統合失調症と「空」 | kyupinの日記 気が向けば更新

統合失調症と「空」

広汎性発達障害、非定型精神病、境界性人格障害の人が、統合失調症の患者さんの多い慢性期病棟で入院することは「非常に治療的である」という記事が過去ログにある。

これについて少し考えてみよう。

たまに、「アスペルガー症候群」と既に診断されている若い人が初診する。こういう人で、実際にアスペルガー症候群であったためしがない(あくまで自分の目からだが・・)。

その「アスペルガー症候群」の根拠だが、いつもそういう診断をする医師か、あるいはアスペルガーの専門医だったりするが、漠然と範囲が広いのである。

一般に、普通の精神科医はあまりアスペルガー症候群の診断をしない。幻覚妄想がなければ神経症範疇か、双極2型、うつ病圏内の診断をすることが多いのではないかと思う。

自分がアスペルガーと言い張るのも、そうでないと言い張るのも、ともに拘りという視点ではアスペルガー的所見である。

だったら、実際にそうなのかと言うのはまた別の話。


僕は、「貴方はこういう点はアスペルガー的だが、これこれの点でアスペルガーとは言い難いので、総合的にはそうではない可能性が高い」といった感じで説明している。

これでそれでもなお「自分はアスペルガーだ」と主張する人はいないので、やはりその人はアスペルガーの確率が低いように思われるし、また自分の説明の仕方も、説得力の点でわりあい良かったのではないかと阿呆のように思ったりした。

いずれにせよ、こういう人たちが入院し、病棟にいる統合失調症の人と話していると、いかにバカバカしい話なのか次第にわかってくるであろう。#1

統合失調症の人たちとのコミュニケーションは、仏教でいう「」の考え方に関係が深いように思う。


#1バカバカしい話
「自分の診断がいかなるものか」というこだわり。別に統合失調症の人との会話がバカバカしいわけではない。統合失調症の人との会話(の内容)は、そういうものと別な次元にあり、時に自分について新しい発見をすることがある(視野狭窄の状況をいくらか改善する)。このような無形の作用を仏教の「空」に擬えた。