傷だらけの天使 43年の時を超えて | ページをめくれ

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2013年 勤務していた会社が倒産。
50代でのサバイバルが始まりました。
これまでと同じ仕事は選択せず、
食 というテーマは変えず、違う形で、
地域に貢献できる方法を考え、
形にしていきたいと考えています。
しょうもないブログですが
よろしければお付き合い下さい。

凄いドラマです。

BS12で43年を超えた再放送。

撮り溜めして殆ど観ましたよ。

大人になって再度堪能したこのドラマは、

様々なことに気づかせてくれました。

 

 

僕は放送当時は、中学生だった。

思春期ですね。

萩原健一さん、水谷豊さんのお2人のかっこよさは、

当時の僕らの世代にすごい影響を与えたのです。

 

しかし、今回再放送を観て個人的に意外だったのは

一話たりとも、ストーリーは憶えていなかったという事実。

途中まで見たら、その後はするすると、ラストに向かって

思い出すとおもいきや、まったくでした。

記憶ってそんなもんなんですね。

 

このドラマの制作当時1974年は、いわゆる

アメリカンニューシネマの末期なんですね。

このドラマは、やくざ映画や、ロマンポルノ、そして青春ドラマを

手がけた多くの監督達が、アメリカンニューシネマを

意識し、時代を自分の目線で表現した

実験的な作品だったようです。

レギュラー陣以外に毎回ストーリーの芯になるゲストが

いるのですが、ラストは逮捕されるか、殺されるか、または

遊女に身を落とすなどほとんどの回は

ハッピーエンドでは終わりません。

これもベトナム戦争で社会矛盾を体験し、個人の無力感が

社会を覆った時期のアメリカンニューシネマの

影響だったんですね。

 

 

そして、大人になってわかったこと。

このドラマを名作として語り継がれるまで面白くしたのは、

僕的には、時代を打ち破った萩原健一さんの

天才的な演技力と、岸田森さんが演じきった

いやらしいけど憎み切れない

大人のキャラだったんだろうと感じています。

そして、岸田今日子さんの神秘的な存在、

水谷豊さんの純情で単純、超個性的なセリフの言い方。

衣装協力は30代でBIGIを立ち上げてまもない

菊池武夫氏がクレジットされています。

 

かかわったメンバーのその後を知ると、

ますますこのドラマは才能の塊であったことが

わかります。

 

BS12の近年のインタビューで萩原健一は、

アメリカンニューシネマの名作

 スケアクロウ のようなロードムービーを

したいと意思表示したが、予算の関係で

かなえられなかったと応えていました。

 

日本の芸能界で一番かっこよかったのは、

20代の半ばの萩原健一だと、僕なんかは

永遠に思ってるんだろうな。