久々の更新です。
毎日寒くなりましたが、おかげさまで京ちゃんは楽しく普通学級で生活しています。
季節の変わり目なので、多少体調を崩すことはあっても、友達、先生、看護師さんのあたたかい気持ちに囲まれ、元気をもらい、いい表情で家に帰ってきます。
障がい児と健常児、学校の先生、看護師さんそれぞれ共に過ごすことは初めてのこと。少し上手くいかないことはあっても、それもまた学校生活は人生の縮図、京ちゃんも私たち両親も人と人とのつながりの中で癒され、鍛えられ、勉強させてもらっています。
今年は、京ちゃんの普通学級就学時に応援してくださった皆さんから講演会参加の依頼がありました。
恩返しの意味も含めて来春就学に向けてがんばっているみんなのためにお話をすることにしました。
広島、福山にて「普通学級での楽しい生活」を紹介。福山市の教育委員会の方々も参加していただいていたようです。中国地方でも、普通学級就学に向けてがんばっている皆さんを応援し、遠く離れていても同じ思いの人たちに逆に元気をもらいました。
私たち家族よりも十数年前から就学制度に問題提起したり当事者の思いを発信してきた
方たちの努力があるからこそ今の京ちゃんの学校生活があります。
各地で就学、学校生活での問題は様々。
「現在の就学制度は障害を持っていると教育委員会が就学先を決めるという制度であり、親の意見や意向は反映されにくいものとなっています。健常者が私立、公立と選択できる自由があるように障がい児もまずは就学先を選択できる機会を与えられるべきだと思います。」
京ちゃんが入学するとき、先生や教育委員会の方たちは、普通学級で生活することを前提に、十分に話を聞いて理解する姿勢で臨んでくださいました。制度はこうだけれども名古屋市ではこのような対応をしていただいたという内容なども中国地方の方たちにも参考になるようなお話をすることができたと思います。
そこそこで、問題提起、当事者が意見を発信することが大事だと改めて感じました。
そうしないと一般の人にはますます私たちやこどもの思いは伝わらなくなるでしょう。
普段の人間関係も一緒。思いや考えを伝えることをしていなかったり、無関心だとそのうち考えに大きなズレができお互いを理解することが困難になることもあるはず。
ハンデを持っていても地域の学校、普通学級でがんばっている子たちが集まりました。
「今いる地域をいいところに」
「大人はいくらがんばっても子供の代わりはできない」
「理解は後からついてくる」
「どんなに重い障害を持っていても、同じ地域でみんなと学校生活をおくりたい」
そんな声が、中学生や小学校高学年の子供たち本人からも聞くことができました。
課題は、普通学級の中でもそれぞれが必要とする支援がいかに整えられていくか。
学習の場面、学校生活の場面、障がい児が普通学級で過すには同じ授業の中でもその都度、場面場面で支援する人たちの知恵と工夫が必要不可欠。そうやって私たち親も含め周りの大人たちが考え、つかんでいくことが共に学ぶ、育つ、インクルーシブという考え方ではないでしょうか。
ちーちゃんもいろんな子たちと一緒に遊び、1年後、京ちゃんと同じ学校に行けることを楽しみにしていることをよく話してくれます。姉妹にとってもうれしいことです。
毎日寒くなりましたが、おかげさまで京ちゃんは楽しく普通学級で生活しています。
季節の変わり目なので、多少体調を崩すことはあっても、友達、先生、看護師さんのあたたかい気持ちに囲まれ、元気をもらい、いい表情で家に帰ってきます。
障がい児と健常児、学校の先生、看護師さんそれぞれ共に過ごすことは初めてのこと。少し上手くいかないことはあっても、それもまた学校生活は人生の縮図、京ちゃんも私たち両親も人と人とのつながりの中で癒され、鍛えられ、勉強させてもらっています。
今年は、京ちゃんの普通学級就学時に応援してくださった皆さんから講演会参加の依頼がありました。
恩返しの意味も含めて来春就学に向けてがんばっているみんなのためにお話をすることにしました。
広島、福山にて「普通学級での楽しい生活」を紹介。福山市の教育委員会の方々も参加していただいていたようです。中国地方でも、普通学級就学に向けてがんばっている皆さんを応援し、遠く離れていても同じ思いの人たちに逆に元気をもらいました。
私たち家族よりも十数年前から就学制度に問題提起したり当事者の思いを発信してきた
方たちの努力があるからこそ今の京ちゃんの学校生活があります。
各地で就学、学校生活での問題は様々。
「現在の就学制度は障害を持っていると教育委員会が就学先を決めるという制度であり、親の意見や意向は反映されにくいものとなっています。健常者が私立、公立と選択できる自由があるように障がい児もまずは就学先を選択できる機会を与えられるべきだと思います。」
京ちゃんが入学するとき、先生や教育委員会の方たちは、普通学級で生活することを前提に、十分に話を聞いて理解する姿勢で臨んでくださいました。制度はこうだけれども名古屋市ではこのような対応をしていただいたという内容なども中国地方の方たちにも参考になるようなお話をすることができたと思います。
そこそこで、問題提起、当事者が意見を発信することが大事だと改めて感じました。
そうしないと一般の人にはますます私たちやこどもの思いは伝わらなくなるでしょう。
普段の人間関係も一緒。思いや考えを伝えることをしていなかったり、無関心だとそのうち考えに大きなズレができお互いを理解することが困難になることもあるはず。
ハンデを持っていても地域の学校、普通学級でがんばっている子たちが集まりました。
「今いる地域をいいところに」
「大人はいくらがんばっても子供の代わりはできない」
「理解は後からついてくる」
「どんなに重い障害を持っていても、同じ地域でみんなと学校生活をおくりたい」
そんな声が、中学生や小学校高学年の子供たち本人からも聞くことができました。
課題は、普通学級の中でもそれぞれが必要とする支援がいかに整えられていくか。
学習の場面、学校生活の場面、障がい児が普通学級で過すには同じ授業の中でもその都度、場面場面で支援する人たちの知恵と工夫が必要不可欠。そうやって私たち親も含め周りの大人たちが考え、つかんでいくことが共に学ぶ、育つ、インクルーシブという考え方ではないでしょうか。
ちーちゃんもいろんな子たちと一緒に遊び、1年後、京ちゃんと同じ学校に行けることを楽しみにしていることをよく話してくれます。姉妹にとってもうれしいことです。