壮年期日記 | my life history

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「誰の人生も lifeは ドラマ です」。

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1948年

   長男誕生を期に、 二階を間借りして 妻の親たち・兄弟と 

   同居していいたのを、解消し、 


   屋敷内にあった 物置を改造して親子三人事実上も 別居の

   形をとることにしました、 


   6畳一間くらいの 広さに 二畳くらいの畳敷きを造り、 そこで親子

   三人が寝泊まりする生活を始めました、 


   妻の退職金が いささがですが あったので、 空いたスペース

   4畳くらいの広さの処を 土間にして小さな 小さな 雑貨店を

   開きました、

   

   妻が店長さんです、


   実家で生産した農産物数種を その時 その時の収穫にあわせて

   ツァン(父)また、アッカ(母)が、少しずつ 無料で卸してくれました、

   

   豆腐や 油揚げ こんにゃく その他日常の食料品も 若干ずつ

   ながら取りそろえました、

   

   当初は 仕入れた物が、 全部捌けるくらいの マアマア でしたが、

   近くに同じような店を出したライバルが現れたこともあって 客足も

   だんだんと 少なくなりました、

   

   仕入れた豆腐が売れ残り、 毎日豆腐で家族が食事するという

   笑い話のようなことが続くようになりました、

   

   私は小さい頃から  鉱石ラジオを組み立てて、 周囲の人に

   プレゼントしては喜ばれ、 褒められて得々とする

   趣味がありました、

   

   ちょうど この頃は、 真空管式5球スーパーへトロダインラジオの

   組み立てを覚え、夢中になっていた頃で、 組み立てた ラジオは

   欲しがる 人が多く、いくら組み立てても、待って貰うほどの人気で

   引っ張りたこでした、

   

   部品代に手間賃位をプラスして、何十台と譲りました、 

   その上生活に楽しみがでたと 大勢の人から 感謝されました、

   

   口から 口えと 伝わり 依頼が増えて、嬉しい悲鳴をあげる

   有様でした、

   

   妻の、 退職金で開いた小さな店で、全部はたいてしまった分を

   いくらかでも 補足できると、 趣味をかねて頑張って続ける

   決心をしました。