことから,立法裁量に委ねることは危険でしょう。
実は,皆さんがお馴染みの「二重の基準論」は,この立法裁量論に位置づけられることになります。二重の基準論とは,「精神的自由は立憲民主政の政治過程にとって不可欠の権利であるから,それは経済的自由に比べて優越的地位を占めるとし,したがって,人権を規制する法律の違憲審査にあたって,経済的自由の規制立法に関して適用される「合理性」の基準は,精神的自由の規制立法については妥当せず,より厳格な基準によって審査されなければならないとする理論」です(芦部103頁)。その根拠として,第1に精神的自由の優越的地位(実体的価値論),第2に裁判所の役割・能力論(民主的政治過程論・司法能力限界論)があげられます(論点教室17頁[松本哲治])。しかし,私は,第1の理由には賛同できません。なぜなら,いずれの憲法上の権利も自己実現の価値を有するからです。精神的自由権に特有の価値は,自己統治の価値にすぎず,当該価値は,第2の裁判所の役割論として説明することが可能です(読本76~77頁参照)。

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 立法裁量が認められるならば,自然と審査基準は下がり,厳格審査の可能性が排除されてしまいます。ただし,場合によっては,中間審査に持ち込むことは不可能ではありませんので,必ずしも緩やかな基準になるわけではありません。他方,立法裁量が認められず,むしろ裁判所が介入すべきであるならば,厳格審査の道が開かれます。もっとも,憲法上の権利における検討や規制類型論の検討で,審査基準が中間審査以下に落ちることは十分あり得ます。

3 小括
 
 以上,おおまかな使い分けのイメージを描いておきました。どの基準をいかなる場合に適用するべきか,という議論は,各論に譲ります。今回は,どのような点が争点になりそうか,という観点から,しっかり押さえておいてください。
ただし,あまりにもシステマチックに硬直的に捉えるのは,絶対にやめてください。あくまでも,しっかりと答案で論じるための思考ツールとして学習してください。こんなところに時間をかけるより,枠組み論をマスターして,個別的・具体的に論じる方がよっぽど大切ですから。

まとめ
・審査基準を決定する要因は,①憲法上の権利としての保護の有無・程度,②制限の有無・程度・態様,③立法裁量の有無・程度の3つである
・①保護の有無・程度の判断には,当該権利が保障する典型例との異同に着目する
・②-ⅱ制限の程度は,全部規制か一部規制かをしっかり論じる
・②-ⅲ制限の態様では,ア)直接・間接的・付随的の区別をしっかり論じる。特に,本当は直接規制ではないか,という疑いも忘れずに。
・②-ⅲ制限の態様では,イ)事前規制に該当するならば,司法権による行政権のチェックがあるかを検討する
・③立法裁量の有無・程度では,立法府に委ねるべきかという観点で論じる。特に,①精神的自由,②民主制的政治過程,③社会的に分離し孤立した少数者の権利は,立法府に委ねるべきではない。


次回予告
第6回は,「憲法上の権利の基本」です。お楽しみに。