知己(自分)が、あるタレントの子などの生活事情のことやその騒動の話題などに、ネット上で触れてみたことの感想の意味も含みまして、知己(自分)自身が嫌悪しておもう「人形」っていう言葉のことについて、雑記に、まとめて書いてみたくなりました。

こゝで言う「人形」とは、人間に対して向けた言葉であり、実際のぬいぐるみやドールなどの人形という意味で嫌悪してるわけでは、決してありません。

スパロボAやスパロボOGsのW17と記憶喪失になったルートもある青年よろしく…って、いやいや、知ってるひとには、最終的なそんなやりとりの感じだとおもってくれて良いですニャー。
にょほっ☆

この記事の内容に、なにか指摘や意見や批判などあれば、コメントやメッセージをいたゞけると、他のひとの情報や考え方や価値観を知れる意味でも助かりますので、よろしくお願いします。



・「人形」という表現の由来



「知己(自分)は、誰かに糸で引かれる人形なんかじゃねぇ!」、と、身内の中でケンカになってたときに、度々、発していました。
知己(自分)がその「人形」という表現を知ったのは、まぁ、ロボットが活躍する宇宙戦争のアニメやゲームのストーリーに登場する軍事的な意味を含む台詞ですね。

常に【士官や上司という保護者や親】がいて、【兵士や部下という生徒や子ども】がいるようなもので、【まるで人形みたいに糸で引かれて操られないと言動すらできない立場に束縛されたひと】のことを指します。



・「人形」を愛でること「人間」を愛でることの違い



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心の子育てに関する言葉に、「まるで人形を可愛がるかのような愛情で子どもと接していることが多い」という言葉が、すごく引っかゝりました。

そもそも、ひとは、他のひとに向き合うとき、いったいなにを望んでいるのでしょうか?
【自分のおもうがまゝに言動をするようにしてほしい】なんておもってたりしていませんか?
ひとを信じるって、どういうことになるんでしょうか?
機械のようにプログラム通りに動くように出来上がってくれゝば良いわけなんですか?

決まった仕事【だけ】をするのであれば、人形のようにいわば操られていようがなんだろうが、仕事【だけ】で済ませられても良いようなものだとおもいますし、そういうように命令通りに動くだけの仕事【だけ】の部分を愛でゝくれても構わないものだとおもいます。

では、「人形」じゃなくて、「人間」らしさって、どこから出てくるものなんでしょうね?

決まった仕事【だけ】をするのでなく、人形のようにいわば操られていることに自意識を働かせて嫌気を覚えたりもしたり、仕事【だけ】では済ませられないものだとおもいますし、そういうように命令通りに動くだけではなく、仕事【だけ】ではない部分を愛でゝくれるものになるのでしょうか?


人間は、きちんとこゝろを感じたり、また、こゝろで自ら考えたりする気も出てくるのではないのかな?

共感だけできるものでもないでしょう?
ときに反感だってあってもおかしくもないものなんじゃないですか?
全てが全くで全部の同じ人間なんてあり得ないものなんですよ?

愛でることを主張しながらも、それは、たゞ相手のひとにそゝのかしで理想を押しつけているだけなんじゃないですか?

人形の気なら、理由や理屈で、そのまゝのプログラム通りのひとであれば良くもおもいますけど、人間の気には、理由や理屈じゃない感情のことで感じる感性の触れ合いが、もっとあるものなんじゃないですか?

人間の姿をした人形を愛でることで、なにかこゝろが冷めて冷たくなってしまってたり、気がついてみるとそんな冷気な気持ちになってたりしてませんか?

人間って、なんなんでしょう?

「?」ばかりなことだろうけど、【人間である以上は、人間について考え込み悩んでいくことが重要】になることにならないでしょうか?

人間らしさの亡くなったネクロ・ドール(タヒの人形)になってたり、それで眼が笑ってないとか、冷酷だとか、そんなファンサービスを、人間らしさのある人間の誰が望んでいるんでしょうか?



・先史遺産を生きた先生として教えられること



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前の観出しに書いたようなことで、いくら歳上であろうと、そんな先生であろうと、相手を観下すようなことをしたり、【あたかも自分の全てが全くで全部の正しさを主張したりする理由や理屈が、いったいどこにあるのでしょう?】

先人としての知恵や経験をきちんと伝えるために、教育側には、ひと世代前の先史遺産を持ち得ているのかもしれませんが、それの全部が正しいとして、現在の史の産物に当てはまり通用するものになりますか?

そこに【科学で証明さえできるくらいの確かな理由や理屈はあるのでしょうか?】

ましてや、人間のように、ひとによって千差万別というように、性格も感性や関心さえも違うそれぞれのひとに、全部が正しいと当てはまりますか?

先史遺産といえど、先史のことで得た社会地位や社会権力などを、己の自慢やごう慢に主張したりしてるだけになってませんか?

社会も文化も、時代と共に発展したり衰退していったりと絶えず変化するものだとおもいますし、そういった環境においての感じる感性からの学習は、【むしろ大人や教育者よりも子どもや学習者のほうが、しているような気がする】んですけどね。

先史遺産を得てしての先人であるといえど、大人や教育者の側は、なにか凝り固まった固定観念に縛られて環境に取り残された感覚をしたまゝで、【あたかも自分が経験や学習をしてきたので偉大なんだと自慢やごう慢に言い張り】、【ひとや物事のきちんとした理由や理屈さえ観失っていたり、また、それに気づくことさえ鈍く鈍感になっている感覚】になっていませんか?

