AlohaとPonoでいられる日々を ~ La´e la´eの日記
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自由になった父、笑顔で見送った家族葬

【介護の現実/備忘録】



お盆があけたくらいから、父の認知症が一気に悪化してきました。

毎日できないことがどんどん増えてきて、昨日できていたことが今日はできないという状態です。

母の時の参考に、記録として残しておきたいと思います。

これはうちの家庭、長年の家族関係の上で起きていることなので、いろんなご意見もあるかと思いますが、こういうケースもあるのだなぁと、あたたかく受け流していただけたらと思います。




*




【我が家の介護備忘録 2020/09/26】


前回の続き、その後の経過







9/20(日)
この日は一日中仕事で面会には行けませんでした。




9/21(月)
耳は聞こえるし、目は見えるけれど、もう話すことはできない父。
ふと、何年か前に行った家族旅行の写真を見せてみました。
「はっ!」と声を出して笑ったのでビックリ(笑)




9/22(火)
昨日は旅行の写真を見せたら笑ってくれたので、今度はひ孫の写真を見せてみました。
目を大きく見開いてじーっと見て、また「はっ!」と声を出して笑ってくれました。
明日もこの作戦で行こう(笑)




9/23(水)
妹が来てくれたけれど、目も開かず全然反応もしてくれなくて、がっかりして帰っていきました。




9/24(木)
朝6:30頃、病院から連絡があり、急いで母と病院へ。

父は個室に移されていて、酸素吸入器がついていました。

看護師さんから
「今朝は声をかけても返事が無いし、脈拍も下がってしまって、呼吸も自力ではできなくなってきているので、ご連絡しました。
静かにこのまま様子をみましょう」とのこと。

どうだろう…
今日なのかなぁ…
これが危篤ってことなの?


そう思いつつ、子供達や妹に連絡。

妹は、すぐ会社に連絡してお休みをもらって急いで駆けつけると言ってくれました。

父は今までになく呼吸がつらそうで、付けられている機械の赤いランプが何度も光ってピーピーと激しく鳴り続けました。

その度に、先生と看護師さんが診に来られました。


それが何回か繰り返された後、2回くらい大きな深呼吸をしました。


その後は、呼吸が止まっているように見えました。

機械の数値は0ゼロになって、波打っていた線がドラマのように真っ直ぐ一直線になっていました。


あぁ、その時が来たんだなと思ったので、心の中で
「じいじ、お疲れ様でした。よく頑張ったね。これでもう楽になれるから、ご先祖様のところに行ってね。」と声をかけました。


が、その瞬間、父の背中から大きな羽根がバサッと生えるのが(そんなイメージが)見えました。


あ、そうか、じいじは一人で自由になりたい人だった。


ご先祖様も嫌なんだね。

「わかった、いいよ、じいじ、好きなとこに行って自由に動き回っていいからね!」


そう心の中で声をかけると、何となく表情が穏やかになった気がしました。




9:27
先生が、手首と頸動脈から脈拍を確認して、瞳孔と呼吸も確認してから

「先ほど2回くらい大きな深呼吸をされてから、呼吸が止まっているし、脈も無くなったので、もうお亡くなりになっていると思います。
でも、まだ担当の先生が診られてからじゃないと死亡確認となりませんので、妹さんが到着されるのを待ちましょう。」とおっしゃってくださいました。

その2分後に妹が到着。
「たった今、亡くなったよ」と言うと

「間に合わなかったか、じいちゃんごめんね~」とポロポロ涙をこぼしていました。

ナースコールを押すと担当の先生が来てくださり、死亡確認していただきました。


父、9:32に天国に旅立ちました。


最後はちょっと呼吸がつらそうに見えたけれど、静かに眠るように逝きました。


誤嚥性肺炎と老衰で、84歳の天寿を全うしました。






*




そのあとは、経験された方々に聞いていた通り、怒涛の流れに。
エンゼルケアの間に、葬儀社に連絡、通夜葬儀と霊柩車の手配。
霊安室に移動。
霊柩車を待つ間、母と妹が荷物を車に運んでくれている間、しばらく父と二人だけになりました。
ソファに座り、「あぁ、もう霊安室にいるんだ」と思った瞬間、急に涙が溢れてきました。


父の死を実感した瞬間でした。


*


死亡診断書を受け取って、到着した霊柩車(遺体搬送車)で自宅へ。

「帰りたい帰りたい」と言って、母にしがみついていた父、ようやく帰って来れました。

帰宅するとまもなく、葬儀社の方がいらして、今後についての打ち合わせ。
前々から母と決めていた通り、小さく家族葬でとお願いしました。


それでもやっぱり、即、決めなくてはいけないことが山ほどある。
母は耳が聞こえないので、いちいち耳元で通訳をしなければならなくて、そのやりとりはかなり疲れるのだけれど
できるだけ母の希望を叶えてあげたいので、頑張って段取りを決めました。


その後、お寺さんに来ていただいて、枕経をあげていただいて、
夕方は近くに住む従弟と伯母が父の顔を見に来てくれ、父の枕元で懐かしい話をしました。
夜は母と相談しながら、写真やもろもろのことを決めたり、子供達や妹とずっとLINEで連絡をしていました。



9/25(金)
昨晩、母が父が亡くなった旨のお知らせを配ったので、朝早くから近所の方々が父の顔を見にいらっしゃいました。
(田舎はやだやだ)
その対応をしている間にも、親戚から電話があったり、子供達や妹から連絡が入ったりとバッタバタ。


