前から思ってたんだけどさ、
電車の吊り革ってさ、進行方向に並行に立つように設計されてるじゃない。

これ一番バランス崩しやすい立ち位置じゃないですか。どう考えても斜めに立つ方がバランス取りやすいし、ーーーが///になってどう考えてもその吊革間隔に人間収まらねーだろ現象が解消されるじゃない。立ってみればわかるけど、立つの20度くらい回転するだけで全然バランス取りやすいでしょ?

そういうこと。鉄パイプ曲げたりすんの面倒くさいから吊革がねじれればいいかな。


さて、この
時期の就活生に敢えて苦言を呈するとしたら、

これ!"傲慢~冬なのにお前なにさま~"

とにかくセミナー行きまくって、業界知識がついてきた頃に陥る病気で、

勝手に評論家になる。結論から言うと、自分のやりたいことを実現するための業界分析だったはずなのに、何時の間にか自分がそこにいない"単なる"業界評論家になって、うんちくを垂れ始める。やれあそこはここがだめだ、ここはあそこがだめだ。

逆に聞こう、やりたいことは何だっけ?やりたいことが実際できる会社はどこなの?そもそも会社から見て取りたいと思われる人材なの、会社と自分のギャップは?もう一回、というか逐一ここに思考が戻ってこれる人が将来生き生き仕事をしてるんじゃないかな。

ま、僕みたいな自由な感じで就活してたクソ野郎に言われたらムカつくだろうけど、ちょっと気にしてくれたら嬉しいかな。

ンジャメナ


身の危険を感じたら一目散に逃げろ的なことをケンヂが言ってた気がしたので、我々は下山を決めた。

(あ、先頭にいた俺と服部で勝手に決めたんだった。)

というか、一個前の男だけのパーティーが引き返してきて、軽く話をしたら、ここが潮時だな、と思った。後ろがもはや、ついてこれてない。

三秒で決めた。

今でも正しい判断だったと思っている。

僕的には体力的には余裕があったので、気合で頂上までいける気がしていたのだが、帰ってこれる自信はなかった。

引き返すと決めたら、一気に緊張の糸が切れてしまい。テンションをあげてしまった。

須走下山道は、火山灰の一本坂。

字のごとく、全力で走って降りてしまった。

これにより、酸欠と、今現在のふくらはぎの軽い肉離れにつながる。

車に戻ると一目散に着替えて、ロキソニンで酸欠による頭痛をドーピング。

車の中に、僕が途中で着替えるつもりだったアンダーシャツ二枚とタオル三枚が見つかる。


そして、睡魔に落ちる。


挑戦は失敗に終わった。
挑戦中は必死だから割と楽しかった。

帰りもまた来ればいいやと、僕はけろっとしていた。


さて前置きはこの辺にして、

パーティーとは非常に難しいものであるとつくづく思う。

いるんな人がいる。それが一致団結して、同じ目標に向かう。しかし、己の身も大事にしなければならない、他の人も気にかけなければならない。イライラするような声をかけてはならない、あるときは謙虚にあるときは意思を強くおさなければならない。一人よがりだと精神的につらいが、依存しすぎても迷惑をかける。

それが団体行動なんだなぁ、と思う。僕は昔から団体スポーツをずっとやってきたが、本当に集団行動って難しい。

特に、頭がかっちかちの価値観で固まってくる大人たちの集団は更に難しいんじゃないかな。


そう思う。でもそこで切磋琢磨し、議論し叩きあって泣かせあって励まし合うこと、これが人生で一番面白いことだと僕は思っている。

なぜが、話がえらい方向にいったが、そんなことを考えた。



これは前回高山病で死んだときの絵
photo:01

ぼくは、8がつ2にちから3にちにかけて、研きゅう室のメンバーとふじ山に登った。

とても大変でした。雨がふっていて風がつよくてとてもさむくて、なんどもなんども

「あかん、むりや。あかん、むりや」

と思いました。

でも、仲間と声をかけあい、頑張って登りきることができました。


こんなんをともにのりこえたぼくたちは、ほこりにみちあふれて、そして、きずながふかまり、

山登りは人生の縮図なんじゃないかな

とまで思いました。


おまけにごらいこうまで、見ることができて、とても幸せでした。




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となるはずが、私たち6名は、7合で下山を決めた。

原因1 雨具が甘い
雨が完全に浸水し、服が全部ぬれた状態であった。

原因2 着替えをたくさんもってきたのに車に置いてきた(個人的)
ぬれることは覚悟していて、途中でアンダーシャツを着替える作戦だったが、着替えもタオルも全部車に置いてきた。

