この字は二つの部分から成り立っています。
「耂」と「子」で、「孝」。
「耂」は、腰を曲げて土に杖をつく姿をあらわします。
つまりは、お年寄りのこと。
なので、「孝」とは、子供が、お年寄りを支える、もしくは背負う姿から生まれた文字といわれます。
「孝行したい時に親はなし。墓に布団もかけられず」
「失って初めて、大切なことを知る」
と昔からいわれますが、生きている時にこそ、孝行をしたいものです。
親だけではありません。
大切な人、ご恩を受けた人、今、隣にいる人、
共に限られた命の中で接している人ばかりです。
「愛」の字の真ん中には「心」があります。
しかも、ただの心ではありません。
その下に「久しい」という字があります。
(微妙に違うように見えますが、もともとは「久」で、他の字と組み合わさるとちょっと形が変わるのです・漢文の先生談)
だから愛は、「久しい心」、「永久に続いて欲しいと願う心」です。
なのに命には限りがある。この現実。
真面目に考えれば、この矛盾に必ずぶち当たります。
だから、本気で人を大切に思えば、
「大切な人の死を前に、私は何が出来るだろう?」
と問わずにはおられなくなるのです。
一度だけでも結構です。
大切な人にも訪れてしまう死という問題について、考えてみませんか?
大切な人のためにも、自分のためにも。
こちらにヒントがあるようです。
↓↓↓
http://masaoosajima.com/gift/story.html
一読をお勧めいたします。
では、素敵な一日をお過ごしください(^-^)/
