前の雑記11の【ギフテッド教育】の部分について、もっと詳しくまとめて書いてみてほしいとの意見が相談関係のひとからあったことで、雑記12は、そのことを詳しく書いてまとめることになりました。

なお、雑記4にて『障がいは個性というんです』と書き残してますが、この雑記12においては、【障害】という言葉を、ギフテッド(個性・特性)との区別のために、あえて、表記して書くことにします。

毎度、書き出しに書いてますが、意見・指摘・批判などあれば、コメント、もしくは、メッセージなど、受け付けてます。



・ギフテッド解説(Wikipedia引用)



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ギフテッド (Gifted)は先天的に平均よりも顕著に高い能力を持っている人のこと、またその能力を指す。
その人物における高能力の傾向は誕生時から生涯にかけて見られる。外部に対する世間的な成功を収めることではなく、内的な学び方の素質・生まれつきの学習能力を持つことを指す。
ギフテッドは、英才児、優秀児、天才児などと訳されるが、日本ではそのような子供を「飛び級できるような賢い子」という一面でしか捉えられておらず誤解が生じているため、本項では訳さずギフテッドと呼称する。

ギフテッド(gifted)は、贈り物を意味するギフト(gift)が語源で、神あるいは天から与えられた資質、つまり生まれつきの神経系の特質と言える。
精神的に特異であるという点ではギフテッドも特別支援教育の範疇にある。
「ギフテッドの才能を伸ばす」という言い方はできるが、「こうすればギフテッドになる」とは言わない。

早期教育で他人よりも早く多くマスターする先取り学習によって、ギフテッドに成長するようなことはない。
【ギフテッドは常に多様な知的刺激を渇望し、興味ある分野を自分の好む学習方法で極めて深く掘り下げ探求する傾向にあり、結果的に同年者より先のレベルに到達することが多い。】
教育熱心な保護者主導で幼児教室に通わせる、あるいは業者の教材を子供に買い与える、受動的な早期教育とは一線を画する。
タレンテッドという言葉もギフテッドと併用され、これらへの教育をギフテッド・タレンテッド教育(GATE, Gifted and Talented Education)などと言う。
ギフテッドが全般的、学術的な才能を指すのに対し、タレンテッドは芸術的な才能を持つ者を意味する。
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この記事を書いた段階での、Wikipediaからの引用文です。



・天性の才能である天才の贈り物(ギフテッド)



ギフテッドのウィキペの解説部分で、重要だとおもわれる部分を【】で囲んでみました。

雑記7の『アスペルガー症候群の天才説』の部分とも照らし合わせてみると、不思議と一致する部分になるかな?

その気になる部分は、興味の意欲といった好奇心の強さの部分ですね。

そもそも物覚えの仕方が普通と違い、普通ではないひとでもあるわけで、「ギフテッドは普通ではありません」から、「ギフテッドを普通のような常識感覚に当てはめるべきではない」とおもいます。
この「贈り物」と呼ばれる存在を台無しにしたり、また、「贈り物」を傷つけたりするようなことや、「贈り物」を差別や偏見の的にするようなことは、認めたくないかぎりです。

そんなわけで、ギフテッド教育としての記事としては、ギフテッドをギフテッドらしくギフテッドとして贈り物のような大切にリボンに結ばれ白い箱に包まれたような幸福なひとでありたいことを願いたいと共に、【障害などと呼ばせない】ためのものとして、差別や偏見で不毛にズタズタにされ苦しむようなギフテッドを生み出さないための教育として、知己(自分)なりに、ギフテッド教育として解説してみたりまとめてみたいとおもいます。



・障害にしないで個性・特性にする



『雑記4 障がいは個性というんです』ともいったとおり、障がいは、【障害】とか、障りあって害があるみたいな漢字の文字通りの差別で呼ぶべきものではないです。

ですが、やはり、この記事において【障害】という言葉を、あえて表記するのは、「実際に生活や社会において障害となっていることが多かったりするから」になってしまってます。

障害は、文字通りの障害として、東方の幻想郷の世において【異変】を起こすものとか、化物語の青春時代の人間の世において【怪異】を生み出してしまうものとか、はたまた、ライブ・ア・ライブの中世王国において【魔王】を誕生させてしまうものとか、障害になるものっていうのは、様々なものがあるとおもいます。

ギフテッドという贈り物は、気の遣い方により、その才能を、個性みたいに引き出すほか、障害みたいに引き出してしまう可能性も、あるってことで、良いのかな?

また、ギフテッドという贈り物だけど、遣うじゃなく使うような接し方は、やめてください。
気遣いなく使われるようなことって「非常に不快感きわまりない」ことですし、まともな理論や理由や理解もなしに、年齢や立場などの権力によって押し潰されるようなことなんて、その不快感(ストレス)が【怨念】という名の社会障害そのものにもなりかねませんから…。

特別な特性の性質であるギフテッドを、個性にできるか、または、障害にしてしまうかなどは、そのギフテッドをきちんと理解したうえでの特別な特性の性質に合わせた教育が必要であるとおもってます。

それが、内容により、例えば『アスペルガー症候群』という名称で医学的にまとめられて表記されたり、病気と表記されたりして、さらに、それらは、インターネット上の医学関連のページなど含む、様々な理学療法のまとめなど、研究者などにより用意された教育のための参考書みたいな感じで、存在することになっているんだとおもいます。

雑記7において、天才は普通ではないとも記載したけど、ギフテッドも普通ではないんですから、それを障害にしてしまうか、きちんと個性の才能として活かせるかは、ギフテッドを理解した教育そのもの、いわゆるギフテッド教育が必要になりますよね。



・ギフテッドの社会生活(基礎編)



第一に、ひとが社会で生活していくうえで、最も大切なことってなんだろうか…?

