この記事は、【天才】と呼ばれるひとが、どのような才能や能力や力量を秘めて、そのようなものになるのかどうか、そのヒミツに迫ってみたく、考察雑記として書いたものです。

意外にも、マンガ『テニスの王子様』に、そのヒミツが、かなり示されていたようです。
そんなわけで、一部、作中に登場する技について書いてたり、ネタバレを含みます。
ネタバレがイヤなひとは、この記事は、その原作を読んでからにしたほうが良さそうです。

また、ある精神などの障がい(以下、個性と表記)の要素も、けっこう含まれるようです。

知己(自分)の個人的な考察によるものも、かなり多いので、確信してこの記事の内容を鵜呑みにするのは、オススメしません。

内容についての指摘・意見などは、受け付けます。
そういうのがあれば、コメントやメッセージなどお寄せください。



・天才と秀才



まず、一般的に【天才】と呼ばれるのは、実は、天才だけでは、ありません。
また、ホントに天才であるのかも、わかりません。
とりあえず、天性の才能だけではないということですね。

優秀な才能を得るためには、【秀才】といわれる学問に優れた、多大なる経験や勉強や努力や、そして、根気や熱気などの学習要素も必要とされます。

非常に面倒な苦労をこなしてきた先に、身につけたいろんな経験から学習成果を得られます。

そして、天才という天性の才能は、そのセンスの良さを表すものだと、個人的には、おもってます。
センスの良さは、ひとより少ない経験から学習成果や能力を得られたりする(某プロ野球ゲームのサクセスモードにあったような)メリットだとおもって解釈するのが良さそうかもしれません。

いくら天才であって、センスが良くても、秀才という学問に優れた多大なる経験や勉強や努力や、そして、根気や熱気を活かせられるような環境でなければ、天才の要素を発揮することもできず、せっかくの天性の才能をムダにしてしまうことになりそうです。

つまり…よく「天才」と称されるひとは、天才と秀才を兼ね備えた【天秀才】という呼び方のほうが、もしかしたら、しっくりくるかもしれないですね。

天才じゃなくとも、秀才のみで、才能の能力の力点を発揮できることもあるわけなので、天才じゃないから才能がないなどとは、おもわないでほしいし、「苦手なことだとしても、とにかく頑張って克復したりすることもできる」んですから、才能がないなどと、そうそう気を落としてしまうものでもないですよ。



・個性と天才の関連性



障… … …じゃなく、個性ですね。
個性と天才は、実は、密接な関連性が、あるとおもいます。
とりま、障りあって害があるみたいに絶対に言うなボケ。(怒)
ただ、【ものすごく人並み外れた得意なこと】や、【ものすごく人並み外れた苦手なこと】など、そういうのがあるだけなので、みんな、ひとそれぞれの個性については、よく観合ったり会話したりふれあうなかで、理解をしましょうね。

その【得意なこと】のほか、【興味のあること】や【興味や価値観のセカイの広がり】など、いろいろと才能として引き伸ばせるところは、とにかく引き伸ばせたら良いかなとおもいます。

その引き伸ばした先に、秀才という学問に優れた要素が得られ、天秀才というものになるんじゃないでしょうか?

普通とは違う、その異常の部分、異なる常識となるような部分が、いわゆる才能として観出せるものであれば、いわゆる天性の才能といった天才となるんじゃないですかねぇ?

