kyupinの日記 気が向けば更新 -4ページ目

パリオリンピック2024

現在、パリオリンピックが始まったばかりであるが、スポーツ好きなので、毎日睡眠不足で大変である。僕は柔道が好きで、ほぼ毎日、生放送をテレビで観ている。時差の関係でメダルラウンドは夜11時直前に始まることが多く、終わるのは1時半から2時頃。しかもかなり集中して観ているため終わった時はもうヘトヘトである。

 

つまり、生活が完全にオリンピック観戦にシフトしているのである。

 

過去ログではノソフ選手という記事をアップしているが、これは柔道の面白さを書きたかったからである。

 

 

オリンピック序盤、柔道の競技が終わるまで、たとえ日本が負けてメダルが取れなかったとしても、金メダル決定までは男女とも全て観るが、時間が遅くなり表彰式までは観られない。そのような日は、表彰式は翌日録画で観るようにしている。

 

実は表彰式にも十分に面白さがあると思っており、日本が2回戦負けしメダルが取れなかったからと言って、表彰式を放映しないのはNHKとしては如何なものかと思う。民放ならまだしも。

 

今回はロシアが出場していないが、旧ソ連構成国の国々がよくメダルを取っている。また旧ユーゴスラビアの国々も同様である。個人的に、ロシアは出場できないのに、イスラエルが普通に出られているのは違和感がある。ロシアも個人単位で出場できる競技とそうでない競技があり、出場できない選手が多かったため、おそらく国が命じて出場を予定していた選手も棄権させたのでろう。

 

昔から、オリンピックは政治の問題を排除するようにしているが、そうもいかない事例は良く見られる。

 

柔道の話に戻るが、柔道は銅メダルは2名取れるが、銅メダルでも十分に価値が高い。

 

日本の選手が金メダルを狙っていて銅メダルに終わり、非常に残念がるのはまだ良いとして、ふてくされている様子は、他国の選手に対し失礼だと思っていた。近年は、明らかにふてくされている選手はあまり見ない。実際、海外の選手の方が遥かに強いと思われる階級もある。銅メダルでも他国の選手のように普通に喜んでよいと思う。

 

今回、ヨーロッパでオリンピックが開催されていることもあり、時差の関係でメインの競技が深夜に行われていることが多い。特に、柔道はまだ早い時間に終わるようで、終わる時間頃にサッカーやバスケットボールも生放送でやっているのである。

 

これは、年齢的にも全ての競技の面倒を観るのは体力的に無理な話である。

 

先日、柔道が終わりチャンネルを変えると、ちょうどバスケットボール男子の日本vsフランスの第3クォーターだった。ずっと5点前後リードされていたが、いったん引き放された直後、NBAの八村塁が、連続3ポイントシュートを正確に決め差を縮めたのである。

 

しかしその直後、八村は反則で退場。一気に日本は苦しくなった。まだ逆転まではしていなかったからである。ところが日本はその後、踏ん張り、なんと終了直前まで4点差でリードしたのである。これは相手ボールとは言え、普通は3点シュートが最高なので1点差で勝てる展開だった。僕もさすがにこれは勝てると思った。

 

これを逆転するためには3点シュートが決まり、なおかつシュートの際に日本の反則があり、1本フリースローが与えられ、それを決めて同点になるという偶然性の高い事件がないと同点にもならない状況だった。

 

ところが、フランスはこの難しい確率を達成したのである。結局、日本はあの直前4点差リードの状況から延長戦で敗れた。

 

オリンピックのバスケットボールは昔から驚くような逆転劇が時々ある。

 

なお話は変わるが、ドジャースの大谷選手の本業以外の収入(広告など)はなんと150億を超えると言われており、しかも、この額を超えるスポーツ選手が3名もいるらしい。1名はサッカーのメッシである。他2名はNBAの選手であり、1名はギリシャのヤニス・アデトクンボ。もう1名は、レブロン・ジェームスである。下の動画は、ヤニス・アデトクンボのプレイの様子だが、この驚異的プレイを観るとアメリカで野球の人気が落ちているのがよくわかるよ。

