イスラエルの寓話は「公開暗号」 | 旅行、美術館、書評

イスラエルの寓話は「公開暗号」

テンプル騎士団がエレサレムで見つけた聖杯とは貸付金利の計算表だったという ウィリング氏の視点は鋭いのかもしれない。
http://www.madamepeko.com/histoires/temple.html テンプル騎士団はたんなる聖地の用心棒にとどまらず、欧州随一の「多国籍企業」に変貌。かって十字軍遠征の膨大な戦費の出入を一手に握った。西欧から中東まで「所領9000ヶ所」を有し、そのネットワークを生かした本格的銀行業務に乗り出した。フランス王は騎士団員に財務官を兼任させ国庫のカギを預けていた。こういう金融活動が高利貸を嫌う当時の風潮や修道士の3大誓願「清貧・貞潔・服従」に大きく離反。
地球を滅ぼす人類最後の宗教
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自然から乖離することに固執するイスラエルの神話は、旧約聖書の神のことでもない。

イスラエルの神話が存続しているのは、人間の精神の知的構造の中のシナプス(私的連鎖)

のよるもののように思える。


P183 第7章 暗号名(コードネーム)は「イスラエル」



旧約聖書でのヤハウィストの執拗な”土”からの乖離は「バベルの謎」でも指摘されている。

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また、旧約聖書の神との戦いというか、レスリングのシーンは不可解。

ゴーギャンの作品をみて、彼の苦悩はわかるような気がするけれども、そもそもの

話の内容がおかしい。 イスラエルとは土地の名前でなくてコードネームであると

の説の方が正しいように思える。






旅行、美術館、書評-神と格闘するヤコブ

http://ja.wikipedia.org/wiki/ヤコブ_(旧約聖書)  より

ヤコブが

兄エサウとの和解を志し、会いに行く途中、ヤボク川 の渡し(後に彼がペヌエルと名付けた場所)で神と格闘したことから神の勝者を意味する「イスラエル」(「イシャラー(勝つ者)」「エル(神)」の複合名詞 )の名を与えられる。これが後のイスラエル国名 の由来となった。





http://12thfinalreligionjpn.blogspot.com/   List

民衆に権力を取り戻すことが明示された

『地球を滅ぼす人類最後の宗教 マネー /金融システムの闇の超起源』 では、聖書の宗教・宗派が、いかにして米国の連銀やイングランド銀行のような中央銀行を覆い隠すヴェールとして機能しているかを解説している。

http://www.tamekiyo.com/money.html

 交換手段としてのマネーが、信用マネーとなるためには、思考(発想)の飛躍が必要である。新種の想念の炎が必要である。それは「時間」と「利益」を複合した「利子」という概念である。正規分布を前提とした統計学的に推定すると、元利金計算といった金融算術を理解できるのは人口の約3%(2.73%)に過ぎないという。これがレビ族から選抜され(レビ族を超越し)、世界の金融を操る秘密結社(現在の中央銀行ネットワーク)となった273人のカルトに象徴されている。


この秘密結社の想念に呼応して憑依してきたのがモロクである。ウィリング氏の考察によれば、モロクは、聖書の宗教をハイジャックし、ユダヤ・キリスト教のゴッド(ご主人様)に成りすましてきたという。当然のことながら、「信用」に基づく金融が機能するためには、「約束を守る」「借りた金は返す」といった倫理が人々に根付いている必要がある。その場限りで完結する売買取引には必ずしも必要ないが、時間を置いて完結する信用取引に倫理は不可欠である。片やこうした倫理を人々に「信仰」させながら、マネー創造という壮大なペテンを行う。このダブル・スタンダードこそが、詐欺と強盗の聖書の神、モロクのマネー宗教の本質である。


 ビジネスの世界に身を置いたことがある人ならば、商売で人より儲ける秘訣は、「騙し」「欺瞞」にあることはよく分かっているはずである。更に言えば、それを「人を騙す」のではなく、「社会貢献」であると信じることのできる自己欺瞞が必要である。その感覚こそがマネーの本質を衝いている。

http://satehate.exblog.jp/11638277/

〇エルサレム第二神殿の時代に創設された貨幣取扱専門カルト(カルト273)が、現在の国際金融銀行寡頭権力体制まで、まっすぐに、日々一貫して存在する。と言うことになるだろう。 太田龍


http://amesei.exblog.jp/m2009-05-01/

聖書に隠されたマネーの暗号を読み解いている本であります。聖書といっても旧約の方がメイン。前から思っていたのですが、イエスの言葉を集めた新約聖書と、もっと規範的なことを述べた旧約聖書というのは、同じ聖書といっても全然違うと思っていましたが、このウィリングの本を読むと、そのカラクリが見えてきましたね。




第6章 黄金のモロク神とミルコム神殿

ソロモン崇敬の「ミルコム神殿」は、今、中央銀行に成りすましている。


http://www.ubf.or.jp/modules/xf3Message/article-628.html

5-8節にはソロモンが崇拝するようになった偶像の名前、偶像のためにソロモンが行なったことが記されてあります。

アシュタロテは、性欲の女神です。 主に、イスラエルの北にいるシドン人が拝む神です。アシュタロテ神殿には同性恋愛者たちが祭司とて働いていました。

淫乱な行為が神殿で行なわれていたことを示してくれます。

そしてアモン人、死海の東では、ミルコムが拝まれていました。

これは別名モレクで、乳児をいけにえとして火の中にささげなければいけない神です。

モレクの神殿では遊女たちが祭司として働いていました。

この遊女たちは淫乱な踊りによって彼らの偶像に仕えていました。そして、この神殿でいけにえをささげるために来る男たちはそこで遊女たちと寝ることによって彼らの神に仕えました。それで、願わずに多くの赤ちゃんが生まれると、モレク偶像の手のひらに乳児をのせて焼き、それをいけにえとしてささげていたのです。

ソロモンはこのような神々に従い、忌むべきモレクのために高き所も築きました。

あんなに神様に愛されていたソロモンなのに、こんなに惨めな者になってしまったのでしょうか。その原因はどこにあったのでしょうか。本文の御言葉から二つのことを見出すことができます。