古い建物に囲まれた石畳の広場の一角で
修道女がひとりの少女の手を握りしめていた。


少女の父親は戦場に連れて行かれ、母親は病に倒れ床に臥せていた。
自分より小さな弟妹を抱え、今日食べる物さえない状況だった。


修道女は、ひび割れて血がにじむ少女の手を優しく温かく握りしめていた。


大丈夫。
貴女は神の子だから、神はあなたたちを見捨てない。
貴女はこの世の希望なの。
貴女には素晴らしい未来があるの。
祈ってください。
甘えてください。
貴女の本当の親である神に。


少女は修道女の優しい目からあふれる涙を見つめながら、うなづいた。


あれから何年の月日が流れただろう。


少女は今、あの頃の自分と同じように日々の苦しみに悩む人たちを救おうと、主に仕え、主の思いを多くの人々に伝えようと日々聖業に努めている。


なぜか今、ジャイアンはのび太に対し厳しい。
でもその理由があまりに理不尽なため、のび太はもちろん、周りの友達からも冷ややかな目で見られている。

それでも、のび太はジャイアンのご機嫌を伺っている。

しかも、のび太に手を差し伸べようとしてくれるしずかちゃんの優しさに対しては、つれない返事ばかり。
しずかちゃんは、ややあきらめ気味だけれど、それでもちゃんと見守ってくれている。

スネ夫は相変わらずジャイアンの腰ぎんちゃく。
つい先日ものび太の友達のおもちゃを壊しておいて、証拠もあるのに「知らぬ存ぜぬ」の不遜な態度。

スネ夫には、昔から大事なものをとられているのび太だが、「返してくれ」とすら言えない。(ほんの一部は帰ってきたが)
スネ夫が怖いのか、ジャイアンが怖いのか・・・・。


のび太にはのび太の悩みもある。
お父さんは最近、いやずっと前から左翼思想が強く、お母さんにもその悪い影響が浸透しているからややこしい・・・・。
最近はとみにジャイアンびいきだ。

肝心のドラえもんは、よい道具は出してくれるのだけれども、のび太自身その良さも使い方もよくわからず放置状態。
本当は、道具を使えばのび太ばかりでなく、周りのみんなを幸せにできるのに・・・・。


この状態、何処かの国同士の現状に似ているような・・・・。

ジャイアン=中国
のび太=日本
しずかちゃん=アメリカ
スネ夫=北朝鮮
のび太のお父さん=日本のマスコミ
のび太のお母さん=日本国民
ドラえもん=日本の科学技術

*注意*
もちろん、実際「ドラえもん」の中のジャイアンもスネ夫も心根は優しい子で描かれていますよね。
本当は、中国も北朝鮮もそうなのかもしれませんが・・・・。

自分の子供たちに、今の世界情勢を分かりやすく伝えるために、「ドラえもん」で例え話を作ってみました。
「よくわかった。」と好評でしたよ

「維新の志士達のお墓には行けるが、

太平洋戦争で亡くなった方々への供養はできない。」

日本国のために命を捧げて下さった英霊に、どんな違いがあるというのだろうか?

そこには、何か国益を忘れた「私心」だらけの自分はないだろうか。

母は僕が小学校に上がる前に逝ってしまった。


それからは、父と二人っきりで暮らしてきた。


母がいなくてさびしくないと言えば嘘になる。


友達が母親と仲良く話をしているときには、つい目をそらしてしまう。


「僕には父さんがいる!!」




「お父さんが倒れた。」


叔母からその知らせを聞いたとき、「何かの間違いだ。」と思った。


だって父さんはいつも元気に仕事に出かけていたから。


病室に入ったとき、父さんの顔を見て驚いた。


何処かのおじいさんが寝ているのではないかと思った。


父さんは僕を見つけると手招きした。


「ありがとうな。心配するな・・・。もうお前は一人で生きていける。」


「何言ってんだよ…。俺まだ19歳だぞ・・・。」


父は最期にこう言った。


「今度生まれ変わったら、お前の子供になりたいな…。」



僕は、煙になって空に上がっていく父さんに向かって叫んだ。


「生まれ変わっても、俺はいつも父さんの子でいたい。」




「自然との共生」という言葉がぴったりの、世界遺産「白川郷」を満喫してきました。

「時がゆるやかに流れていく」ということはどういうことなのか・・・・
わかった気がします。

「家族のキズナ」がこの遺産のテーマでないか・・・・・
と感じたのは、今こんな時世だからでしょうか。

高校生Hさんの告白


児童養護施設の職員とけんかして家出をしたこともありました。

職員の中には、「もう高校生なんだから落ち着きなさい。」と言う人もいます。

「そんなに突っかかるな。」ということでしょう。

でも、人が軽く言ったことでも聞き逃せないことは「今何て言ったの?」と突っ込んでしまう。

言い方も気にするけど、何気なく出た言葉に反応するんですよ。


たとえば

「私もあんたに妥協している。」

「お前らのためにどれだけ我慢したと思っているんだ。」

などと言われたり、子どもに対して仕事で仕方なくやっているって態度が見えたら、もう駄目ですね。

私たちは今の環境を選ばざるをえなかったし、来たくて来たわけではない。

でも職員は選んで職員になったわけで、そこは決定的に違うわけでしょ。

だから、そういう態度は絶対に許せない。


職員の行いで今でも嫌なのは、勝手に部屋に入ってくることです。

私がたまたま部屋で食事をしていたら、職員がまたそういう風に部屋に突然入ってきたんです。

私はもう我慢できなくなって、食べていたものを全部床に放り投げたんです。

初めは私の振る舞いに怒鳴っていた職員が、今度は突然泣きながらこう言いました。

「いままでお前の言うことを全部聞いてきたじゃないか。自分がどれだけ我慢したと思っているんだ。」


そもそも、私の何に職員が「がまん」してきたのか全然わかりませんでした。

施設に来る子供はみんなそれぞれ比べ物にならない位の事情を抱えて、それでも我慢するべきことは我慢して生きているんです。

職員は感情的になったときに「妥協している。」「言うことを聞いてきた。」「我慢してきた。」と口をそろえて言うけれど、そういうことで人を傷つけていることに気付かないんですね。

