「私は未だ二ノ宮に会った事はありません。ただ調べれば調べるほど抜け目ない男という印象が強くなります」
三峰で一之宮の存在は神にも等しい。幾ら長年病床にあるとは言えその一之宮を差し置いて実権を握って見せた二ノ宮を軽視する事は難しい。決して抜け目がないだけの男ではないのだ。同じことを留鳥も感じたようだ。
「一之宮が余りにもずば抜けているせいでしょうか、二ノ宮の実力を正当に評価しているのは私の知る限りでは天童だけのように思います」
そう言い切った留鳥の脳裏には恐らく秋穂がいる。
「茜だけじゃない、あたしも二ノ宮には直接会った事はほとんどないんだ。若い頃に一之宮に紹介されたけどね。でもあんたがそこまで警戒するとはちょっと意外だよ」
「石猿が今も親衛隊長でいる理由はなんだと思います?」
「なるほどね。情報が極端に少ないのは何かあるとは思ってたけど」
石猿は意図的に動いている、そう留鳥は言いたいのだ。小さき者達のお喋りを警戒している。逆に考えれば流石の石猿も聞き取れてはいない。
「どうやらあたしらの優位も時間の問題のようだね」
ため息混じりに叔母は言うが、いずれそうなることを想定しての武闘派宣言だったはずだ。
「叔母さんとしては心配を減らしたいのも無理はないですね」
茜の眼が不気味に光った。ならば母親としてはどうなのだとつい噛み付きたくなる、
「尤もその心配も無用に終わりそうです。護鬼さえ呼び出せれば」
留鳥よりも早く叔母の声が響いた。
「全くあんたには驚かされてばかりだね。護鬼のことをあんたに話した覚えはないんだけど」
草壁と留鳥の二人は揃って首を横に振った。茜だろうが誰だろうが鬼について話すはずもない。
「護鬼のことなら私が一番詳しいかも知れません。恭介の守護者でもありますから」
「どう言うことだい?」
「護鬼は消えた智鬼を探して彷徨ってるんです。そして恭介にその手掛かりを見つけたと聞いた覚えがあります」
「智鬼と言うのは?」
「護鬼の兄弟のようなもので、昔ある出来事から人間界に消えたそうです」
「古城さんは伸だけが息子を見つけられると言ってたけど、まさか護鬼を探すために連れ出したなんてね、そんなことはいま初めて聞いたよ」
「その後はどうするつもりだったのかまでは分かりませんけど」
「つまり護鬼がいる限り妖の脅威は避けられると、あんたはそう言いたい訳だね。確かに留鳥と互角とは聞いてるけど」
二人とも大事なことを忘れてないか。護鬼は父恭介を追ってるんであって、決して草壁ではない。
「あんた護鬼と戦ったのかい?」
留鳥が引き分けたことまでは茜も知らなかったようだ。驚いた様子で振り返る。
「単なる手合わせです」
留鳥の方も何故そんなに大騒ぎするのかといった様子で、逆に戸惑いの表情だ。
「護鬼は滅多に現れないばかりか、例え相手が怪異でも手出しはしない。本気で闘う相手じゃないそうだ」
護鬼が留鳥に興味を持ったようだと叔母が告げると、再び驚いた顔を向ける。そして溜息交じりに呆れたように言った。
「案外、護鬼は簡単に呼び出せるかもしれませんね」
そうだ、あの時留鳥がいたから護鬼は現れたのだ。草壁のせいではない。それを護衛代わりにしようなど一体どう言う発想なのか。
そもそも茜の言うように草壁に関係しているのだとしたら、何故赤熊に襲われた時に護鬼は現れなかったのだ。
いや、必ずしもそうとも言い切れない。赤熊のお陰で草壁の妖に対する能力は一気に開花したのは事実なのだ。もしそれが護鬼の狙いだったとしたら……
「あの時まで鬼と遭遇したことすらないのですが」
控えめに留鳥が反論を試みる。どうもこの二人を相手にしては流石の留鳥も分が悪そうだ。正式には紹介もしていないが留鳥のことだ、何かを察したのかも知れない。
「さてこうなると問題はどうやって護鬼を呼び出すかだね。興味はあるとしても留鳥の言う通り確かに根拠が弱い」
「小太刀」
いきなり茜が言う。全員が振り返るが、言った本人が一番驚いた様子だった。そして何やら納得したように留鳥が頷くと小声で耳打ちした。
「小太刀は師匠の唯一の教えでした」
「君の師匠って?」
「前世での、師匠です」
どうやら留鳥の前世の記憶はかなり戻ったらしい。それによると留鳥の前世はアヤメと言い、ムフウに小太刀を習ったそうだ。
