6/8 UFOに関心を持つ方々は日本で起こった、”介良村UFO捕獲事件”を良くご存知だと思います。
よくご存知ない方はここで事件の詳細は記しませんので、ウィキペディアとか検索してみて下さい。
そして以下のレポートを是非読んでみて下さい。
以下の記事はJSPS(日本宇宙現象研究会)大阪支部の林支部長によりますので、著作権は林さんに属します。
*また掲載画像は無断転載お断りします。
当事者の少年が描いたスケッチ
介良村UFOのレプリカを持つ林支部長
JSPS幹部会の様子;中央は並木会長
介良探訪の記・高知編その二
2007年3月31日(土)
1.『鋳物製UFO説』破綻する!
①新大阪駅8:46発の『ひかり451A』3号車(自由席)に乗車。9:38岡山駅着。『南風5号』(9:52発)で土讃線を南下。高知到着が12:24。高知駅構内の日本観光連盟の窓口でビジネスホテルを予約。昼食後、手荷物を引っ張ってホテルへ徒歩約15分間。準備不足を補うため路面電車やタクシーに乗り、ベスト電器、ヤマダ電機、コジマ(電器)と3店舗を徒歩移動、乾電池等を購入。面白かったのは、路面電車内で知り合った75歳位、一見頑固そうだが親切な田悠(たどころ)さんという方で高知県の歴史に詳しい方であった。ほんの10数分の間に『高知(県)の成立に関する講義』を拝聴した。少し勉強になった。
②ヤマダ電機高知店からタクシーで介良の『黒石鋳工所』へ、一人で残務整理をなさっていたという工場長に直撃質問。「…何の用事で着たがか?」「はい、実は30年以上前にこの近くの当時中学生が小型のUFO、と言うか、不思議な物体を何度も捕まえた…という事件を調査に来ました。」「ああ、そうなんか、うわさには聞いてたけんど、あんたがそうがか?なるほどなあ…」といった会話の後、工場長に確認できたのは次のとおり。
⑴物体のモデルは『特注(特別注文)』なら、どのような物でも鋳物で作成可能。
A.『特注製品』の制作費は、概算で数万円(3~5万円程度以上)。
B.「ステンレス製品」の場合は、上記の最低5倍はかかる(20~30万円程度以上)。
C.以上により、「介良事件のUFO鋳物モデル説」は事実上破綻。
⑵鋳物にも多くの種類があり、色合い等も異なる。何色にでも塗装可能。通常は銀色。
⑶鋳物は「鉄(比重7.9)に炭素を混合」したものだが、通常、比重は7.4程度。
A.直径18cm、厚さ1cmの「円盤部分」の重さは約2㎏。物体上部の部分も約2㎏、つまり『鋳物製の介良モデル』があれば少なくとも3~4㎏程度の重さ、と考えられ、「介良UFO鋳物製説」は重さの点でも破綻(実物は、約1.5㎏という…)。
⑷鋳物製品は一晩の雨で腐食し、「真っ茶色」に変色してしまう。元の色に戻すには、機械で磨くしかない、手で磨いても元には戻らないという。
※これにより、「介良UFOは同鋳工所の鋳物の一部を利用・加工説」も基本的に破綻。
⑸「ステンレス」(鋳物ではない)で作れば、錆びにくいかほとんど変色しない。
※誰か成人が大金を投じて使っていた「灰皿様の物」を利用しての森 裕詞君によるマジック説も、かなり説得力に欠ける。
⑹鋳物は硬いものもあり、落としたり、金づちで叩いても壊れないものもある。
⑺「木製の介良UFOモデル」の原図(スケッチ)から、自動車のタイヤに使う部品(ハブ)に似ているが、同じではない。ハブはもう少し大きい(直径350mm位?)。
⑻その他」
2.介良の歴史等の聞き取り