子ども同士でも我慢していることもあるし、そいうことを「我慢している。」と子供はいちいち言いませんよ。



この前、仏壇の前で母と30分くらい「話」したんです。

「ママが死んでしまう前に戻れるならその方がいいけど、ママが亡くなってから私が過ごしてきた人生も、私にとってマイナスではないから、これからも護ってくれる?」と。

母が死んでしまったのは悲しいけれど、いいこともあったかもしれないと考えるようになったんです。


やっぱりここまでやってこれたのは、心の支えがあるのが大きいです。

一人は警察に行くときに付き添ってくれた親友。

彼女がいなかったら、今どうなっていたかわかりません。

本当に感謝しています。

今住んでいる家にしても、母が飛び降り自殺した部屋にそのまま住んでいるわけだから、

ベランダに立つと思いだすんですけど、そういうことがあっても明るくしていられるのは、親友のおかげかなと思います。

彼女とは今も仲良しで、よく飲みに行っては「あなたのおかげだよ。」と話しています。


それから恋人と母。


あと、笑うかもしれないけれど頑張った分だけご褒美をくれる神様がいると信じているんですよ。(笑)

頑張らないとご褒美もくれないから頑張れる。

その神様は母が亡くなった後くらいから私のところに来たんです。

実際、その神様のおかげだと思えることがいっぱいありました。


色々悲しいことや辛いことがあった方が喜びも大きくてうれしいじゃないですか。

だから、大変な思いはしたほうがいいと思うんですよ。

その方が楽しいことも実感できるはずですから。


いつかは好きな人と結婚して幸せな家庭を築きたいと思っています。

うまく表現できないんですけど、子どもたちが大きくなってから、

「いいお母さんだったよね。」というのではなく、毎日の生活の中でずっと「お母さんのこと、大好き」と言ってくれる、そういう家庭を作りたいんです。(笑)



・・・神様はその人が乗り越えられない試練は与えない。・・・

児童養護施設に入った理由は、父の壮絶な暴力でした。

「このまま家にいたら殺されてしまう。」と、親友に付き添ってもらって警察で事情を話して、

その日のうちに児童相談所の一時保護所に行くことになりました。

それが中三の時です。


もともとは、父と母、私、弟二人の五人暮らしだったのですが、私が小学三年生の時に母が自殺してしまいました。

母は住んでいた部屋の窓から飛び降りたんですけど、やはり原因は父の暴力でした。


飛び降りた日も、父は母のことを前の晩から休みなく殴っていました。

多分、母は突発的に飛び降りてしまったんだと思います。

何日も暴力が続いていましたので、「ママが殺されてしまうのでは。」と思って気が気ではありませんでした。


「ドスン」という大きな音がして「落ちた。」という叫び声と同時に父が玄関から飛び出して行きました。

母の体はテレビドラマや漫画に出てくる人みたいに、全身あざだらけでボロボロでした。

弟と抱き合って「私たちの命を半分あげてもいいからママを助けて!!。」と一生懸命に祈りました。


母はかつて警察にも逃げ込んだことがあるんです。

でも警察は「帰りなさい。」といって何もしてくれなかった。

母を助けてくれる人は誰もいなかったんです。


・・・

「暴力」はその人に対する甘えです。

結局、自分独りでは問題を解決できない人間であることを、自ら証明している行為なんです。

暴力の先にある絶望的な悲劇まで、思いが至らないのです。

・・・

脱サラして、様々な苦難困難を乗り越え、つい先日社長業を引退した父。



東京での苦しい修業に耐えて、地元静岡で美容業を営みながらも、私が持っていくお弁当は決して手を抜かなかった母。



身近過ぎて気付かなかった達人、ふたり。



どんなに苦しい時でも私の教育にはお金を惜しまなかった…。


ありがとう・・・・


これからは、子供達にお返しです。



あなたに何かを教えてくれる輝人をご紹介します

社会の人たちに言いたいのは、「とにかく施設にいるということで差別をしないでほしい。」ということ。


施設の友達がアルバイトの募集で面接に行ったら、養護施設にいるということで、

「うちはそういうところの人は採らないんだ。」

と言って断られた。


「そういう所」って、親がいないだけのことでしょう。

でもそうなったのには人それぞれの事情があるんですよ。


もしそういうことを言っている奴が、同じ目にあったとしたらどうするんだろう。

同じ現実にぶち当たったら、そういうやつらがどういうことを言うか楽しみですね。


「そういうところの人は採用しない。」

自分が言われたらどんな気持ちになるか考えない人なんて、全然だめですよ。

俺はそういった意味で心の広い人間になりたいです。



高校生交流会(養護施設の高校生が集まり、施設生活での希望や悩みを語り合い、共感と連帯を培いながら自らをも見直す集まり。)でのS君の発言から抜粋。


子どもが語る施設の暮らし/著者不明
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