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2013-07-31 14:55:29

今月号のみやこわが町は、鍬ヶ崎特集だ!

テーマ:風景


鍬ヶ崎のはなし



またもや!



今月のみやこわが町は、鍬ヶ崎特集です。

これまでも鍬ヶ崎特集はあったのですが、

またもや!なのです。


昭和50年、私の生まれた年の写真、

店の配達用のバイク、

まるで私のために発行されたような号です(笑)。



震災後こんなことがありました。


とある飲み屋さんに行った時のこと。

商店街の店主さん3人組が

先客として飲んでいらっしゃいました。

挨拶してから

カウンターで妻と

彼らの話に聞き耳をたてながら酒飲んでましたが、

家に帰ったら妻が

「あの人たちの話聞こえてた?」


何のことだと思ったら、


鍬ヶ崎はもうだめだ

そもそも、

震災前だって、鍬ヶ崎はだめだった


などと会話していたそうで、

妻は

私に聞こえたら大変なことになると思って、

話題を振り続けていたそうです。



別にそんなことで怒りません、私は。

これまでだって何度も

そういった声は聞いてきたし、

商売やったら?と他人にすすめられる場所でもなかったし。

商店街なるものもないし。

やっぱり、そんな場所でしたよ、鍬ヶ崎とは。

イジイジ


震災前のことですが、

ヒマだった私は

「鍬ヶ崎マップ」的なものを作ってみました。

全くのヒマの産物ながら

新聞やテレビに取り上げていただいて

喜んでいたことを思い出します。


また、「みやこわが町」さんにも、

コラムを連載させていただいて、

ヒマな生活を

少しだけ潤いのあるものにしていただいたこと

読んでいただいた方、関係者の皆さんへ

本当に感謝しています。



つまり

私は鍬ヶ崎のことを嫌いじゃなかった

いやもう少しだけ言うと

私は鍬ヶ崎を好きだった

わけです。



お前の郷土愛など知らネーヨと言われそうですが、

少なくとも彼らは

私が鍬ヶ崎で商いをしているということだけは

知っていたわけです。

仮に、少しでも

鍬ヶ崎大好きクラブ(そんなものはありません)の

私の活動を知っていたとしたら…

(知らないはずないという確証はあります)


ああ、

あの時の私は

妻と二人っきりの美味しいお酒の席で、

なめられたんだな

喧嘩を売られたんだな

ということが判明しました。

と同時に、はっきりとしたことは、

彼らみたいな年寄りがいるから

ダメなんだなということ。


何がダメったって、

まず、人様が住んでいる土地を悪くいう時点で

私には発想すらできない事だし、

(せめてご自宅で言ってください)

一番は、

小売店、商売屋という生業の人が

鍬ヶ崎の魅力に共感できなかったんだということ。


今月号のみやこわが町には

いろんな年代の写真愛好家の方が撮影した

津波で流される前の鍬ヶ崎の写真が掲載されています。

流れる前の鍬ヶ崎には

足を止めさせて、

ファインダーをのぞかせる

魅力があったのではないでしょうか。

そして特集になるということは

鍬ヶ崎がまだまだ愛されているということだと思います。


ふるさとへの想いってそういうものだと思いますし、

そんな素晴らしい

人々にとっての多くのふるさとが流れたことを考えると、

悲しいですが、

ふるさとを紹介してくれた

みやこわが町さんに元気をいただきました。

今夜あたり、焼き鳥ふるさとさんに行きたくなりました。


さあ、お盆の月。

向町支店は、まだまだ、もの足りない。

少しでも鍬ヶ崎の頃の店に近づけるように

努力します!!






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2012-12-23 22:56:25

私にとっての先生

テーマ:日記


鍬ヶ崎のはなし




千昌夫の「おやじ先生」ではないですが、

心の底から反射的に先生!と呼べる存在は

実はそう多くないかもしれません。


例えば、小学校から高校までの先生。


別に恨み節などありませんが、

「あの頃の先生も若かったね」と思う瞬間や、

「あの時の言葉や行動は何だったのか」と考えてしまう思い出があります。

先生も人間である以上、

それはしょうがないとして、

しかしながら、

“やんちゃな生徒”に迎合し

若者の心に近いキャラクターであるという立ち位置の先生には

まったくもって辟易したもので、

中学生でひげを伸ばしたタツオ君と一緒に

どこかスカしてみていました。

私達も、かなり性質が悪かったと反省していますが…


勤め人の頃、

ある業界のペーペー事務員だった私に、

営業マン、それも結構御年と思しき

いうなれば人生の先輩の営業マンが、

先生~!と声をかけてきた時、

業界のひずみというものを感じました。

国家試験に合格した学校あがりの若者も

先生と呼ばれていた業界ということを知り、

いやはや、

コネとはいえ(コネでなきゃ社会人なんてなれなかった私なもので)