ただ、苦手な部分も、もちろんあります。
天性の才能は、極端に苦手なこととして表れてしまう場合もあるわけですし、その苦手な部分が、基本的に、克復がきわめて困難であったり、また、絶対に克復すらできないものも、あるとおもいます。

ただ、知己(自分)個人的は、苦手なことを克復させることよりも、得意なことを引き伸ばすほうを優先して念を入れて頑張ったほうが良いんじゃないかとおもいます。

「普通に当てはめようとする」その労力なんて、そんなの普通じゃない「個性の要素を潰してしまう可能性」もあるわけですし、そんなことより、才能ある要素を、とにかく熱心に引き伸ばせるように頑張ってほしいんですよ。

あと、極端に苦手であるがために、それが天性の才能になる場合もあったり、極端に苦手であるがために養われる能力とかもあるわけなんだから、案外、苦手なことは苦手なままで良い場合なんてのも、あったりするものです。

これら個性についての詳細は、雑記4の記事でも触れてます。
あと、極端に苦手なことなどあって、生活にさえ困難があるなら、助手など助け合いの要素も、同時に考えてほしいのもありますね。



・アスペルガー症候群の天才説その1



脳みその要素の異常のひとつ、アスペルガー症候群についての天才説が、いろいろ調べてみて、なんとなくわかった部分があります。
いわゆる、世の中(歴史上の人物なども含む内容)において、「天才」と呼ばれる風格を持つひとや、大きく世の中を変革させてきたひとなどの記録において、アスペルガー症候群の関連がいろいろと出てきて、また、それについての大きな根拠みたいなのが、いろいろと出てきた気がします。
ここから、その根拠のヒントとなった、マンガ『テニスの王子様』の技の部分を、ウィキペなども参考にしつつ知己(自分)なりにまとめてみます。
この観出しの、その2は、それらのまとめの後に、再度、観出しとして書きますね。

アスペルガー症候群の特徴と照らし合わせて、考察してみます。
また、特に、これからの4つの観出し部分については、もし、医学・精神科学・脳科学など、そういった方からの具体的な指摘や意見などありましたら、是非、お願いしたいところです。



・無我の境地



-ウィキペ引用文-
己の限界を超えた者のみが辿り着くことができる境地。頭で考えて動くのではなく、身体が実際に体験した記憶で無意識に反応する。今までに対戦してきた相手の技・プレイスタイルが繰り出せる。しかし、本来できないものを限界を超えたところで行うため、その反動として体力を激しく消耗し、一気に身体に襲い掛かる副作用がある。ちなみに、発動すると発生するオーラはイメージ的なものではなく、実際に目に見えるものとされている。

無我の境地の奥には、後述の三つの扉が存在する。
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無我夢中の状態のことですね。
我を忘れ、夢中の状態になることを指します。
アスペルガー症候群のひとには、もう、クセみたいなものですね。
とにかく、興味や関心の強いことについては、とにかく過度に集中しすぎ無我夢中になりすぎて生活に困るほどですし、また、集中が切れてきた頃に、ものすごい疲労を自認識をするとこも共通点です。



・百錬自得の極み



--ウィキペ引用文--
三つの扉のひとつ。無我の境地の爆発的力を片手に集めることで、技・回転・球種の威力を倍返しにできる。副作用の疲労を最小限に抑えられる。パワーを集中させた部位以外がおろそかになるという欠点がある。
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物理の部分の感覚的な理論。
過度に集中しすぎる無我夢中のアスペルガー症候群の要素を、身体の体力の物理学的な感覚的に理解して覚えられるような能力といえようか。
直感的要素に優れた部分を、この体力のセンスのほうに学習し発揮できれば、ムダのない物理学的な筋肉の使い方も、極まれば覚えられそうですね。



・才気煥発の極み



--ウィキペ引用文--
三つの扉のひとつ。頭脳活性化型の無我の境地。一球ごとの戦略パターンを瞬時にシミュレートし、最短何球目でポイントが決まるかを見極めることができる。その正確性から「絶対予告」と呼ばれる。ただし、実力が上位の者と対戦した場合は予告が外れることもある。
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心理の部分の感覚的な理論。
過度に集中しすぎる無我夢中のアスペルガー症候群の要素を、頭脳の知力の心理学的な感覚的に理解して覚えられるような能力といえようか。
直感的要素に優れた部分を、この知力のセンスのほうに学習し発揮できれば、ムダのない心理学的な考察の使い方も、極まれば覚えられそうですね。



