あの頃は、君が世界の全てだった――。

溺れるナイフ。嘗てこれ程までに、衝撃を受けた漫画はないかもしれない。お互いがお互いの、光のような存在。10代の2人が駆け抜けた、切なく苦しい物語。甘い時間は本当に短くて、それでも確かに、幸せな時間もあった。この漫画は最後、一応ハッピーエンドとして落ち着いているけれど、互いが一番輝いていた、一番綺麗でいた、その時を共に過ごす未来はなかった。少なくとも「少女漫画」の論理として、私の中の解釈はハッピーエンドよりアンハッピーエンドだったと思っている。
強烈な光と光は、似た者同士。S極とS極は、N極とN極は、反発するように出来ている。そんな方位磁石のような2人は、反発しながらも出会った瞬間で、互いに光と感じて恋に落ちる。齢12の、小学6年生。何にせよ、惹かれる時は、一瞬なのだ。あの頃は自分達が世界の全てで、誰よりも輝いていて。そんな無敵の2人に、怖いものなんてなかった。言い換えればそれは、子供の幻想でもあったのだけれど。
案の定、強い光は未来永劫輝き続ける事はなく、暗い闇に突き落とされる事になる。一度失った輝きを、再び取り戻すには時間が必要で。作者は言っていた。光を取り戻さなければいけなかったのは、ヒロインの夏芽だけであったと。ヒーローとして街を君臨していた「神さん」コウちゃんは、確かに暗い闇に突き落とされたままだったかもしれない。
この物語の「核」となる、闇の出来事。ある事件によって、引き裂かれた理由、それは夏芽とコウちゃんが思い知らされた「無力」な自分達。無敵なんかじゃなかった、ただの子供だった。それに気付いたら、特別だったはずの光達は、簡単に普通の子供になってしまった。
どこにでもいる、普通の人間。退屈な人生に、逆戻り。
夏芽は事件から背を向け、輝いていたモデルの仕事からも離れていた。コウちゃんはコウちゃんで、荒れた生活を送りながら。それでも夏芽が輝ける場所は、テレビの向こう側の、光の世界。コウちゃんは街の跡取りで、この街を出る事の出来ない存在。2人の未来に幸せな2人を想像したら、それはお互いが肩を並べて歩む道ではないのだ。夏芽はコウちゃんと、歩む道を一度は選択する。しかしコウちゃんは、夏芽との未来を最後まで選ばなかった。この街に夏芽が来るまでは、コウちゃん自身も自分は神と信じて疑わなかった。自分がこの街の跡取りであり、この街があるから生きていられるという自覚もあったし、何より自分は無敵であると信じていたから。ただ、夏芽が現れてからは。ある事件が、起きてからは。無敵だと信じた力が、ただの幻想だと気付いた時から。
「自分の力」で這い上がり、光を取り戻した夏芽に劣等感を感じるようになってしまったコウちゃんは、夏芽だけは輝いていなければいけないと、彼女がこの先もずっと、輝き続ける道へと導いていく。
夏芽は、一生忘れる事のない光。だからコウちゃんは、ある決断をするのだ。
もう一度だけ、夏芽の信じた、自分が信じた、「神さん」になると。それを夏芽に、見せてやろうと。夏芽の中にだけ、「神さんだったコウちゃん」を残してやろうと。そして彼女を、再び光の世界へ送り出そうと。

そしてまた、事件は起きるのだけれど。

しかし今度は、子供だったあの頃とは違くて。あの頃より心も身体も成長した「力」で、夏芽を救い出した、はずだった。

そこから2人は、会う事はなかった。夏芽は、女優として輝き続けるべきで。コウちゃんは、この街を守り続けるべきで。しかし何事もなく生活を続けていた夏芽とは裏腹に、コウちゃんはまた、闇の中にいた。

最後のシーンは、ここまで読んできた集大成というべく、伏線も綺麗に回収してくれる納得のラストだった。とても苦しくて切ない、一筋の涙が、静かに頬を伝うような。
夏芽はまだ、抗おうとする。コウちゃんと歩む道に。それでもコウちゃんが頑なにその道を拒絶するだろう事もわかるのだ。また、コウちゃんもその想いに応えられない代わりに、恐らくはこの漫画の全17巻の間で、ようやっと初めての「告白」をする。
初めて会った時から、夏芽は「衝撃」だったのだと。自分だけがこの街の神様だと、思っていたのに。
好きだよなんて、そんな甘い言葉は吐かない。いつだってコウちゃんは、そうだった。信じざるを得ない、惹かれ方をしたのは事実だけれど、好きだとか愛してるだとか、コウちゃんの前ではそんな言葉も陳腐に聞こえる。彼が放った「衝撃」こそが、私には「衝撃」だった。衝撃の「告白」だったのだと思った。

