実話と夢の話とをミックスさせて、ちょっとフィクションをほどこしました、というお話。
どこからが実話でどこまでがユメでどの辺がフィクションか、そこらへんは想像にオマカセ。
我が実家は、千葉県の柏市。
ただ、数年前に柏と合併するまでは、沼南町という、あまり大きくもない街だった。
暮らすのに不自由はないのだが、不便なのは、近くに電車の駅がないことか。
最寄の駅は、たぶん柏駅なのだが、5kmほど離れているので、歩けば一時間近くかかる。
もちろん日中ならバスが走っているのでわざわざ歩く必要などないのだが、深夜になると事情が変わってくる。
深夜といっても、JRがまだ余裕で走っている11時台くらいにはバスがなくなってしまうので、東京などで友達と飲んだりすれば、ほぼ間違いなくバスのない時間に柏に戻ってくることになる。
そんなわけだから、金曜や土曜の夜は、駅前のタクシー乗り場には長蛇の列が出来ることになる。
しかして俺は、深夜のタクシー料金もバカにならないということと、歩くのは別に嫌いじゃないという理由から、バスがなければ歩く。
一時間くらいなら問題ない。
酔っているなら、酔い覚ましにちょうどいい、と言えなくもない。
さて、その日。
やはり東京の友達のところで宴会があり、いい気分に酔っ払ってふらふらしながら柏駅に降り立ったのが、ちょうど深夜12時。
迷うこともなく、徒歩で帰途に着く。
東口からそごうの脇を抜け、サンサン通りという繁華街を抜ける。
酔っ払いグループや客引きも多く、深夜でもにぎやかな場所である。
しばらく国道16号方面へ、まっすぐ歩いていく。
道の左手に大きな寺と墓所が見えてくる頃には、人通りもだいぶ少なくなり、喧騒もなくなる。
聞こえるのは、時折通り過ぎる車の音だけだ。
無論、歩行者も極めて少ない。
だから、他の人間の足音が聞こえたときにまず俺が思ったことは、おやめずらしいことで――ということだった。
俺の後方から、すたすたと静かな足音がついてくる。
どうやら向かう方向も同じらしい。
歩行のペースも俺とほぼ同じらしく、聞こえてくる足音から判断するに、距離は約10mくらいだろうか。
きっとこの人も、柏からの帰り道なのだろう。
わざわざ歩いて帰ろうというのか。物好きな人だ――と、自分のことは棚に上げて考える。
どんな人なんだろう、と、ちょっと興味が湧いた。
ただ、向こうの人も同じようにこっちのことを考えてるのかもしれないし、振り向いて確認するのもちょっと抵抗がある。
そこで、できるだけ不自然に見えないように、さりげなく周囲を見回すフリをしながら、ちらりと背後をうかがってみた。
一瞬だったし、周囲が暗いこともあってよく見えなかったが、どうやら女性らしいことはわかった。
こんな夜中に歩いて帰ろうとするからにはきっと男だろうと思いこんでいた俺は、ちょっと意外だった。
まあ、16号に出る少し手前に、住宅街があるから、きっとそこに住んでる人なのだろう。
20分くらいなら、充分歩ける距離だ。
そんな俺の予想は、裏切られた。
住宅街を抜け、国道16号に出たときにも、背後からの足音はあいかわらず続いている。
いったん国道に出たら、住宅は少ない。いったい、この女性はどこまで歩いていくつもりなんだろうか。
疑問を抱きつつ、国道沿いの歩道を、千葉方面に歩く。
この16号は、千葉から柏を通り、さらに埼玉の春日部、川越などの主要都市を経由し、横浜に至る幹線道路である。
深夜とはいえ、交通量はそこそこ多いし、その車のスピードも速い。
車両が通り過ぎていくときには足音などはかき消されてしまうのだが、ふと交通が途切れると、変わらないペースの足音が、俺の後からついてくる。
もう柏を出てから30分以上たっている。
日付はとっくに翌日になっている。
あんまり、女性が一人で歩く状況とはいいがたい。
といって、まさか振り返って声をかけるわけにも行かない。
もう背後を気にするのはやめにしよう。
そこで俺は、徐々に歩くペースを速めていった。
自慢にもならないが、歩くスピードはかなり速いほうである。
それまではのんびり歩いていたから、すぐに女性との距離は離れるだろう。
――ところが。
足音は、一向に途絶えない。
すた、すた、すた・・・。
場違いなほど軽快に、俺の後からついてくる。
・・・まさか、俺をつけてきてるはずもあるまいが。
ふと生じたくだらない疑念さえ、払拭できない。
俺は意地になって足を速める。
それでも、車が去った後の静寂に響くのは、俺と――もうひとりの、足音。
やがて国道は、トンネルにさしかかる。
このトンネルは、ちょっとした小山を貫いている。
その小山というのが、なんとも陰気な林に包まれていて、さらにその林の奥には正体の知れない廃校があるということを、俺は知っている。
以前自転車で迷い込んでしまい、えらい目にあった記憶が、今さらながらによみがえる。
トンネルの中では、車の音は大きく反響するが、車が来なければ足音も反響する。
すた、すた、すた・・・。
2対の足音が、うつろにトンネル内に響き渡った。
何度も通ったことのあるこのトンネルを、不気味なものに思ったのは、この日が初めてだった。
思わず駆け出したくなる衝動を必死でおさえ、やがてトンネルを抜けた。
そのトンネルの出口のところで、ふと目についたものがあった。
歩道の脇に、ひっそりと捧げられた――花。
あきらかに、人の手になるものだ。
そしてその脇には、排気ガスのせいで薄汚れてしまっている、立て看板。
通り過ぎながらそれを眺めた俺の眼に飛び込んできたのは、『死亡事故発生場所』という、文字だった。
俺が、その花と看板に気をとられたのは、実際は一瞬のことだったのかもしれない。
だが。
俺は、はっと気がついた。
――足音は、どこへ消えた・・・?
車は、途絶えている。
国道の両脇には水田が開けていて、蛙の鳴き声も聞こえてくる。
だが。
聞こえなければならない音は――女性の足音は?
・・・どうして、何も聞こえないのだ?
トンネル、だ。
脇道も何もない。
トンネルに入ってからも、間違いなく足音は聞こえていた。
背後の女性は、トンネルの中を歩いていたのだ。
それが、俺が一瞬気をそらした隙に、途絶えた。
――そんなことは、ありえないのに。
俺は、もしかしたら真っ青になっていたかもしれない。
とてもじゃないが、振り返ることはできなかった。
あの女性も、ちょっと立ち止まっているだけなのかもしれない――靴紐が解けたとか、大事な用件を思い出したとか――そんなありえないことを無理やり思いながら、俺は駆け出す寸前のスピードで歩き始めた。
数分歩くと、道の脇に24時間営業の大きなガソリンスタンドがあった。
浩々と証明が照らされ、大音量で音楽が流れていて、数台のトラックが給油中だった。
店員が忙しそうに立ち働いている。
その光景に、俺は心底ほっとした。現実世界に戻ってきた気がした。
なによりも、明かりというものは勇気をくれる。
俺はそこで、思い切って足を止めて、背後を振り返った。
もちろんというべきか、人影はどこにもなかった。
直線道路は、トンネルの向こう側まで見渡せる。
曲がる道も、ない。
そのどこにも、動くものの影は、なかった――。