・天衣無縫の極み



--ウィキペ引用文--
三つの扉のひとつ。無我の奥にある最後の開かずの扉。数十年前に伝説のプレーヤーでありリョーマの父・越前南次郎のみが開いた。乾の強引な解釈によると、無我の力を体内にためこみ、何らかの形で体の必要なところに放出して増幅させる技。百錬自得の極みを適材適所に移動させた進化版と推測した。

その一方で越前南次郎は「天衣無縫の極みなんて最初からない。強いて言うならテニスを始めたばかりの『テニスが楽しくてしょうがない』時期は誰もが天衣無縫を持っていた」と言う。この言葉から類推するに、勝つため・ミスをしないためのプレーよりも、純粋にテニスを楽しむためのプレーこそが天衣無縫であるといえる。
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乾の強引な解釈は、ほっておき、越前南次郎の解説に注目です。
これこそが、多分、アスペルガー症候群の天才説の最も重要な要素でもあるんですから。
とにかく、『○○○が楽しくてしょうがない』んです。
そして、アスペルガー症候群の天性的に、本来は成長して変化すべき部分が、恐らく、まったく成長しないで変化しないという部分に繋がってると、知己(自分)は、推測しました。
まるで幼稚な感性なままで、それらが無意識だと言動にも出てしまいがちな個性の、【好奇心】の部分なんですよ…。

本来、幼少期、ひとには、とにかく【勉強熱心に覚える】【感性で感じる】【ドキドキワクワクする】【体験することすべてが楽しくて仕方がない】…こんな要素を初めに持ち得て、生活上のことなど、いろんなことをとにかく純粋なまでに学習して覚える要素が、爆発的に強いとおもわれるんです。
しかし、本来は、段々と大人につれ、この要素は、もう必要がなくなったかのように、"成長して"忘れていってしまうものだと推測的におもうんですが、アスペルガー症候群は、恐らく、この部分が、基本的には"成長しない"んじゃないかと推測的におもいました。
この本来あるべき成長の欠落した苦手の要素こそが、いわゆる「天才」といった天衣無縫の極みを得たひとを生み出してしまったんじゃないでしょうか?



・アスペルガー症候群の天才説その2



以上の強烈な個性を兼ね備えて、さらには、一般的な常識や風習や空気の認識がものすごく苦手かつキラいであったり、独自の興味や感性で物覚えをしたり、理科や理論とか理解といった具体的な納得のできるものしか認識しないようなアスペルガー症候群のひとは、一部において天才と秀才を得てして「天才」と称されるようになり、世に発明といった変革をもたらしたのではないか?…と、いうのが、いちお、アスペルガー症候群の天才説のまとめになります。



・あとがき



天才は、一般共通に当てはめられるような普通じゃありません。
天才という個性の要素を、ご理解してください。
天才の扱い方を、きちんと考えてください。

ただね…
「これら天才を自分自身で称することは、ただ自己意識過剰のうぬぼれなドアホなので、絶対にやめてくださいね。」
「いつも謙虚な意識で、広い世界感を感知して、周りへの配慮も意識して、常に物理的にも心理的にも勉強して強くなる意識を、絶対に忘れないでくださいね。」
「天才は、才能の能力を他者から認められることで、認識されるものですから…。」

天性の才能のなにかを観つけた場合、それが活かされ、やがて大きな花開くことを願いまして…。

ただ…最後に、アスペルガー症候群のおもいこみ要素が強すぎたりする純粋なものも含み、天才の個性となるもの、陰気の要素が極まれば、文字どおり最悪な恐怖の魔王劇の天才になることもあり得ることも、添えて、書き残しておきます。

天才の才能の能力の力っていう強力さは、活かし方により、陽気な善にも、陰気な悪にも、強力な分だけ強力なまでに出てしまう可能性があるんですから…。

せめて…まず、道徳こそは、絶対に大切にしてくださいね。

2013/4/12