いつの間にか、そういった自慢やごう慢な話を、あたかも大人だからだとか教育者だからだとかで、ひとを人形に仕立てるかのように教えるようなことになっていませんか?



・科学物資の発展と心理事情の衰退



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《No.9 天蓋星ダイソン・スフィア》を掲げた画像ないでやんのw
さえおき、昔の話は、ここまでにしておいて、昔と違ういろんな科学物資の発展された現在のような話を持ち出して、書き直してみます。

【その昔のひとが現在の時代に追いついていけてない固定観念や権力が出ていること】のほかに、【これからの現在の時代のひとにも、大切な心理事情を邪魔してしまってるものがある】ような気がします。

宇宙開発が現実に進むに至ることや、家庭や生活の暮らしに不自由さえないほどの恵まれた科学物資の発展が現実に進むに至るまでに、いろんな原始的な自然の中だけで不便だった環境におけるものがさらにさらに発展して便利へと変わっていってます。

ですが、【原始的な自然の中だけのようなもの】から脱出していった結果、【原始的ではない不自然の中だけのようなもの】が、現実に出来ていってしまってるような気もします。

それは、心理事情においても、大きな不具合が起きてしまってるような感じするんですよね。

大自然の中に放り出されたかのような環境で、不便すぎた環境で、ひとひとりでは決して生活すらできないような環境で、ひとはなにを自然に勉強してきたんでしょうか?

今の現在、インターネットを通じて気軽にネットワークと繋がれたり、そもそも食べるものでさえ狩ったりする狩猟行為の仕事さえせずにスーパーマーケットやコンビニエンスヽトアでお金さえあれば手に入れることができてしまう、【極めて不自然な環境になりました。】

そんな便利さが、逆に、ひとゝ調和すらせず生活できてしまうことで閉鎖的な環境を生み出してしまってないですか?

そうやって、どんどん無くなっていったこゝろや気持ちによって、人間としての価値観や実力や尊厳までも犠牲にするようなことになっていませんか?

そうやって、いつの間にか、人間としての体力や気力の強さや意味さえ失って、気がつけば、なにも考えることさえできず、能無しかつ脳無しのような言われるがまゝとか、とりあえず自分で現実になんの目的や意味さえ生きれるのかさえわからない操られるがまゝの人形になっている現状になっていませんか?

実際のメカニズムがどうであるかはわかりませんが、現代に機械の技術が発展していったように、現代に人間までも機械の人形になっているような気がしてなりません。



・家系という紋章をつけられた人権侵害



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親子のような立場の話になりますが、人間を人形に仕立てゝしまう原因として、家系などの産まれ環境からの事情も、かなり深刻なものとしてあるんだとおもいます。

そもそも苗字そのものに家紋のような意味も含まれてのことですし、それを苗字と共に紋章を背負わされることで【子どもの人間には、その生活を選ぶ権利がない】というのでしょうか?

その親子の関係性が、【例え、虐待の待遇における環境や事情においても人形のように縛られなくてはならないものなんですか?】

家紋などの紋章という意味にもなってしまう苗字などの名前すら、人権問題として選択する権利がなく、紋章を背負わなくてはならないものになるんですか?

人権侵害をされてまで人形に仕立てられるくらいの人生になったり、なにか悪行一家の罪を必然的に背負わされたりの人生になったり、あと、責任さえ追ってくれないような人生などになるのなら、最初から、なんのための人間になるんですか?

知己(自分)も、個性や特性をあたかも障害のように扱われ、「一家の恥晒し」などおもわれたり、「言うことを聴け」などゝいう教えられ方に嫌悪して、そういった意味で、【現日常において、役所や住民の登録書類上の関係を除き、本名を誰かに名乗ることをしていません。】

あと、自分達の保身のことを優先に考えてる身内やいろいろ関係者のひとたちにとって、知己(自分)がインターネットなどのネットワークに出向いていろいろ厄介にもなる活動していること自体、家紋や紋章のある名前でやられては、連帯責任上であのひとたちに全く望まない迷惑になる話です。
人形になりたくない意味のほか、責任の意味も含みまして、自らの人権を主張してこういうペンネームやコードネームなどの仮名や仮面をつけての活動をしたい気持ちなんですね。



・あとがき



某一家のOCGにまつわる画像や言い回しなどイメージで乱用してますが、コナミにいろいろ言われたりとか、いろいろ読みにくかったら、いろいろごめんなさい。

そのひとを人形のように愛でるようなこゝろなしに対してムカッ腹が立ってしまったので、おもったことを書きたいように書きました。

趣味的なことまで、おもったことを書きたいように書きました。

社交上の礼儀でどうこうよりも、おもったことを書きたいように書きました。

春の花のはずなのに雪だったとか、そういうのショックがあっても真実ならすごくうれしかったですけど、それでも、複雑におもったことを書きたいように書きました。

責任どうこうもそりゃ大切ですが、それよりも誰かのヤラセのような人形みたいじゃなくて、知己(自分)なりに個性を主張した人間らしく、おもったことを書きたいように書きました。

そういうわけで、人形じゃないという意味で、おもったことを書きたいように書きました。

また、気が向いたら、おもったことを書きたいように書くように雑記を書くことにします。

そういうスタイルでぬっしてないと、ホントにこゝろから感じて「にょほっ☆」っていう気分にもなれそうにないので、そこらへん許してください。

2014/2/25