原因3 おなごに無理さすわけにいかん
勝手についてきた研究員の女性と先頭メンバーが30分近く離れてしまっていて、この登山客ほぼ皆無の中、離れて登るのは危険。かといって待っていると、体温を奪われて一気に死にたくなる。

原因4 ヘッドライト一瞬で壊れる(個人的)
100円のやつを落としたら一発で壊れた。

原因5 御来光という見返り重視
あまりにも天気が悪いので御来光見れなさそう、そしてじっとしてられないので登っても御来光まで待てない。

原因6 富士山恐い
文字通り



私、富士山2度目の挑戦、かくかくじかじかで、2度目の失敗。


私たちは、自然をなめてはいけないのであります。

私はまた、挑戦します。


失敗を恐れるより、挑戦しないことを恐れる。松下幸之助
就活中ずっと思ってたけど、就活ってくそくだらねぇよな。

って思ってたからめっちゃ苦労しました。受験の時も同じです。

で、僕は型にはまった就活したくないって孤独の道に入り込んでいった。

そして結局本採用面接30分前に、 高見澤に助けを求めた。一生の不覚。学んだこと、一人じゃ生きて行けない。

後輩にはこう助言したい。就活はくだらないものだから、楽しんでくれ、と。それ以上でもそれ以下でもない。良い会社に入ったやつが優秀なわけでもない。 入ってから頑張れたやつが優秀なんだ、と。

僕は今研究室の後輩が束になって、就活に臨んでいるのが羨ましい。弱さを見せ合うこと、実はこれが人生で一番難しい(僕にとって)ことだと思っている。それが自然にできている彼らは尊敬に値する。プライドと頑固さ、僕のこの二つは良いところでもあるが諸刃の剣でもある。

以上twitterより。



僕と(僕が客観的に見た)高見澤を比較してみると面白い。

スタンスが違う。

彼はこの就活をよい機会ととらえ自分を成長させようとした。

僕は今までの自分で勝負すること、それが就活だと思った。


まずは、僕の話。

僕は、自分がやってきたことに対してある程度自信をもっていたので、
とってつけたような ”就活” スキルととってつけたような ”就活” ノウハウで負ける気もしていなかった。

これまでの自分をうまく伝えればいい。と、そこだけに注力したがために、一人の世界に入り込んだ。

客観的に人が自分のことをどう思うかなど気にせず。


大事なのは、他人からどう見えるか。社会に出て、評価するのは自分ではなく他人。

そんなことは分かっていたが、僕は自分をどう他人にさらしたらいいのか分からなかった。助けを求める方法何かも分からなかった。

昔から常に一人で考えて考えて考えて、キャパオーバーして、ばーーーん。って感じだったからね。
それでも、自分のキャパの範囲で考え抜いた。

それでギリギリ何とかなってしまっていたのが問題だったのかもしれないね。



次に高見澤。

彼は、俺にこういうことを言っていた
「俺には、藤代みたいに、大学時代にアメフトチームでキャプテンやったとかないから。」

それがネックだったらしい。(国際交流サークルの代表をちょろっとやってた気もしたんだが。)