 

その意味では、大谷選手はアメリカMLBの救世主ともいえる。彼を観るために、アウェーでもスタジアムに客を呼び寄せるからである。

 

 

 

 

新型コロナ流行下、世の中には様々な仕事があることに気付く

普段、仕事をしたり、旅行に行ったり、普通に生活しているくらいでは、世の中にはさまざまな仕事があり、それらがどのように繋がっているかわからない。

 

しかし医療に従事しているだけでも、それらのほんの一部だが、それを感じることができる。

 

ある患者さんはイベント設営?業務をしていたが、新型コロナが流行し始めると、仕事がなくなったらしい。その患者さんはそれ以外の仕事もしていたので、今は以前の業務を再開しているようである。

 

僕は毎週、整形外科医院に理学療法を受けに通っているが、最初に通い始めたのは新型コロナ以前である。当時、その整形外科医院は車が停められないほど混んでおり、病院から少し離れた第2駐車場まで行っていた。

 

ところが、新型コロナが流行し始めると、受診患者数が激減したのである。いつも近所の高齢者施設から大型車で数人単位で通院していた患者さんたちを見なくなった。これは劇的な変化と言えた。あれほど混んでいた待合室がガラガラなのである。また、メインの駐車場も半分もうまっていない。

 

一方、うちのような単科精神科病院はそこまで受診者数の減少がなかった。当時、市内の心療内科クリニックをやっていた友人に受診患者数の変化を聴くと、ほとんど変わらないかむしろ増えていると話していた。

 

その整形外科で担当の理学療法士とよく話していた。当時は新型コロナの話もよく出ていた。彼によると、小中高校の生徒が体育やクラブ活動ができなくなると、スポーツで怪我をする子もいなくなる。そのため、整形外科の患者さんも減るが、ギブス、義手、義足などを作る人も仕事がなくなると言うのである。全く暇らしいです、などと話していた。

 

そういえば学校給食が止まっていた時期、牛乳の消費が激減し、搾乳後、それらを捨てている様子がテレビで出ていたこともある。このようなことはピンとこないが、社会に広く影響が及ぶのである。

 

当時、アメバTVで、政府の旅行支援をどう考えるかの討論をやっていた。旅行支援の目的はお客さんが激減した宿泊施設の経済的支援である。新型コロナのために人の移動が減るとホテルや旅館は閑散とする。JALやANA、JRなどの交通機関も同様である。これらの支援のために国が予算をかけることが、どのくらいの意味があるか?などであった。

 

討論に星野リゾートのCEOが出ていて興味深いことを話していた。観光業に勤務する人材育成は長い期間とお金がかかり、急に始めようとしてもできない。それら人材育成した人たちが観光業を離れてしまうと、将来的に非常に困ると言うのである。

 

実際、沖縄では新型コロナの流行が多少は弱まり5類に移行すると、次第に観光客が戻り始めた。ところが、観光に従事する人たちが圧倒的に足りなくなっていたのである。ホテルなどに勤めていて、新型コロナパンデミック中に解雇などで職を離れた人は容易には戻ってこない。

 

レンタカーも大手はともかく、小規模のところは多くが倒産し、レンタカーも足りない状況だった。僕は昨年くらいから再び沖縄によく旅行するようになったが、トヨタレンタカーで毎回、レクサスを借りざるを得ない。その理由は安価な車種から先に契約されるからである。そのためコストが大きく上がっている。これもレンタカーが足りないためである。

 

医師が旅行の計画を立てにくいのは、院内の患者さんの状況や、監査(立ち入り調査)のスケジュールが数か月前にわからないことが大きい。1ヶ月前に急に監査に来ると言われても困る。もうホテルも航空機も予約しているのにである。そのような理由で自然と直前の予約になるため、ホテルはまだ良いとして、航空便の予約ができない事態になりやすい。また直前であるほどチケット代も高価である。

