前回のブログは奴隷貿易のはじまりと発展についてでした。今回は奴隷貿易の革新について紹介したいと思います。
 
 奴隷貿易が発展していく中、下記の理由で、奴隷貿易が停滞しそうになりました。
 
 なぜ奴隷貿易に停滞していきそうになるのでしょうか?
 
その理由は下記①②です。
①供給不足化
 奴隷となる黒人が減ってきて、以前より黒人の捕獲が困難になっていき、奴隷コストが徐々に向上
  
②長期的な貿易赤字※1で中南米地域の貧困化
※1貿易赤字は輸入額が輸出額を上回ること。
・貿易黒字側(西アフリカ):奴隷を売ることで、武器を得て、他国を侵略することで略奪し富を得る。
  
・貿易赤字側(中南米):売るものとしてプランテーションによる農作物があるが、西アフリカは一般人は高くて買えないため、売るものがなく、奴隷購入で銀などで払うことになります。中南米側は売るものは少なく、買うばかりなので、貧乏になっていきます。

 わかりやすくするため、現代の日本で考えると、自動車、電気製品など世界に優れた製品があるため、輸出で収入を得ることができ、裕福になっています。


 もし、日本に自動車、電気製品など、海外がほしいといわれるものがなければ、石油、ガスなどの輸入お金がでるばかりで、さらに自動車・電機メーカーの大量の雇用もなくなり、負のスパイラルにはいってしまいます。
 
 
 そういった停滞になりそうな中、イギリスが奴隷貿易の革新をおこしましたが、それは何でしょうか?

  
 答えは三角貿易または三国間貿易です。
 
 三角貿易は上記②の長期的な貿易赤字を解消させるものでした。
 
 では、イギリスはどのようなことを考えたのでしょうか?
 
 その結論にいたるまでの過程も考えたいと思います。
 
 それには各国・地域の需要(ほしいもの)と供給(売りたいもの)について考えます。
 
■イギリス
①ほしいもの:原綿(綿花)※2、染料、砂糖・コーヒー・紅茶※3、タバコ、鉄、鋼、香辛料
※2 綿製品を大量生産するには大量の原綿が必要
※3 17世紀から18世紀にかけて、イギリスをはじめとするヨーロッパではコーヒーハウス、喫茶の風習が広まり、砂糖の需要が急激に高まった。
 
②売りたいもの:綿布・綿織物※4、毛織物などの工業製品、武器、お酒、日用品、銀
※4 産業革命(工業革命)で綿布、綿織物などの綿製品の大量生産が可能
 
 
■アフリカ(主に西アフリカ)
③ほしいもの:綿布・綿織物※5、武器、お酒、日用品
※5 保湿・吸水性にすぐれ、肌ざわりもよく、安価で装飾に適する
 
④売りたいもの:奴隷、金※6、象牙
※6 ポルトガルがはじめてきた1480年代は豊富に金があったですが、金が枯渇するようになり、奴隷の輸出がメインとなりました。
 
 
■中南米(主にキューバ、バハマなどの西インド諸島)
⑤ほしいもの:奴隷※7
※7 大量生産では黒人奴隷の労働力が不可欠。
 
⑥売りたい物:プランテーションの農作物※8
※8 主な農作物は砂糖、綿花、コーヒー※9、タバコ※10、インディゴ※11
※8 プランテーションは大規模工場生産の方式を取り入れて、熱帯、亜熱帯地域の広大な農地に大量の資本を投入し、先住民や黒人奴隷などの安

価な労働力を使って単一作物を大量に栽培する大規模農園のこと。
※9 産地としてブラジル、コロンビア、ジャマイカなどで現在も有名です。特にジャマイカは最高級とされるブルーマウンテンがあります。
※10 葉巻ダバコの最高級品キューバ産として、今も有名です。
※11 青藍を呈する染料、顔料、絵具に使用で、大量の綿製品を青色に染めるため、需要が非常に高かった。
 
 上記の①~⑥の国・地域のほしいもの、売りたいものを比較すると何がいいたいかがみえてきたことでしょう。
 
ご想像どおり、下記ルートの貿易が成立します。
②≒③ イギリス→アフリカ
 
④≒⑤ アフリカ→中南米 ※12
※12 主なものは奴隷だったため、「黒い積み荷」といわれています。奴隷貿易は黒人を商品として扱っています。
 
⑥≒① 中南米→イギリス ※13
※13 主に砂糖、綿花だったため、「白い積み荷」といわれています。
※13 インドから綿花、紅茶、香辛料、インディゴを輸入していました。綿花は南北アメリカ産より質のいいインド産の方が人気がありました。
 
 上からわかるようにイギリス→アフリカ→中南米→イギリスと海上運送すると需要と供給がぴったり合い、効率的な貿易ができ、いままで問題だった長期的な貿易赤字が解消され、持続継続しやすい貿易ができます。
 
このような3つの国や地域が関係している貿易を三角貿易といいます。


 下写真はガーナ国立博物館にあったパネルです。奴隷貿易ルートがわかっていただけると思います。

 パネル下部の4つの地図は奴隷が発着地と線の太さで人数がわかります。左から16世紀、17世紀、18世紀、19世紀になります。

 やはり18世紀のナイジェリア、カメルーン、ガボン、コンゴからの奴隷が多く、時代とともに奴隷の中心地が東に移動(シエラレオネ→ガーナ→ベナン→ナイジェリア→ガボン・コンゴ)していることもわかっていただけると思います。
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さらにイギリスの考えた三角貿易はさらに効率的なことがありますが、何と思われますでしょうか?

 

答えは海流です。下記のように海流にのり、航海期間も短くでき、三角貿易がより活発化していく要因の1つです。
・イギリス→西アフリカ:カナリア海流

・西アフリカ→西インド諸島:南赤道海流

・西インド諸島→イギリス:メキシコ湾流・北大西洋海流


イギリスはさらにこの三角貿易をさらに発展させます。


西インド諸島に加え、北米※14も加わります。

■北米の南部
⑤ほしいもの:奴隷※14、毛織物、絹織物、リンネル※15、綿織物、金属製品、砂糖、コーヒー、紅茶、タバコ
※14 南部に多くの黒人奴隷が増え、南北戦争、アメリカの奴隷解放宣言につながっていきます。
※15 亜麻の繊維を原料とした織物
 
⑥売りたい物:プランテーション農作物(綿花、米、タバコ、インディゴ)


■北米の北部
⑤ほしいもの:毛織物、絹織物、リンネル、綿織物、金属製品、砂糖、コーヒー、紅茶、タバコ
 
⑥売りたい物:木材、魚、毛皮、ラム酒


北米の南部の貿易から、北米の北部でも三角貿易に加わり、
イギリス→西アフリカ→西インド諸島→イギリスのルート以外に、

下記のような貿易ルートが派生してきました。


イギリス→西アフリカ→北米→イギリス


イギリス→北米→西インド諸島→イギリス


イギリス→西インド諸島→北米→イギリス


北米⇔西インド諸島(北米ニューファンドランド沖産の塩たらが特産物)


このように英国の奴隷貿易は盛んになり、英リチャードソンの推計では、1698~1807年の110年間に、奴隷輸出総数は約300万人で単純に平均では年間2.7万人強の奴隷が輸出されています。


下写真はエルミナ城をでて、中南米に向かう船にうつされる場面です。
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