そこで彼はM1の一年間を、「行動」の年と位置づけ、
自らを行動によって昇華させようとした。

そして行動を起こし、考え、ものすごい成長をした。



僕は彼のこの一年間の成長を見てこう常々思っていた。

「てめこら、ざけんな。置いてくな、と。」

しかし、僕は置いて行かれていることには気付きつつも、この就活一人で乗り切ると決めてかかってたので、
助けを求めなかった。求められたなかった。



しかし、人間、極限まできたら、ダメなんです。
弱いんです。

助けを乞いました。


それが、冒頭のつぶやきにもあった、内定先の一次面接の30分前です。
高見澤に電話したんです。30分前に。


僕は最初に決めた一人乗り切りはできませんでした。

でも僕が一番成長したのは、その30分前だったんだと思います。
僕は声を震わせながら、自分が今とてつもない不安に見舞われていることを伝えました。

僕のくだらないプライドが吹っ飛んだ瞬間です。



くだらない就活だけど、殻を破るいい機会になったと思っています。それだけは価値があった。

これから就活の人は、高見澤のような成長や、僕のような殻破りに
遭遇できることを祈っています。


まだ、祈りはいい意味に聞こえるでしょう。

この時期は。

では。












今年就活の人はやってみれば?
http://www32.ocn.ne.jp/~emina/


以下僕の診断
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INTP型:問題を解決したがる

考えにふけってうわの空の大学教授を絵に描いたようなタイプがINTP型である。

頭の 中でじっくり考える(I型)なので、N型の想像力がいろいろな可能性を思いつく。

客観的(T型)なので、その新しいデータを分 析し、際限なく融通がきく(P型)ので、どんなデータもさっそく取り入れてしまう。

論文、図面、計画、企画、提案、 理論などなんであろうと、こまごました情報を一つにまとめた完成図を作りあげようとするが、たえず新しいデータを発見するので、そ の完成図がどんどん膨らんでしまう。

その結果、考えや構想や計画がどんなに最終的なものに見えても、土壇場になって「新しいデータ」が手に入ると変えてしまうの である。

これはINTP型にとってはわくわくするほど楽しいが、ほかの人、とくにJ型の性向を持つ人にはフラスト レーションになる。

完璧に見えても満足しないので、みずからが最大の批評家となり、あら探しをする。
完璧、有能、優秀 であろうとするあまり、それが極端になると、かえって負担になり、うんざりしたり自分を責めたりする。

このタイプは女性の場合に葛藤を生む。

考えにふける大学教授というのは従来、女性のイメージというよりは男性のイメー ジで、頭だけで理屈をこねる資質は、男性の場合は大目に見られるが、女性の場合あまり受け入れられない。

そこで少な くとも三つの問題が生じる。

第一に、女性は昔から、家庭や家族のこと以外では設計能力があるとは見られてこなかった
だ から、人生を頭で考えた理屈にあわせたいと思うのは、INTP型にとっては当たり前なのだが、従来の女性の役割には真っ向から反す る。

第二に、独創的に考えるのも従来の女性の気質とは見られていない。
たとえば、時間を聞かれると、INTP型は時間の 哲学的な意味について述べたくなる。
そうした風変わりな面も男性ならば頭がよすぎるせいだと見られるが、女性だと「鈍感」とか、ときに は「頭が鈍い」というレッテルをはられてしまう。

第三に、T型の面が、従順、優しい、気配りといった女らしさに反す る形で表れる。

INTP型の女性が感情を表にあらわした場合、悪くすると、しばしば極端に表現しすぎて、本人もほか の人もぎょっとしてしまう。


親子関係

INTP型は、親というのは子どもの未熟な頭を伸ばしてやるものだと思っている

一 人ひとりの子どもの違いを辛抱強く受けとめ、子どもには自分の考えをもって生きていけるように育ってほしいと願う。
自分の進 むべき道を模索する子どもを驚くほど寛大に支えてやる。

子どもの発達にあまり口をはさまない。
どんな考え方や行動をしたらよい か、いくつか選択できる道を示唆するだけで、けっして押しつけずに、新しい可能性を示してやる。

その助言が受け入れられなかったら、「ちょっといってみただけ」と答えるのがふつうである。

だが、ときには、反抗的 だったり無関心に見えるときでさえ、子どもは親が別の考え方を押しつけてくれるのを待っていることもあるのだ。

そう いう子どもにとっては、「無理やり」とか「押しつけ」といった言葉とは無縁のINTP型の親を持ったら不運である。

INTP型 の子どもは、人とのつきあいで内気と見られるか、逆に、やたらに理屈っぽくつっかかってくるかのどちらかで、その中間は少ない。

学校では、一つのことに集中せず、授業とは関係ないことをあれこれ追求しすぎると見られたり、場違いなときに場違いな質問を すると見られる。
そうした行動は、とくに女の子の場合、人騒がせと取られる。

必然的に、INTP型は学校生活に耐えて生き抜いて いくために、誰よりもよく勉強することになる。