 

果たして1ヶ月前に突然、病院に伝えるのが、彼らの言う抜き打ちになっているかどうか疑わしいものだ。意味がわからない。真に抜き打ちに実施したいなら、1日後か2日後に来いと言いたい。なぜなら、3ヶ月前も1ヶ月前も、あるいは1日前も準備する方は大差ないからである。

 

僕は監査の1ヶ月前予告のため、過去に旅行で膨大な損失を被っている。新型コロナ流行期は、監査そのものが中止されていたが、こちらも県外には行けないので、損失を取り戻すとか緩和することなど出来なかった。

 

新型コロナの大流行中、最も驚いたのは、福岡のあるホテルに宿泊した時である。なんと部屋まで案内してくれる従業員などいなかった。仕方がないので大きなスーツケースを持って自分たちで部屋まで行った。それくらい人員をリストラして少人数でやっていたのである。しかも夜はエントランスも真っ暗になるほど省エネしていた。これは次回来たときは潰れているかもと思ったほどである。1Fにあったブランドショップももちろん移転しなくなっていた。

 

未だ新型コロナの観光業への影響は大きいといったところだと思う。

 

最初に記載した整形外科だが、新型コロナを契機に、受診患者さん数が減少したままのように見える。いつでも苦もなく車が駐車できるからである。

 

僕は毎月、1回、友人が1人でやっている内科クリニックに受診しているが、駐車場に車を停める際、駐車場で案内してくれる年配のおじさんがいる。それも毎回必ずいるのである。僕は、

 

駐車場の案内のおじさんを毎日雇っているとは、開業医として、かなりやり上げていると言うことではないでしょうか?

 

と言った。確かに待合室も患者さんがすごく多いのである。このように見ていくと、新型コロナの影響も、どのような診療科なのかも大きいのであろう。

民間精神科病院のGoogleの口コミ評価の話

まず最初に書いておくが、うちの病院も含め、他の精神科病院のGoogleの口コミ評価を見ることはまずない。必要がないからである。

 

また他の精神科病院のホームページを見ることもほとんどないが、紹介状を書く際に見ることはある。例えば心療内科、精神科クリニックに紹介する際、ホームページを検索する。ホームページを見れば院長の名前は必ずどこかに書かれている。クリニックであれば院長が診ることが多いからである。クリニックに紹介するなら、調べて院長宛に書きたい。

 

一方、民間精神科病院であれば、院長を名指しで紹介した場合、意図があると思われかねない。従って院長を名指しせず、漠然と外来担当医宛に紹介状を書くことが多い。これは個人的に結構重要と思っていて、いわゆる院長先生の働き方改革に影響すると考えている。

 

病院名をネット検索する必要があると思う時は、正しく病院名を書きたい時である。紹介するのに病院名を間違うのはあまりにもと思う。たまに病院名が変わっていたり、ひらがなになっていることがあるからである。

 

民間精神科病院は、そのユーザーの精神症状を考慮すると高い評価になるわけがない。従って、実際に今調べると確かにそうだったが、高い評価(星数)の精神科病院は皆無だった。

 

基本、民間精神科病院は2点台のことが多い。一応、市内ないし近郊の精神科病院のGoogleの口コミ評価を見ると、ほとんどが2~3点以内に入っていた。何が違うかと言うと、口コミ数である。(注意したいのは口コミ数が多い病院イコール良い病院でもないこと)

 

普通、口コミ数が多い時、ショップや料理店の場合、つまり流行っているわけで、さほど高い評価でない場合も良いお店のことが多い。僕が高い評価をしている料理店はたいてい口コミでは3点くらいで高くはないが、単に他者の悪意の口コミのためにそうなっているのでは?と思っている。海外では口コミ数の多さが星数と線形になっていることが多いが、日本ではそうとも言えない。これも日本人の国民性であろう。

 