10代の恋なんて、オママゴト。所詮は少女漫画の中の、キラキラした世界。キラキラした少女漫画はとても眩しくて、受け入れる事すら恥ずかしい年齢になりつつある私が、今も愛し続ける理由。それはキラキラ眩しいだけじゃなくて、「溺れるナイフ」のような、衝動的なラブストーリーにまた、出会いたいと思っているから。コウちゃんが、夏芽に願った希望である「心のざわめき」を、感じたいから。

俺を思う存分、ざわつかせてくれぇや!

分かり難くて、意地悪で、ミステリアスで。でも、そんな人間こそ、実はとても分かり易くて。だってコウちゃんは初めから、夏芽以外は見ていなかったから。それが真実の愛と呼ばずに、何と呼ぶのか。

コウちゃんにとっての衝撃が夏芽なら、私にとっての衝撃は、コウちゃんだった。

少女漫画の世界の、たったひとりの神さんだった。

なみだくん♪で始まるこの曲を聞くと、夏を思い出す。



原作が始まった頃、私は生まれてはいなかったけれど、この年になって見ても全く色褪せることのない不朽の名作、『タッチ』。
TOKYO MX で再放送が始まってからというもの、すっかりテレビの前で釘付けになる悲しい○歳です。遂には週3の放送すら待てずにDVDレンタルまでした挙げ句2日で見終えました。うん、やっぱり凄いこの漫画。何が凄いって、タッちゃんが凄い。タッちゃんが格好良すぎて泣ける。第1話のタッちゃんと、最終話のタッちゃんはまるで別人。この漫画は、タッちゃんの成長が全て。好きなシーンは沢山あるけど、強いて言うならタッちゃんが高校2年の夏の予選2回戦、VS勢南。雨の延長戦で、押し出しサヨナラ負けをするあのシーンです。3年夏の須見工との決勝戦も格別モノだけど、私のベストシーンは前者です!
野球を始めて1年足らずで優勝候補相手にノーヒットピッチング。周囲も驚愕の高速ボールを持つ反面、常について回るノーコン。でも、それが最高に格好いい。勢南との延長戦、2死満塁カウント2ー3の場面でタッちゃんが投じた高めストレートは、バッター西村の最も得意とするコース。しかし如何せん、ノーヒットの勢南は何としてでもヒットを打って勝ちたかったわけで。しかしタッちゃんが投じたこの高めストレートは西村によって見逃され、結果押し出しサヨナラ負けを招いてしまう。
あっけらかんとベンチから去るタッちゃんが小憎らしい。本当は悔しいのに、そんな姿を見せないタッちゃんがまた、堪らなく格好いい。一方、ノーヒットでサヨナラ勝ちの勢南ベンチでは、勝ったはずの西村が悔しがる。彼は、得意コースを見逃したのではなく、ただただタッちゃんの高速ストレートに手が出なかっただけなのだ。
勝負には勝ったけど、試合には負けたのがタッちゃんなら、試合には勝ったけど、勝負には負けたのが西村。その夜、タッちゃんが一言南に告げる『ごめん』は反則です。
随所に垣間見せる、タッちゃんの天才的野球センスにも脱帽。この漫画は野球のわからない人にも易しくわかりやすいとされているようですが、野球を好きな人ほどタッちゃんの凄さを思い知るはず。例えば、いきなり放った大暴投を金網に突き刺すスピード。外野を守ればワンバウンドになるボールに突っ込むファインプレーやレーザービーム。3番『ピッチャー』が終盤で見せるセーフティーバントやスチール。比較的ピッチャーは投げることに重きを置いてプレーする人が多いので、普通終盤に来てセーフティーバントで揺さぶる『ピッチャー』のバッターなんていないのです。
随所で魅せられるタッちゃんのプレーは実に天才的。だからこそふと気を抜いた時の無気力なタッちゃんにも魅力を感じてしまうわけです。
カッちゃんが亡くなる前日、舞台に上がることを決意したタッちゃんが南に告げた台詞も堪らない。これは南ちゃんじゃなくても惚れちゃうよ!!


通して見たのは、恐らく6年以上ぶりだったと思う。でも、あの頃とはまた違った感動や感覚を覚えて、こんなにも色褪せない作品はないんじゃないかと思います。また5年くらい経ったら、新しいタッちゃん達を発見出来るのかな?楽しみでありある意味怖い気もします。(←5年後の自分の年齢が。)