さて話はどんどん暗い方向へ。

ダルい方は1度良くなったんだからまた治るだろうと、割と軽く考えていました。ただ右下腹部の痛みが。
強烈な痛みはなくなったものの、ズキズキと、結局この後2年間、24時間365日、いつも痛かったです。

ちょうどその頃、実家の母から電話がありました。

「いとこが救急車で運ばれて、緊急手術した。卵巣がんだって」

母親の妹の子供です。
子供のころは毎日のように遊びに来ていて、いつもいっしょに遊んでいたいとこでした。
偏屈なうちの父が「あんないい子はいない」と言ったほど、素直ないい子でした。
もちろんこれは病気がわかる前に言った言葉です。

30歳になったばかりで、結婚したばかりで、子供がまだ1歳でした。
若年性の卵巣がんというのは予後がたいへん悪く。しかも救急車で運ばれるくらいの症状が出ているようでは、たぶん、難しい・・。


それにしてもそんなことを聞いてしまうとさすがに私の痛みも気になるので、大阪に越したばかりの頃にお世話になった婦人科の先生を、また訪ねてみることにしました。

「あのね、卵巣はもうちょっと内側。盲腸はもっと上だし。痛いと言っているところには臓器はなにもない。でも内膜症でそこが痛いという人がたまにいるから、再発ということでしょうね」

子宮内膜症の確定診断って、難しいんです。特に私は自覚症状が何もなかったから。
3ヶ月ごとに経過観察に来てくださいということでした。


冬になっても春になってもダルいのは治りません。何をする気力もなく、毎日ぼーっとTVを見ている日々でした。

母親がよく泣きながら電話をかけてくるようになりました。

「痛くない日はないらしい。この間なんて『どうやったら死ねるんかなぁ』『誰か殺してくれないかなぁ』って言ってたって」

闘病は一生懸命がんばってるようでした。子供のためにも。でもたまにふと、こんな弱音もでちゃうんでしょうね。

私はねー。
もう疲れ果ててました。
こんな、何の意味も存在価値もない命。生きてる意味もない。
積極的に死ぬのはよくないような気がするけど、生きているのももううんざりだから、早く寿命が尽きてほしい。その日まで、なんとかがんばってヒマつぶししていればいい。でも早くその日が来たらいいのに、と、ずっと思ってました。
タバコは緩慢な自殺でした。肺ガン歓迎。痛い? いいよ。それくらい耐えてみせる。
周りの人が納得する死に方ならそれでいい。
そんなだから余計に、人の死というのが、こたえるようで。
(念のために言っておきますが、これはまだ病名がつく以前、一生ダルイ人なのかと思っていた頃の話ですから)。

うらやましい。そんなことを思う自分がイヤ。代われるものなら代わってあげたい。そんなことを思うのは相手に失礼。わかっているけど考えちゃう。

「痛いというのは、わかってもらえていいなぁ」
「先がみえるというのは、いいなぁ」

もう最悪。

「妹(いとこの母親)がどんどん痩せ細っちゃって、毎日病院から帰る途中に寄っていって泣いていく」
「余命宣告された日に、父親がまっすぐ帰れないってやってきた。男の人があんなふうに泣くのは初めてみた」

私はもうサンドバッグ状態でした。
私なんかもういいのに。要らないのに。
彼女はまだ必要な人なのに。

卵巣のう腫と卵巣ガンの間に、どれほどの違いがあるんでしょう。
神様って不公平。