食事をする店は口コミに関しては評価点数はあまりあてにならず、口コミ数の方が遥かに実際を表しているが、あまりに高級店の場合、行く人が少なくなるため、口コミ数もあてにならなくなる。

 

さて、ずっと以前から思っていたが、民間単科精神科病院の場合、Googleの口コミ(の低さ)が来院数に影響することがほとんどない。これは僕の日々診療した感覚に一致している。

 

なぜなら、必要に迫られて来院する人は、Googleの口コミが悪いとか、そのようなことは言っておれないからである。一刻も早く受診できるかどうかの方が重要であろう。

 

クリニックの場合は、受診する人もそこまで切羽詰まっていないことも相対的に多くなるはずで、民間単科精神病院よりも受診数に影響があるかもしれない。特に長い悪評は多分影響するような気がする。これは受診する患者さんの絶対値的な重さにも影響している。(言い換えると、クリニックに受診する人の方が軽い精神症状のことが多く、口コミを見る余裕もある)

 

精神科のGoogleの口コミ評価は特別で、相対的に何か不満がある人が書き込む傾向が高く、良かった人はあまり書かない。従って悪い評価に収束しやすい。これは外来患者さんが多く流行っている病院では一層そうなりやすい。

 

県内で月間外来受診者数が飛びぬけて多い病院を調べたところ、なんと全て2点台だった。もちろん口コミ数も多かった。一方、口コミ数が極端に少ない病院は、外来受診者数が少ないのである。これは分散が大きくなる要素で、良い評価も悪い評価も全くアテにならなくなる。(特に良い評価がアテにならない)

 

基本的に月間外来数が極端に少ない民間単科精神科病院(月間に300名とか)が優れた病院のことはあまりない。こういう病院は口コミ数が少ないために高評価のこともありうる。田舎に位置する民間病院の場合、今は過疎が進んで患者もあまりおらず、医師はまあまあ良いのに月間外来人数が少ないことはある。

 

なお、その病院の月間外来数は一般の人にはかわらない。県の精神病院協会の月表に記載があるだけである。

 

そのようなこともあり、民間単科精神科病院は自分の病院のGoogleの口コミ評価はたぶんあまり見ていないと思う。最初にも書いたが、必要がないからである。

 

この記事を書く際に、自分の病院の口コミの一部を読んでみた。

 

なんと、確かに記憶にある人が記載しており、書いている人の記載そのままだった(もちろん低評価)。

 

しかし、記載内容が精神症状そのままだったのである。

 

(おわり)

 

参考

 

 

 

 

 

精神科のナラティブな部分

タイトルの「精神科のナラティブな部分」とは、簡単には「物語的な部分」のことを言っている。この話は、精神科では広い分野に及ぶし、どう記載しても一部分しか語れない。

 

リエゾンでは紹介状を貰って本人を診察する流れになるが、まず紹介状からナラティブな話があまり出てこない。例えば主訴が、「この高齢患者さんは看護師さんの胸を触るとか、困った行動があるので診てほしい」などである。これは精神科的物語性がない。

 

まずリエゾンで病棟に来たら、電子カルテを見るが、過去の病歴が箇条書きで書かれているだけのことも良くある。例えば、

 

○○歳 高血圧

○○歳 胃癌(○○病院で手術)

○○歳 左大腿頚部骨折(○○病院で手術、その後リハビリテーション病院に入院)

○○歳 嚥下性肺炎

 

などである。この履歴でリエゾンで初診したとしたとすれば、内容にもよるが、ナラティブな部分はほとんどないと言える。まして、せん妄ではなく、うつ病や躁うつ病だとなおさらである。

 

身体科のカルテの典型的なものを挙げると、自宅で倒れていて救急搬送し入院させたら、○○の身体疾患だった。また病棟で大声をあげたり、看護の拒絶があったり、不眠が診られるなどである。この流れは、精神科的ナラティブな部分などない。

 