介良の歴史や地名の言われなどを知るため、介良の『ふれあいセンター』(元、支所=役場)へ行き、中島 嚴(なかじま・いわお)さんをご紹介いただいた。初めてお目にかかったにもかかわらず、快く出迎えていただいた。藤原貞夫君や小島 慶君らとの連絡をつけたかったため、一度ホテルへ戻り、再度、中島 嚴さんのご自宅へ直行。同氏に「介良の歴史など」をじっくりとお聞きした。約2時間後、同氏宅のすぐ目の前の妹背(いもせ)橋を渡り藤原君に電話してみたが「今日は同窓会で遅くなりますので…」という奥様のご返事のため、3月下旬に連絡済みの東山郁夫君を呼び出した。
3.東山郁夫君の証言(20:10~23:00頃)
3月末にしてはひんやりと感じる介良の夜。わざわざ車で出迎えてくれた東山郁夫君の車で数分。案内されて初めて思い出した「そういえば、以前に訪れた家やなあ…」。後ほどの彼との会見で判明するが、約31年前(同君が高校2年次)に訪問し聞き取り調査したことがあったのだ。以下、会見が長時間に及ぶため、会見内容の要約をご紹介する。
A. 東山郁夫君は「あくまでも自分は、今回の(介良)事件の中心的存在ではなく、いわばその他大勢の一人だった」という立場で証言。
B. 彼自身、自分の体験以外については若干の疑問も抱いていた。理由はやはり、(介良事件の)『物体が消失すること』である、という。その観点から、「今回林さんから連絡頂いた時、もしかして物体消失のからくりでも判明したのかな?とも考えた…」ただし、自身が『(なぞの)物体を捕獲したのはまぎれもない事実』だと主張。
いまだに『物体の消失』は、説明がつかない。「信じられない」としか言いようがない。
C. 「森 裕詞君、藤原貞夫君、葛岡寿明君」の3名が日本TVに初めて出た後、瀬尾道雄君を除いた8名が矢追純一氏取材の『木曜スペシャル』(同日本TV系列)に出演。自分自身も「藤原貞夫君、葛岡寿明君」と3人でフジTV(多分、小川宏ショー?)に出演経験あり。いずれもTV局よりの出演依頼、両親の許可を受けた。
D.その他、東山君自身の体験談・意見・感想など
a.『物体』を捕まえたきっかけは、森 裕詞君や小島 慶君たちが中学校の教室内で何かコソコソとひそひそ話しをしていたため。何事かと聞いてみたら、「何か変なものを捕まえた…」という話だった。詳しく聞くと、「…横堀団地近くの田んぼの中で『変な物体』を捕まえたが、ナップザックの中に入れておいたら消えてしまった。あれは一体何がやろうか?…」という。この時点で、少なくとも自分自身は『空飛ぶ円盤』とか『UFO』ということばさえ知らなかった。おそらく、他の連中も同様だった、と思う。自分が物体を捕まえるまでには、クラスの大半(多分14~15名位、ただし男子のみ)が『物体探しを経験』したはず。
そのため、藤原貞夫君がみんなを代表して池 幸一氏と関 勉氏に連絡した記憶がある。多分、池 幸一氏の高知放送のラジオ番組を聴いたことのある誰かが言い出した、と思う。ただ、自分としては実際にその物体を捕まえるまでは『事件全体』については、正直なところ、半信半疑だった。
b.実際に物体を捕まえたのは、素手だった。(ゴルフ練習場の明かりを除き)ほぼ真っ暗な田んぼの中で物体を発見できたのは、物体の下部が「チカチカと点滅していた」から。捕まえる瞬間は少し躊躇したが、捕獲経験のあるだれかが「だいじょうぶ、怖がることはないきに!」と言ってくれたから。物体をどうするか相談したところ、「…明日、中学校の担任の先生(村岡 諄子さん、理科の先生)に見せに行こう!」ということになり、とりあえず東山郁夫君の自宅へ持って行くことになった。
林支部長が所有するレプリカ(旧作)、現在は3Dプリンターで製作されたレプリカを所有
底面のデザイン”青海波に千鳥”
当事者の少年が描いたスケッチ
当事者の少年が描いたスケッチ
@Kz.UFO現象調査会