謹賀新年、紅白ももクロ感想 | アンチャンのブログ

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ジャズ・フルート奏者にして東大准教授、
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明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。また早々にお年賀をいただいた皆様には感謝申し上げます。


去年までは紅白歌合戦などろくに見ることはなかった。去年はももクロの初出場ということで初めて真面目に見た。だが、それが気になってしまい、他の部分にはあまり集中できずにいた。今年はももクロも二年目なので多少落ち着き、じっくりと見ることができた。といっても、ももクロ以外は適宜早送りしつつだったが。


色々と工夫が凝らされており、全体として予想以上に楽しく見れた。あまちゃん関係も楽しい。綾瀬はるかの大ボケ小ボケもいい。彼女の歌のあたりも素直に感動的だった。


もちろん、色々な業界の思惑もあるのだろうし、いずれにせよ視聴者の誰もが満足するように組み立てることなど不可能である。個人的には、Linked Horizonや、(当然とはいえ)特にE-girlsの初出場を喜びたい。水樹奈々とT.M.Revolutionのコラボや、ポルノグラフィティなども、思いの外よかった。


ただし、ケチをつけだしたらきりがない。たとえば、ゴールデンボンバーが「女々しくて」で二年続けてというのは、多少首をかしげたくなってしまった。ゴールデンボンバー自体は大好きだし、単純に余興ということでもあるのだろうが。またAKBグループも嫌いではまったくないし、数の力もあり、とても可愛く華やかだったのは疑いない。そしてAKB48本体についていえば、大島優子の卒業発表というサプライズ(?)を入れ、それに合わせて名曲「ヘビーローテーション」をもってきたのもいい。しかも少なくとも一部は生歌のようにもおもえたし。さらにその前に歌った「恋するフォーチュンクッキー」は、レトロ感と安心感を備えた秀曲である(私は少なくとも現時点におけるAKBの魅力の一つは、一種の安定した懐かしさにあるとおもっている。彼女たちのライブを見ると、今やかすかな寂寥感の入り交じった、安心感やノスタルジーを感じてしまう)。「フォーチュンクッキー」の振りコピ(ダンスを真似ること)がヒットしたのもけっして偶然とはいえないとおもわせる、その卓抜な振り付け。だが、さすがにAKBグループを三つも見させられると、いささかくどい気がしてしまうのである。ハロプロ系など、他にも色々と呼べるだろうに。


で、ももクロである。あまりに手前味噌的なので、いうのに気が引けるが、やはりももクロは明らかに群を抜いていたとおもう。このように(一応)今の日本を平均して代表する歌手たちを横並びにして、しかもライブでみることができる企画だと、ももクロの突出ぶりが余計に目立つのである。なるほど、実力、キャリアの厚み、歌唱力等々の点で、ももクロを上回る出場者は多かったかもしれない。また、出場者同士を単純に比較できるような問題ではない、というのも確かである。


しかしとにかく、ももクロはまず何よりも、歌詞がぶっ飛んでいた。ももクロに割り当てられた部分の前半では、仏教用語を散りばめた「GOUNN」を歌ったのだが、このような珍妙な歌詞をもつ楽曲を歌った出場者は他にいない。しかも単に奇をてらったものではなく、深い思想的なものを含んだ、かつ震災後の日本にもマッチした歌詞なのである。(この歌は、釈迦に対する一種の恋歌としても読めるのではないかとおもう。これについては後日考えたい。)


震災ということでいえば、今回の紅白も、震災復興支援、あるいはその癒しというテーマが強く出ていた。それも手伝って、確か特別審査員の宮本信子もいっていたとおもうが、絆、思い遣り、愛、希望等々といった、深い感動を誘うようなタイプの歌が多かった。ももクロが突出した印象を与えた一つの要因はそこにあるかもしれない。それらの「感動的」な歌唱の中では、あまりにも弾けているのである。とはいえ、ももクロの歌詞のテーマは、深い層において、震災復興支援ソングともなっている。ただそれを、「愛」とか「絆」とかいった、手垢の付いたありきたりの言葉で表現しないのである。だからこそ新鮮なのだろう。


