期待と現実の狭間 | ★☆ This is la Montana steelo ☆★

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of the sakuraist, by the sakuraist, for the sakuraist
櫻大根(SOS)をこよなく愛しております

** 独りよがりの妄想を垂れ流してますのでご注意 **






人というのは期待されると頑張ろうと思う反面

その期待に応えようとして元々の自分とのギャップに戸惑うのではないでしょうか?



どんどん嵐が人気が出て有名になって国民的アイドルなんて言われるようになって

我々ファンが求めている嵐と彼らがやりたい、進みたいと思っている嵐が違ってくると

彼らは期待に雁字搦めになって身動きが取れなくなってしまうのでは


自分のやりたい事ばかり追求してはファンが離れていく

でも期待に応えるばかりでは自分が無くなってしまうし、成長しない


智くんにとっては絵が自己表現であり

翔くんにとってはラップが自己表現であり

どこかに逃げ道が出来たおかげで彼らは心の均衡を保ってるのでは


翔くんが自らラップリリックを書くようになって本当によかったと思う

嵐の活動の中で自らを表現できる場があって本当によかったと思う



アラフェスをやったのもファンのリクエストに応えたわけで

だから

皆の期待には十分応えたからポップコンツアーは自分たち、嵐のやりたいようにやらせてよ

そう言ったのは紛れもない翔くんなんですよね


コンサートでファンに対してファンサをしないのも

リクエストに答えてばかりいると自分を見失いそうだから

彼は器用な人じゃないから

求められている自分と本当の自分の境目がわかなくなるのでは



翔くんがファンサを返さないのは自己防衛の一種




こんな事をつらつらと考えてました

これはしげの小説”ピンクとグレー”を読んでからずっと考えていることで

さらにyuiの活動休止インタビューを見たときにも思ったこと

そしてハネちゃんに言われて気付いたこと



時々やってくる後ろ向きなぐるぐる期

ここ数日の(@_@)な私に根気よくお付合いしてくれてどうもありがとう


ハネちゃん、大好き♡