精神科では生活歴、現病歴の記述から始まり、同胞何名中第1子とか、子供頃、体が弱かったとか、あまり関係なさそうな幼少時の記載もある。たとえ、その患者さんが60歳としてもである。小学校時代に不登校があったかどうかは重大な所見である。理系ができたとか文系の方が得意だったとか、運動が苦手とかも結構重視される。近親者に精神病の人がいる時も重要な所見といえる。高校卒業後、就職したのか、大学まで進学したのかも重要な生活歴である。家族関係が円満かどうかも聴きやすいなら聴くが、聴きにくい状況があれば聴かないようにする。

 

このような目の前の精神疾患に関係するかどうか微妙な点まで物語として記載があるのが、精神科的なナラティブな部分なのである。稀なケースで夜間輪番などで、行き倒れしていた統合失調症の患者さんが搬送された場合、さっぱり情報がないケースもある。

 

そのようなこともあり精神科の新患を診る際には、どうしても時間がかかる。その人がいかなる高校を出たとか、大学まで進学したとか、聴かれることに抵抗がある患者さんももちろんいる。そのような際は、こちらが気を利かせて最初から聴かない。精神科にやっと受診して嫌な気分にさせるのは治療的ではないし、心証が悪すぎると言うのがある。従って、ナラティブな情報は、完璧にならないこともあるし、それもナラティブな1ページなんだと思う。

 

このような生活歴、現病歴を聴取する際に、時に決定的な事件が出て来ることがある。例えば「○○歳頃、重いドアに頭を挟まれて気を失った」などである。このような事件はいかなる精神科的経過を辿ったとしても精神症状を脚色することがある。このような事件は短いが精神科的には、極めてナラティブな部分と言って良いと思う。

 

ナラティブという視点で、精神科的エピソードには心理的なものと器質的なものがある。上に挙げた頭を挟まれて気を失ったと言うのは器質的なエピソードである。一方、「母親が精神疾患で虐待を受けていた」と言うエピソードは心理的なエピソードに入ると思われる。また重要な家族歴でもある。3歳児検診でASDないしADHDの可能性があるなどのエピソードは、基本、器質性だと思うが、心理的なものも重なっている。

 

最終的な診断が、その人が双極性障害だったとしよう。幼少時から青年期までのエピソードは本人が内因性疾患なので、やや重要性が低くなるものの無意味ではない。そのような人も学童期にADHDっぽいエピソードがあったりするし、高校時代、全然、朝に起きられなかったなどの話を聴くことがあるからである。

 

内因性疾患はどちらかというと発病までのナラティブの部分が軽視されがちになるが、近年ではそれらの情報の価値が昔より遥かに増している印象である。

 

そう思う理由は、これらの情報は、薬物治療の想像性を刺激するものだからと言うのも大きい。例えば、双極性障害の治療でも、双極性うつ状態の薬物の選択肢や、その広さにも影響する。

 

双極性うつ状態で、極めて治療に難渋している時、それでも気分安定化薬や非定型精神病薬で頑張るべきなのか、抗うつ剤を併用した方が良いのかの判断に影響するのである。

 

患者さんから診ると、往々にして精神科医は何も考えていないように見えるかもしれないが、それなりに選択しているのである。しかしそのようなことを説明することもあるし、説明しないこともあるので、わかりにくい。

 

このように考えていくと、精神科治療は平面的なものではなく立体的になっているのがわかる。

 

少なくとも僕はそのように考えている。

 

 

イブラヒム・マーロフの音楽ビデオ

 

 

これはイブラヒム・マーロフのレッド&ブラックライトの音楽ビデオ。

 

これほど素晴らしい音楽ビデオもなかなかないと思う。以前、イブラヒム・マーロフについて紹介したことがある。

 

これを見ると改めて思うが、イブラヒム・マーロフの音楽は、寒い地域、ロシアとか北欧の凍りついた湖にマッチしている。

 

上のビデオでは、いかにもフランス人らしいモデル?さんが出てくるが、これもイブラヒム・マーロフらしいところ。

 

結構、お気に入りの音楽ビデオである。

 

参考