おまぬけきょんのブログ

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3月29日。
分娩室のカーテンの隙間から見えた満開の桜に降り注ぐ雪。
私はそれを生涯忘れることはないと思う。


出産の痛みは忘れてしまうものだが、その時の気持ちを忘れないためにもここに次男の出産を記録しておこうと思う。すでにもう3ヶ月近く経過している…。時の流れはおそろしや。




3月28日 出産前日。
お昼過ぎに出血を確認。

おぉ、これが、うわさの、


お〜し〜る〜し〜(IKKOさん風)



長男(マメ)の出産の時は予定日12日前の破水から始まったので実はおしるし初体験。
なのに恐ろしく冷静な自分。

あぁ、そろそろ陣痛か!

と覚悟を決める。

しかし、

そんな覚悟とは裏腹に、夜になっても陣痛が来る気配はなし。
マメを寝かしつけ、旦那さん特製もつ煮をつまみにテレビを見る。

そんな夜9時頃。

おなかに微妙な痛みを感じる。
痛いよーな痛くないよーな…

一応痛みの間隔を測り始める。

一応15分間隔で痛みがある。

一応痛みは1分ずつぐらい続く。

一応次第に間隔が短くなる。

一応、そう「一応」とつけてしまうほど、痛みが微弱過ぎるのだ。

マメの時はそれはそれはもがき苦しむほどの痛みだったことを覚えているので、これが陣痛だとは信じ難い。

じーつーに、

信じ難い。


だが、「一応」の痛みはどんどん間隔が短くなっていく。

ついに7分間隔。


一応、病院に電話しとくか。

電話で状況を話すと、


あ、それは陣痛ですね。と。

まじすか!?生理痛以下なんすけど!
と半ば疑いつつ、

時刻は夜10時半。
熟睡のマメを旦那さんに託し、
タクシー(事前にサポートタクシーに登録していた)を呼び、一人病院へ向かう。

今思えば1人で挑む出産は心細いであろう状況だが、母は強し、覚悟を決めた私は前向きだった。


微弱な陣痛とともに病院に到着。
着替えて、モニターを付け、とりあえず分娩台へ。
相変わらず微弱な陣痛が続き、テレビとか見ちゃうくらい余裕で、そのまま仮眠。

午前4時。
隣の分娩室から赤ちゃんの泣き声が聞こえる。
お隣さん、産まれたのね、おめでとう!
と心の中で祝福していると、
その声に反応したかのようにわが陣痛も強くなる。


いたたたた 


これこれこれ、この痛みよ。



うぁあ、いだいいだいいだいいだい!


痛みと訛りはあっという間に強くなり、


助産師さんがワタワタと分娩の準備を始めた。
点滴がうまく刺さらず、何箇所も刺される。

おいおい、針が刺さる前に出ちゃうよ!


やっと準備が整ったと同時に、

子宮口全開‼︎


そんで、まさかの


2回いきんだら、


頭出たよぉ!

と助産師さん。


うそ?こんな簡単に出てきてくれちゃうの?!

そんで、まさかの


もう一度いきむと、


はい、生まれましたよぉ。


うっそぉ〜!もう産まれたの?!


オンギャー‼︎


元気な産声。産まれたての姿。


ぶちゃかわ。笑



もちろん痛みに苦しみながらだけど、


喜びもさることながら、


あまりのあっけなさに驚きもまた大きかった。


マメの出産時は、それはそれは壮絶で、赤ちゃんを出した後はほとんど記憶がない。たぶん意識なくしてたから。


だから、私、知らなかったの。



赤ちゃんが産まれた後の、

おまたを縫われる痛みとか。

胎盤を出される痛みとか。


そして、恐ろしく強めの後陣痛とか。


今回は後陣痛がひどく、2日間ほど歩行がままならなかったほどで。


そんな後陣痛も治まり、といってもまだまだ普通に歩ける状態ではなかったが、無事に退院の日を迎える。


自宅に戻るも、今度はさっそくの


乳腺炎の洗礼。


一気に熱が上がり、


ダウン……。


だが、翌日には熱も下がり、なんとか腫れもよくなってきた。


そんなこんなで私のお産は無事に終わった。
と同時に2人育児スタート。
コロナの影響で親や周りに頼ることもできず、大変なスタートとなった。
が、同時に幸せが倍になった。



さて、アズキの名前ですが、桜という字を入れました。長男マメの名前には、咲という字が入っています。


2人合わせて、桜咲くってな具合いです。


なぜ桜という字を使いたかったというと、個人的に桜にはパワーがあると思っているからなんです。

桜って人を魅了するだけじゃなくて、励ましたり、勇気づけたりするじゃないですか。

私が人生で一番印象に残っている桜は、今から9年前。東日本大震災が起きたあの春。
津波でめちゃくちゃになった町で見つけた瓦礫の下に咲く桜でした。


当たり前が当たり前でなくなって、大切なものがたくさんなくなって、悲しみと不安に押しつぶされそうなあの春。その生き残りみたいな桜が私の心を励ました。

大丈夫だよ、希望だってちゃんとあるから。

と言っているかのようなその力強い生命力。
そのメッセージは今も私の心に強く残っている。

だから、アズキにはそんな人になって欲しいと思う。人の心に寄り添って、励ませるような、そんな人に。
そして、誇らしく生きて欲しい。咲き誇って欲しい。


兄と弟。

2人で、

桜 咲く。


2人の人生もほんわかな春の風に吹かれるようなあたたかな人生になることを母は願います。


改めて、


産まれてきてくれて、ありがとう。