9:00 葬儀社の方との最終打ち合わせ


12:00 妹と甥っ子、次女と下の孫が到着


14:00 業者の方に来ていただいて清拭、母と妹と甥っ子と私も手足を拭いてあげたり、足袋を履かせたりお手伝い
(入れ歯がちゃんと入って良かった)


16:30 迎えに来ていただいて、みんなで父を棺に入れて霊柩車に乗せて、葬儀場へ
祭壇が思っていた以上に綺麗で、びっくり
母も大喜び


17:30 長女、次女と下の孫、三女、妹家族(5人)全員が到着


18:00 通夜


18:30 通夜振る舞い
助六寿司が想像以上に美味しくて大好評、みんなでワイワイ楽しくお食事タイム(笑)


19:30 解散
私だけ宿泊、ちょっとしたホテル並みにキレイなバスルームを利用
広い部屋に、父と二人だけの最後の夜
家から持ってきた、父愛用のカラオケ練習用のカセットテープを棺の枕元に置いて大音量で流して、最後の父のカラオケタイム(笑)
でも、2時間ほどで私がギブアップ(笑)
「じいちゃん、ごめんね」と声をかけて、スマホのYouTubeに切り替え(笑)
お友達の素敵なオカリナの演奏を聴きながら、しばし癒しタイム
気づいたら記憶が無くなっていました(笑)




9/26(土)
7:30 葬儀社の方が出勤されたので、挨拶すると、私の顔を見て「昨晩は大丈夫でしたか?」と聞かれる
「そっか、そういえば、夜たった一人で葬儀場にいたんだ」とようやく気づく(笑)
ずいぶん変わった人だと思っただろうな~きっと(笑)
もちろん、朝になるまでまったく記憶が無くなっていたので、全然大丈夫でしたよ(笑)






9:30 全員集合
10:00 葬儀
祭壇のお花が思った以上にたくさんで、みんなで棺にお花を入れていくと、父が花まみれに(笑)
また、初めてだったのですが、御供え物の食べ物(リンゴ、ご飯、昆布、シイタケなど)も入れてくださいとのことだったので、
すぐ食べられるように顔の周りがいいよねと置いていったら、なんだかだんだん面白くなってきて、
頭の周りにシイタケが並び、顔の横に昆布とご飯が並ぶ図が出来上がり、みんなで大笑い
亡くなった父で遊ぶ家族(笑)
こういうのを面白がる父だから、まぁいっか(笑)


11:00 火葬場へ
霊柩車の助手席に乗ると、ドライバーさんが「病院からご自宅までお送りしたのも私です」と声をかけてくださりビックリ。
その時と同じく、丁寧な運転でした。
前もって「1時間半かかるので、お茶菓子などを持参してください」と言われて準備をしていったので、
待っている間、みんなでお菓子パーティー(笑)
父は27年も透析をしていたので、骨はあまり残らないのではないかと思っていたのですが、大腿骨はしっかりと残っていました。
入院する前までは自分でお風呂にも入れていたし、ヨボヨボだけど歩けてもいたから足は丈夫だったんだね~とみんなで感心。
喉仏もとってもきれいに残っていました。




12:30 初七日法要
火葬場から移動して、お寺で初七日法要をしていただきました。
納骨堂も見せていただきました。




13:30 精進落とし
葬儀場に戻って、精進落としの食事。
長女が東京に帰らなければならない時間が近づいていたので、慌ただしかったのですが、
食事の前に挨拶をとのことで、私からこのように感謝と御礼を伝えました。
「昨日今日と、お忙しい中そして遠方からわざわざ集まっていただいて、本当にありがとうございました。

通夜葬儀と滞りなく終えられて、家族みんなで明るく見送れたことは、本当に幸せでありがたいことだと思います。

いつも、勝手気まま、自由きままなじいちゃんでしたが、この家族を築いてくれたことは何よりの功績だと思います。
最後に、じいちゃん(*^ー゚)b グッジョブ!!
と言ってあげたいと思いますし、きっとじいちゃんも喜んでくれると思います。

これからは、ばあばが一人で寂しくなると思うので、無理のない範囲で時々顔を見せてあげてください。

本当にありがとうございました」


食事は、通夜振る舞いと同じくとっても美味しくて、やっぱりみんなで楽しい食事会をなりました(笑)


15:00 
食事を終了し、帰宅。
30分後に葬儀社の方がいらして、位牌や写真、お骨の置き方などを教えていただきました。




19:00
それぞれが、それぞれのタイミングで帰っていって、ようやく静かな我が家が戻りました。


母は
「家族だけで明るく見送れたし、思った以上に華やかに丁寧にやってもらえて本当に良かった。家族葬にして本当に良かった。」
と大満足で喜んでくれたので、ホッとしました。


翌日、妹からもLINEが来て、妹の旦那さんの感想を伝えてくれました。


母の代わりに、すべてを任されていたので、ようやく肩の荷が下りた気がしました。






*






昨年の2月に認知症が悪化してから、何かある度にブログに残してきた父の介護備忘録。


私も若くないので、母の時に忘れてしまわないようにという思いもあって記録してきましたが、これで終わります。


わからないまま、常に手探りで、決して十分ではなかったと思いますが、母と二人、全力でやれることをすべてやり切った感で今はいます。


父が介護が必要になった時、先に介護を経験された方のブログを読んでいたことが、とても参考になり助かりましたので、
このブログも誰かのお役に立てたら嬉しいです。

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