ももクロは、歌詞のみならず、衣装でも突出していた。奇抜な衣装を使った出場者が他にも多かったことはいうまでもない。だがなんとももクロは、電子的に光る光背を背負った、西方的な仏像(菩薩像)の姿で登場したのである。少女アイドルであるにもかかわらず。メンバーはそれを「金閣寺」だと説明していたが、いずれにせよあまりにもぶっ飛んでいる。




その後、早変わりして、(相対的に)アイドルらしい衣装になった。この早変わりによる変化は、以前、ももクロの秋の『GOUNN』ツアーについて書いた、聖から俗へ、荘厳からグダグダへの変化を、短時間に凝縮したようなものといえるだろう。そして定番の「走れ」を歌った。ももクロファンである審査員、楽天の田中将大投手をも――おそらく勝手に――絡めつつ。


早変わりの直後には、「走れ」の歌詞を変え、「今年も答えは出せないよ」として歌うとか、天上から差す青い光を用いるとか、ももクロを脱退し、紅白の審査員席に座ることを約束した、しかし今年もそれを果たせなかった青色担当、あかりんへ向けたメッセージを挿入していた(前者には、この紅白、さらには初春に予定の国立競技場ライブがけっして最終地点ではなく、ももクロはさらにその先へと進むという意味もあるのだろうが)。去年も同様であったが、ももクロの事情をよく知るファンにはたまらない仕掛けである。


とはいえ、それはあくまで内輪のファン向け、オタク向けに閉じたメッセージにすぎない(ももクロ・ファンということでいうと、会場のNHKホールでも、客席から「うりゃオイ」というももクロ特有のかけ声が力強くかかっていたのに心打たれた。特に「うりゃ」を担当する、いわゆる「うりゃノフ」が多いのは喜ばしい)。むしろももクロが突出していたのは、以上のぶっ飛んだ歌詞、衣装はいうにおよばず、さらにはaikoの応援に闖入する、しかもれにちゃんがあまりに珍奇な衣装で闖入するといったおちゃらけもさることながら、それらに加えて、何というかパフォーマンスの「真摯さ」のようなものにあったようにおもう。つまりあまりにはっちゃけ、ぶっ飛んでいながら、メンバーはあくまでひたむきであり、媚びるというのではなく、ただただ一生懸命なのである(その点であまちゃんや能年さんにも通ずる)。しかもAKBグループの人海戦術とは対照的に五人であるというところにも、切り詰められた切迫感があり、ひたむきさがいっそう強調される結果となった。


今回それが特に表に出ていたのは、ももかだったように感じた。「GOUNN」の歌い出しは、今回の形ではももかのソロになるのだが、それも力強い出だしでよかった。さらにその後、全員が歌に入ったとき、音程はまあまあそろっていたが、リズムが若干乱れてしまった。しかしそれに続いて、ももかの短い聴かせどころのソロ部分(「甘露の匂い」=これも仏教用語)になり、それを彼女が雄々しく歌い上げることで、きっちりとした締まりを生み出していた。これには正直感動した。


珍妙な衣装を着て、ぶっとんだ歌詞を歌いながら、かくもひたむきである。これはたとえば、ゴールデンボンバーと対照するとまったく違う(ゴールデンボンバーはそれはそれでよいのだが)。しかも全員満面の笑顔であるのに、媚びがない。これはたとえばAKBの色気や媚びと対照すると、違いがよくわかる(AKBの媚びもそれはそれで実によいのだが)。今回の「GOUNN」の衣装にしても、正直、少女、女性としての魅力を引き出すには最も向いていないものだったといってよい。特にももかにとっては、かなり気の毒ですらある。だがその色気を排した中性的な感じ、しかもおふざけではないその感じが、独自の魅力を醸し出していた。


要するに、悪くいえば素人臭いのだが(とはいえ実は彼女たちはもはやベテランである)、良くいえば、純粋であり、素のままである。そういうごく普通の、日常的な少女たちが、媚びもせず、ひたむきに頑張り、満面の笑顔をたたえたまま、突拍子もない次元へと突入し、超越してしまう。この、「自分の中から みちびく 未知の力」がもたらす「ほんものの奇跡」(「GOUNN」)。それを再び存分に堪能できた紅白だった。