そのムフウとの間に子供を授かったが出産間際に野盗の襲撃に遭い流産したと言う。失意のアヤメは心を病み気がついた時には、妹のキキョウとともに亡き父の墓前にいた。
「驚いたな。猿渡伝説とそっくりだ」
更に二ノ宮を調べると言って茜はそそくさと出かけて行った。その様子はまるで何かを隠すかのようだった。
茜に変わって桔梗が賑やかに戻ってくる。行きは割と自由だろうが、帰りは跳ね回る大型犬二頭にかなり手を焼くことになる。それがまた桔梗にとってはいい運動になるらしい。
さて猿渡と留鳥の記憶だが、大凡は似ているものの違うところもある。ムフウが教えたのは小太刀ではなく体術に長けたサヨに剣を教えたのだ。アヤメは元々剣術道場師範の娘で素養はあった。
「ならばサヨについてはどうだ? 何か覚えているかい」
「サヨという名には聞き覚えがないのですが、あの二つ岩は思い出しました。何代も前に野盗を避けるため大岩を削って作ったと村の長老が言っていました。例の奉納した刀はムフウが生まれてくる子供のために何日も篭って鍛え上げたものです」
猿渡では村長の息子が奉納した刀を盗み出し、しかも野盗を手引きしたために村は滅び、生まれたばかりのアヤメの子供は殺されたとなっているが、子供は天宝と名付けられ生き残った村人に丁寧に祀られている。
「その刀はいま響子の手にある訳だけど、そうすると響子は天宝の生まれ変わりで君の娘ってことになるのかな」
留鳥の娘というのはどうにもしっくりこないのを無理矢理押し殺して冗談交じりに言い切った。
これを耳聡い桔梗が聞き逃すはずもない。
「えっ、何、留鳥、子供がいるの?」
「馬鹿だね、しっかり者の留鳥から見たら響子なんて子供並みに危なっかしいって話だよ」
「なるほど、それなら分かるよ」
「そうだね、響子と一番話があってたのはお前だったしね」
「ちょ、ちょっと。それって何よ。幾ら母さんでも、少しくらい若くなったからって、言っていいことと……」
どうも桔梗の甘え方が余りにも不器用で、とても見ていられない。叔母の助け舟に便乗してそそくさと逃げ出すことにした。
この際だ。留鳥には猿渡の全文を語っておくべきだと心が決まった。サヨについてはいずれ話さねばならないのだ。尤も猿渡全文を読み聞かせるだけでも数日は掛かるのだが。
「前半は私が聞いていたのとあまり変わらないですが、後半は木猿に聞いたものともだいぶ違う様です」
猿渡は語り継いできた種族の違いなのか実に様々なバージョンが存在する。本当のところどれがオリジナルなのか未だに結論が出ていないのが正直なところだ。草壁にしても幼い頃古城が寝物語に話してくれたものを本物と呼んでいたに過ぎなかったのだが、古城が小さき妖のとりとめない無駄話を根気よく拾い集めて纏めたと言う叔母の話を聞いて、今は間違いなくこれが真実だと自信を持って言える様になった。
「特に外伝にある弱り切ったサヨを殺生狐が襲って逆に黒焦げになって転がり出たという点が重要なんだ」
「目撃したのは従者のハバキだけで、他の者は誰一人として見ていないと言うアレですね」
驚いたハバキは小屋に飛び込んで、サヨの無事を確認している。転がり出たモノの確認はされていない。
「だから僕を含めて皆殺生狐は死んだと思い込んでしまったわけだ。しかもたまたま用心に付近の偵察に出ていた銀狼が、性懲りも無くサヨをつけ狙う殺生狐の姿を森の中で見かけていた為に、この黒焦げになった異様な塊こそ殺生狐に違いないということになったんだ。その後一千年以上も殺生狐の目撃例はないから、なおさらね」
「だけど死んでなかった……」
「妖の中には深い眠りにつくことで寿命を大幅に延ばすことが可能だという説がある」
「つまり九尾狐が死んで殺生石になったのではなく、殺生狐が眠りに入った姿があの殺生石だと」
草壁は首を振りながら深く息を吐いた。
「妖に関しては分からないことが多すぎる。一つ分かっても次の瞬間には全く違う解釈が生まれる。そんな事の繰り返しだよ」
「だから諦めるのですか」
まさか。それでは人間はいつまでも妖共の餌にすぎないことになる。
「力不足かもしれないが、精一杯頑張るよ。手伝ってくれるかい?」
「そのつもりです。まず私の記憶と違っているところから調べるのはどうでしょうか」