ギフテッドに限らず、全てのひとにおいて、社会生活の最も大切であり最も基礎であること、道徳の観念ですかね…?

道理といった道や、人徳といった徳とか、そういったものから考えたりする、倫理(モラル)や礼儀(マナー)や法律(ルール)の意識とか、あと、【それらを自分で考え出せる思考力】といったものとか、いろいろあるとおもいます。

で、さらに、ギフテッドの場合、それらに加えて、【普通ではない特性】のものなどが、出てくるんだとおもう。

これらは、簡素に言うならば、【障害にならないための基礎学習】になるのかな?

それに、そもそも実際に障害なってるアホ共は、ネット中毒や依存症に侵されて、感じて謝るといった感謝認識や、感じて情けをかける感情認識とか、それらの欠落した脳障害になって他者に危害を加えてるようなのも、社会問題としてウヨウヨいる事態になってたりもしてるわけだから、【案外、知己(自分)からいわせてみれば、障害者なぞ、そこらへんに溢れてたりしてます】から、そういった面でも、きちんとした道理や人徳といった道徳学習を、まず、必要な教育として、ここに書いておきますし、【ギフテッドのような特性持ちなだけで、文字通りの意味を含み障害などとして扱うなどは、差別として全否定する】ことを、ここに書いておきます。



・ギフテッドの社会生活(応用編)



ギフテッドをギフテッドとして応用するには、ギフテッドに対して応ずる対応などという知識や理解への気持ちなどが必要になってくるとおもいます。

しかし、この応用の部分は、はっきりと解明されていない部分も多く、そこらへんは、医学などの学者達の研究や経験談などデータとか、いろんなものが複雑に絡んできていますね。

ここの記事だけで、なにか具体的にまとめられそうなものでは、決してありません。

ですが…これらは、書いておきます。

様子に疑わしいことがあった場合、すぐに検査したり調べること。
病気や症状など提示された場合は、すぐに医学情報とか専門的な解説などを参照したり調べること。
特性による個性や性質を、きちんと理解すること、きちんと理解させること、きちんと理解し合うこと。

簡単に言うならば、【そのひとのことについて理解しようとする気持ち】が、すっごく大切なことなんです。



・エゴイズムによる利用



ギフテッド(贈り物)とはいえ、【ひとりの個性を持った人間であること】は、認識してほしいです。


ひとって、大体、建前やお世辞とかウソばっかりついては、顔色を伺ったり、また、騙し言い聴かせたり、そういったことで【他者のエゴ(自意識)に個性を押し潰されて利用されてしまうひと】も出てきてしまったり、ひとを疑うばかりで人間不信や恐怖症などを抱いてしまう後遺症を背負ってしまうようなのは、ただただギフテッドの言葉としても理不尽なものになってしまうばかりのような気がします…。

知己(自分)自身も、少なくとも、雑記の記事などは、そんなエゴ(自意識)だけの押しつけでひとをどうこうしたいなんておもっていませんし、【エゴ(自意識)だけにならないようコメントを規制したり承認制(隠し事のできる状態)にしないで、他者の意識も柔軟に共有しやすい環境】っていうのを、大切にしたいとおもっています。

ギフテッド(贈り物)といっても、ひとりよがりなプレゼントなどいりませんから、そのひとの気持ちや、周囲の道徳や倫理の観念などを決して忘れないでほしいです。



・あとがき



このギフテッド(贈り物)という言葉は、海外の医学などで決められた言葉であり、日本で、こう呼ばれることは、ほとんど聴いたことありません。

やはり、【障害】という障害物みたいな不名誉な漢字名称で、名づけられたものであること、知己(自分)は、これを、どうしても個性という障害にならないものにしたいという想いがあります。

どうしても普通の感覚に当てはめては、生活上でも障害となってしまう部分も出てきてしまうようですが、そもそも、「普通ではないことの部分には、なんの悪いことがあるのですか?」

障害と呼ばれてるひとには、普通と違うなにかが欠落した部分があれば、普通と違うなにかが突出した部分や、もしくは、欠落した部分があるために本能的に発達しすぎた部分など、なにか【才能】の種を持っていることにも、なりえるとおもっています。

例え障害だったとしても、なにかの個性として光るところを引き出したい、社会や生活で障害にならないよう、そのひとの性格としての特性であることを理解させたい、障害などというマイナスのイメージを社会の世間に植えつけたくなんかない。

ギフテッド(贈り物)として良いところを引き出したいんですよ。

あと、この雑記は、ギフテッドをまとめた記事ではなく、専門科のプロフェッショナルでもない知己(自分)の個人的に、ギフテッド教育をまとめた記事であるだけなので、そこらへんは、あくまで【医学・教育学の記事】でもなく【雑記】ということで、許してね。

障害を障害にしないで、差別のないひとそれぞれの個性のひとつであること、人間関係に障害にならないような意味で、知己(自分)は、どうか【ギフテッドも含む、人種や差別のない人々】を大切にしてほしいと願いまして、ギフテッドという贈り物の言葉を、ここに書き残しておくことにします。

2013/9/19