アルバニアは、モンテネグロ、マケドニア、ギリシャと国境を接し、欧州では珍しく国民の過半数をイスラム教徒が占める国です。



 「欧州最貧国」の1つとして知られいるが、前にも述べたように、この国の有名人は、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ(マケドニア生まれのアルバニア人)がいます。

 

 アルバニアは世界でも特異な政治を行っていました。



 なんと、第2次大戦直後から半鎖国状態となり、1978年には完全な鎖国体制にしたのです。



 それも90年代初頭まで鎖国がつづきました。

 

 さらに、鎖国を解き、市場主義経済導入と同時に、「投資会社」と名乗る無限連鎖講(ねずみ講)が流行り、月利1035%という投資利回りに引き寄せられた人々が殺到しました。

 

 

 それも国民の3分の1が投資し、当然崩壊して、多くの国民の財産が失われました。

 

 鎖国といい、国全体でおこったねずみ講とアルバニアはかなりお騒がせの国です。



 さて、今回はベラトという町の世界遺産を見ました。



 ベラトは、アルバニアの中央部にあるトルコ人の町が良く保存された稀な町で、千の窓をもつ町として有名です。



 人口は約65千人、住民の多くはイスラーム教を信仰しています。


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街の中を歩いてみました。保存状態がよく綺麗でした。


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 次に、アルバニアにはアポロニアというローマ遺跡があります。

 

 マルクス・トゥッリウス・キケロ(共和政ローマ期の政治家、文筆家、哲学者)はアポロニアを大きな重要都市と言い、ローマの統治下で繁栄しました。



 また、アポロニアは学問の町として当時、有名で、かの初代ローマ皇帝オクタウィアヌスは紀元前44年にアポロニアに滞在し、ここで教育を受けました。



 オクタウィアヌスがカエサルの暗殺を知ったのもアポロニアの地でした。


 しかし、3世紀に発生した地震でアウス川の流路が変わったことで、港には泥が堆積するようになり、内陸部はマラリア病が発生する湿地に変わり、アポッロニアの衰退していきました。

 

 現在は発掘が進んでおらず、見られる遺跡はごく一部です。



 下の写真はアゴノテテスの記念館で、アポロニアの遺跡の中心にあります。


 前面にコリント式の6つの柱が並ぶ半円型の構造の建造物で、主に市議会の会議場として使用されました。

 

 2世紀半ばに彫られた碑文によると、アポロニアの高位にあったある役人が、死亡した兵士である兄弟を追悼する目的で建立したと書かれています。




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