何ということはない英国生活の日々 -2ページ目

何ということはない英国生活の日々

イギリス暮らし、国際結婚、海外生活についてのあれこれ。

イギリスに住まう親であれば、誰もが一度は頭を悩ませたことがある、子供たちのお誕生日パーティー。学校に上がればなおさらのこと、たとえ1歳や2歳の誕生日であっても、会場を借りて、大掛かりなパーティーを開くことも珍しくありません。

 

幼稚園や学校のお友達の誕生日パーティーにこれまで何度か参加してきましたが、都度、子供向けのパーティー会場を借り切り、ケーキやパーティーフードは当然のこと、子供たちを楽しませるための演出(エンターテイメント)が用意されていて、豪勢なことこの上ありませんでした。

 

イギリスには、子供たちの誕生日パーティー用の会場がそもそもたくさんあります。そういう場所は、ケーキ、飲み物、食べ物、エンターテイメント、そしてパーティーバッグという、パーティー参加者がもらって帰る小さなプレゼントまで、すべて含めたサービスを提供していて、予算に合わせていくつかのパッケージから選べます。

 

イギリス最大の母親たちのコミュニティサイトNetmumsによれば、2016年の誕生日パーティーの平均費用は500ポンド。本日対ドルで30年ぶりの安値を付けているポンドですが、対円の130円換算で、約6,5000円です。

 

http://www.netmums.com/reviews/whats-new/how-much-average-cost-of-a-childs-birthday-party

 

BBCには、こんな記事がありました。この10年ほど、子供の誕生日パーティー費用のインフレ傾向が顕著。なかには、アリスの不思議な世界をテーマに、様々な装飾や移動遊園地の設置、またプロのエンターテイナーを呼ぶ等し、総額7万ポンド(1ポンド130円換算で910万円)をかける家なんかもあるそう。イギリスでは子供たちの誕生日パーティー市場規模がおよそ11億円ポンド(約1,430億円)と大きいため、当然それにまつわるビジネス・サービスも多くあります。記事中のパーティー提供会社では、一回のパーティーにつき、費用は15,000ポンドから20,000ポンド程度(1ポンド130円換算で195万円から260万円)が主流なのだそう。とはいえ、このBBCの記事によれば、全体で見た平均費用は135ポンド、ただし6分の1が300ポンド以上とあります。前述のNetmumsの500ポンドよりは低く、若干安心しますが、どちらが実態に近いのでしょうか。

記事は最後に、「盛大なパーティーをやらないからといって、あなたが悪い両親ということにはなりません(だから安心して)」と締めくくり、私を含む多くの親たちの不安を煽らないよう配慮しています。

http://www.bbc.co.uk/news/business-32116506

 

日本でも当然子供の誕生日を祝う慣習はありますが、せいぜいろうそくを立てたケーキ、そして仲良しのお友達を家に招いて子供たち同士が遊ぶ、という程度のものではないでしょうか?1970年代前半に地方都市で生まれ育った私の記憶でしかありませんが。。。

 

さて、そこで我が家はどうするのか?

もうすぐ迎える息子の5歳の誕生日。自宅に数人の本当に親しいお友達だけを招き、こじんまりと開催することとにしました。ケーキは、食品のクオリティは高めとされているM&S(マークスアンドスペンサー)のもの(£15)を用意。手作りに挑戦しようかとも思いましたが、必要になる時間を考え意気消沈。Wilkoという低価格のホームストアで買った風船(£1)を床にちりばめ、後はジュース、サンドイッチ程度の軽食(せいぜい£10程度?)を用意します。エンターテイメントは特になく、普段物置にしまってあるおもちゃを引っ張り出してきて並べるくらい。費用は総額£26(約3,380円)程度の見積もりとなりますが、安すぎますか??

