「助けなければ」というエゴ | ミノックのアセンション哲学

「助けなければ」というエゴ

最近、被災地に祈りや光を送ろうという呼び掛けが増えていますが、
それが災害を生み出すエネルギーになる可能性もあると知ってもらいたいです。

一部に大量の光を送るという事は、それ以外の場所に闇が生まれるという事になります。


バランスが崩れるという事です。


東日本へ送った光は、富士山を挟んで反対側(四国・近畿)に影を作ります。


今回の大震災が落ち着いたら、影の部分に浄化作用が起きかねません。


そもそも「助けなければ」という想いもエゴを生み出しかねないのです。


例えば、ACのCMに対するバッシングは目に余るものがありました。


被災地の方々はテレビすら見れない状況でした。

停電や節電でテレビを見ない人もいました。


それでCMへのバッシングをしていた人々とは?

被害に合わなかった安全な人々ではないでしょうか?

ACのCMは大変素晴らしい内容です。

最後の「A~C~♪」音楽が腹立たしいとの声が多かったそうです。


「助けなければ」という人々の中には、自分の善行に酔いしれている人もいるでしょう。

直接助けられない自分の無力さに苛立つ人もいるでしょう。


そういう人々は「可哀想な人々」に「可哀想な自分」を重ねているのかもしれません。


被災地の方々にしてみれば、無駄に深刻ぶってる人は邪魔者になることもあります。


阪神淡路大震災の時に、ガスも水道も復旧していないのに、
カップ麺やインスタントラーメンを送る人や、
何も持たずにボランティアに来て被災者の食糧を食べて被災者の水を飲み何もしない人々もいたそうです。

何も出来ないなら、何もしなくても良いのです。


何も出来ないなら、日頃の生活を見直す事です。

いかに無駄に生きていたか、いかに贅沢をしていたか、いかに感謝していなかったか、それを見直すきっかけにして下さい。


助けなければという想いは、助けなければいけない人々を創造します。


可哀想という想いは、可哀想な人々を量産します。

助けなければいけない可哀想な人は、自分自身だと気づいて下さい。


祈りや光を送るのは、自分自身・地球・宇宙です。


被災地や被災者に光を送る事は、別の場所に被災者を創造する事になります。


気づいて下さい。


災害や不幸とは日頃感謝をしていない所に訪れる事に・・・


皆さんは電気やガス、水道や食糧に感謝していますか?


今回の大震災で有りがたさが身に染みたはずです。


まずは当たり前にあるものに感謝を送る事です。


それに気づかない限り、災害はなくなりません。


鳥インフルエンザも口蹄疫も今回の大震災も、食糧への感謝が足りなかったからではないでしょうか?


電気や燃料も感謝が足りなかったからです。


そして世の中を変えたいという人々の想いと地球の想いがピークに達したから災害が起きたのです。


溜め込んだ怒りや不満も、地球の自浄作用を促進させたのです。


助けなければと思うのなら、我々は意識改革をしなければいけないでしょう。


波動を高めれば良いでしょう。


波動を高めれば、無意識の行動が人を助ける事に繋がります。


助けなければという想いでする行動は、エゴや押し付けになる可能性もあります。


必要とされたら手を差しのべるくらいでちょうど良いでしょう。


「~しなければ」という想いは自己満足にしかならないのです。

善行は意識している時点で徳は積めません。


善人とは「助けなければ」叫ぶ人ではなく、無意識に助けている人です。


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