壮年期日記 | my life history

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「誰の人生も lifeは ドラマ です」。

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1953年秋

  貧しいながらも 平和な日々が続づいています、


  妻が、 次女を お産しました、 一人増えただけで、 活気が

  みなぎって 来ます、        
長男・妹の子守りも
  長男は、 子守りもできるように


  なり、 妻の手助けにもなって


  大助かりと喜んでいます、


  そういえば 私が小学校4年の頃、


  学校へ8歳離れた 妹を


  おんぶして登校し 授業を、


  受けたことを思い出しました、 このころは 子守りは 子供の仕事でした


  自力で 井戸を 掘って 飲料水に不便が無くなって 快適な

  日常が過ごせると 思った頃、


   区画して売り出された土地は たちまち売り切れ、 次々と 

  建築ラッシュが・・・・・


  壁を塗るには水が必要、 粘土に 刻んだ藁を混ぜてかき混ぜ

  練って 塗る工法の時代ですから、・・・・・・・・・・


  私の 後から建築した人達は みんな 私の井戸の水を使って

  建てたのですよ、


  誰のために 8丈もの深い穴に 金を注いだというの? 私の家庭が

   日常生活を送るための 自己手段なのよ、


  「 あなた方はあなた方で 自己責任で建築すべきなのに 」・・・・


   と 毎日 毎日 苦々しい思いで やりきれない感情が 沸々・・


  他人の面倒など 考える余裕の 持てない時代だったとはいえ、 


      そう思うのは 人でなしでしょうかねエ---


  一つの 集落が できました、 翌年


1954年 間もなく水道が 敷設されたんですよ、


  それはそれは便利になって、喜びはしましたが、皮肉なものですね、


  井戸掘りの あの苦労は いったい なんだったんだろうか・・・・・


  別に望みもしないが、 利用した地区の方々からは感謝の声も

  聞こえては来ませんでした。


  混沌とした 時代のせいだったからでしょうか・・・・・・・・・・・・・・・