 

 

 

 

ラストエントリーから早7年!一児の母となりました。さらには、夫の仕事の都合でイギリス北部はヨークシャーお引っ越し。息子は今月レセプションという準備学級に入学しました。母もブログに復帰します。

パリから戻ったのが水曜夜10時過ぎで、翌日午後からロンドンへ出勤、昨日金曜は初のフルタイム出勤でした。朝6時15分過ぎのバスに乗り、1時間半の電車に揺られてロンドンへ着いたのがちょうど8時。そこから地下鉄で職場の駅までが30分強なので、片道約2時間半(強)の道のりです。
普通に考えて体が持つはずがないのですが、おそらく半年だけの契約期間になりそうなので、何とかして通いきりたいと思っています。職場ではいい方たちに出会え、通うのは大変だろうから、たまにはうちに泊まってもらっていいからねと言ってくれました。
買い物に行ってきます。

天気も良く気分良く、本当に幸せな今日土曜日です。
こんなにも幸福感に包まれた日々は久しぶりです。
引っ越して家が広くなり、自分の空間を保てるようになったこと、家の中でくつろげるようになったことが大きいです。夫が以前よりも職場に出掛けてくれているのも(彼は家の中ではいつも私を探しているので)良いことです。これまで住んでいた狭く陰気な家では、呼吸すら満足にできない感じでした。私が長いこと鬱々とした気分に悩まされたのは、大きな環境の変化に加え、その時期が長く暗いヨーロッパの冬に重なったこと、好きだった仕事を辞め突然家にいるだけの生活になったのに、その家がまったく好きではなかったことが大きかった気がします。もう2度と思い出したくもない、イギリス生活開始当初半年間です。ほとんどノイローゼだったかもしれません。

明日からは、私の誕生日でパリに行きます。東京から来ている友人とも落ち合う予定です。

パリから戻ったら、念願の初出勤が待っています。




 

昨夜はMilk(ミルク)のDVDを観ました。サンフランシスコを中心とするゲイ・コミュニティーの闘いの話です。ショーン・ペンの演技の素晴らしいこと。いい映画でした。
チュニジア紀行といいながら、チュニジアの様子についてほとんど触れていなかったため、書き足します。

フランスの旧植民地であるチュニジアは、特にフランスでは人気の高い観光地です。

首都チュニスは、メディナという旧市街が観光の中心です。細長く入り組んだ通路に所狭しと店が軒を連ね、まるで中世の世界に入り込んでしまったかのような錯覚におそわれます。

シディ・ブ・サイド(SIDI BOU SAID)はチュニジアで最も美しい街といわれ、白い壁とチュニジアン・ブルー(鮮やかな水色)の扉・窓枠が印象深いコントラストを見せています。PLOのアラファト元議長婦人宅もありました。

そしてカルタゴ(Cartage)遺跡。ローマ帝国時代に建てられたそうです。

正直、旅行に出掛けはするものの観光にあまり興味が無い私は、上記3ヶ所はなんとかおさえましたが、基本的にホテルでのんびりしていました。La Maison Blancheという美しい内装のホテルは、とても居心地が良かったです。

それにしてもショックだったのは、行きの飛行機の機内に、日本を発つ時に手に入れ、以来9ヶ月近くもの間、はやる心をおさえ、まとめて読む機会が訪れるのを待ちに待っていた大江健三郎の同時代ゲームを置き忘れてきてしまったことです。ようやくこのチュニス旅行を使って読める(読もう)!と興奮してバックに入れたのに・・・気がせいて飛行機の中で本を開いてしまったのが運のツキでした・・・(涙) 機内に忘れ物だなんて、したことないのに。よりによって大江の本を、しかも日本の書物はもはや入手困難な外国暮らしのさなか置き忘れてしまうなんてo(;△;)o



「私が仕事を始めたら、2人の共同名義の銀行口座を作って私もそこにお給料の一部を入れて・・・」など話をしてみたら、私が働くことの経済的効果を感じ始めたのか、夫の機嫌が上向いています。

新居になってから、結婚祝いにいただいた新しいタオルを使い始めました。真新しいだけあって、1度洗濯してもまだ使うと白いふわふわが顔に残ります(糸くずがまとまって綿のようになったもの)。夫は特に洗顔後ごしごしと顔をこするようにタオルを使うので、大量のふわふわが顔につきます。鏡を見ないらしい彼は、ふわふわを顔まわりに付けたまま、何もなかったかのように過ごしています。
加藤ミリヤが好きです。今の日本の若者がどのような感性を持ち、どのような世界で大人になろうとしているのかが伝わってきます。とはいえ、私だってかつては彼女の音楽世界と同じ、孤独と不安だらけだったのです。

彼女の歌を、UTUBEで聴いています。
私の就職が決まってからというもの、夫の機嫌が悪いです。
結婚前は、一生懸命仕事をしている私のことを、嬉しそうに周囲に話していた夫。結婚を境に、男性というのはこうも変わってしまうものなのでしょうか。

「この世界には、実は2つの人種しかいない。男人種と女人種だ」とどこかで目にしたことがあります。しごく名言だと-性役割、ジェンダー問題は洋の東西を問わないのだと-感じ入ったものでした。性差による賃金格差、教育格差は地域を問わず是認され、いわゆる女性学が、フェミニズムとしてアカデミックの一翼を担うようになるも、どこか異端視される。それは、世の中の男女はその実数からは半々でも、この世界をリードし方向付けるあらゆる意思決定機関の多くが男性により占められているからでしょう。家庭でのいわゆるアンペイド・ワーク(賃金不払い労働)を担うのは、どの地域・文化圏においても圧倒的に女性です。

特に日本は、性役割による見えない圧力が強い国です。UNDPのジェンダー・エンパワーメント指数に見るまでもなく、専門職・管理職にどれだけ女性が登用されているか、男性の育児休暇取得率はどれだけか、どれだけの時間を夫が家事に割いているか。挙げ始めればきりがありません。

ただし気をつけなくてはならないのは、これらは歴史や宗教、伝承といったさまざまな要素が絡み合い現在に至っているのであり、ただひとつの切り口からその良し悪しをはかることはできないということです。儒教の影響下、国家の精神性を形作り、また経済効率を優先させ戦後経済を軌道に乗せた日本の状況について、女性は一律に抑圧されているのだと、なんら恩恵を受けていないのだと、誰が言い切ることができるでしょうか。

それでも、時代が変わり、人々の心性が変わり、望まれる社会のあり方が変わるのであれば、それに整合する法やシステムを新たに構築していくのは、為政者のみならず、民主主義のもとすべての人々の責任であり権利であるべきです。しかしながら、現状では、それが「女性の立場からのものである」というその一点で、そのような社会の再構築は、より困難なものになります。なぜなら、前述したように、あらゆる意思決定機関の多くは男性により占められており、さらには、女性が社会意識に気付き、声を上げることは、「女性らしさの欠如」として捉えられ、結果異性からも同性からも疎外感を味わうことになりかねないからです。

イギリスの男性は、日本の男性に比べれば家事参加率はずっと高く、女性に家事のすべてを当然のごとく求めるというようなことはあまりありません。妻が専業主婦である場合には当然妻が家の中のことを引き受けるでしょうが、それでも男性が女性に対し「奉仕する」感覚-ジェントルマンシップと、レディーファーストを是とするお国柄-は、日本の多くの家庭内における夫婦関係とは異なります。

それでも、世界には男人種と女人種の2つしかないという言葉を私が思い出したのは、私の就職が決まったのを機に何となく不安定になった夫に、妻となったからには自分の手の内にいて欲しいという彼の気持ちを、どこか感じたからです。

これは、伝統的な男性観に縛られた、彼の側の問題ということになります。ですが、状況を肯定的に受け止めるだけのキャパシティを彼に求めるのは、理不尽というものでしょう。尊敬すべき彼とて、一人の男性として、世にいる多くの平均的な男性と何ら変わりは無いのですから。

非力な私は、ここでその是非に考えをめぐらせるのでなく、ただ彼と2人、気分よく、機嫌よく、日々を過ごしていきたいと、そう願うだけです。
蛇足ですが、
乗り換えのパリ・シャルルドゴール空港に降り立ったときからうすうす感じていたことですが、特にチュニスに着いてからの、すべての料理のそれはそれはおいしかったこと。何を口にしても、

「ああ、味がある・・・!<<ここはイギリスではないのね!!>>・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。!」