とんでもない世界に入ったものだと

楽しく酔った記憶があります。


で、先生の話


先日、恩師が亡くなりました。


少年野球チームの監督だった方です。

小学3年生からお世話になった方なのですが、

思い出す度、

不思議なくらい

本当に嫌な瞬間の思い出がありません。


試合で負けた日。

負けたにもかかわらず、ふざけて帰る私とナオト君、

首根っこをつかまれて怒られながら帰った

下町の夕暮れ。

あたたかかった。


坊主頭でフルートを習っていた頃も、

発表会に来てくれたカントクさん。

店を継いだ時も、

何かにつけて応援してくれたカントクさん。



人間の嫌な部分というものは、

良くも悪くも、大人から学ぶと思うのですが、

(オザキユタカみたいですね)

不思議なくらいそんな記憶が無い人というのが存在していて、

私にとって、そのひとりが、

カントクさんでした。

タバコの匂いと、

(酒のせいか?)しゃがれた声で、

大好きだった憧れの男性。

口数は多くないのですが、

どっしりとした器の大きさで、

私にとって、

素敵な大人の男の姿、

人生の先生と呼べる存在だったと思います。



鍬ヶ崎の店が被災してから、

仮店舗で家業を継続することができて、

準備をしながら、ようやく決まったうちの新店舗ですが、

引き渡しの前日に、

カントクさんの訃報が飛び込んできました。


悲しくショックで、

さみしくてたまりませんでしたが、

引き渡しのカギを受け取って数分後に

カントクさんの葬儀の引き出物の荷物が届くという現実に、

「しっかり商売やれよ」と言われているようでした。

(こんなことを口に出して言う方では無いのですが)


亡くなってもなお、

亡くなってまでも、

私のことを応援してくれているカントクさん。

妻と心をこめて包装した引き出物を配達して

とても穏やかな冬空の境内を

帰ってきました。



カントクさんの奥さんも、大切なお得意さまです。

津波で流されたもののひとつに、

うちの母とお得意様の

コーヒータイムがありますが、

次の店には

その空間をしっかりと備え付けます。

うちの母にとっても必要なものですし。


カントクさんへ。

奥さんと鍬ヶ崎を大切にしながら

店やりますので

どうか見ていてください。





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2012-11-13 13:09:33

11月の月曜日の休日。曇りの鍬ヶ崎を歩く。

テーマ:風景


鍬ヶ崎のはなし




休みの日。


いつも休みの日は

やれゴミ捨てだ

やれダンボール捨てだと、(捨ててばっかりだね)

忙しぶりをし

夕方から炭火でささみでも焼いて

ビールを開ける

そんな休みばかりでしたが、

今日は何もしないぞと決めておりましたら

妻がおばさんのお見舞いに病院に行き

義父がお土産してくれた

藤田屋さんのケーキを食べて昼終了。


まだ朝から何も食べてないんだけどという妻と

コインランドリー帰りに、

「ぐるまん」さんに初めて寄ってみる。

禁煙と書かれてあるので

いいねぇと思ったのだが、

出てくるのが遅い。

ハムカツとナポリタンで20分も待たされて

さすがにイライラ…。

はっきりって

すでに呆れていた私の目の前に、

グットルッキングなハムカツフライ定食が。



となりの席にすぐ運ばれてきた料理を見て、

おじさんが居なかったみたいだよ。

タイミングが悪かったねと妻。


どうも休みの日まで、

せかせかする癖がついているのかもしれない。

ビールでも飲んで

強制的にゆっくりすることがいいのでしょう。

とにかく美味かった!

おまけに安かった。


ぐるまんさん、また来ます



鍬ヶ崎のはなし



昼寝して散歩しませんか?


夕暮れの鍬ヶ崎。

道又先生の建物が、ほんのり夕日を浴びている感じ。

港町を歩こう。



鍬ヶ崎のはなし



あ~あ~



鍬ヶ崎のはなし



地盤沈下



鍬ヶ崎のはなし



妻と愛犬は先を歩く



鍬ヶ崎のはなし



曇り空と、コンクリートの体躯、照明




鍬ヶ崎のはなし


ため息ですね



鍬ヶ崎のはなし



ぐる~っ



鍬ヶ崎のはなし


出航!!



鍬ヶ崎のはなし


車が走っている



鍬ヶ崎のはなし



須藤水産さん

リカちゃん元気かな



曇りの鍬ヶ崎

いいなぁ








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2012-10-13 15:20:28

鍬ヶ崎で結婚式を挙げるということ。

テーマ:風景


鍬ヶ崎のはなし  



まづは、お弁当からレポート!

カニクリームコロッケと刺身が、とてもうまい。




先日10月10日、友人が結婚式を挙げました。


白無垢紋付袴姿で

結婚式の後に、鍬ヶ崎を練り歩き

七滝湯の前のベンチで

ご婦人方と一緒に写真を撮る


震災前、そんな夢を見ていた私に

「おくまんさまで結婚式やるから~」と友人から聞いたときには、

うらやましさとうれしさで、

飛び上がりそうになりました。


熊野神社で結婚式を挙げて

浄土ヶ浜パークホテルで披露宴をし

鏡開きは菱屋酒造店の男山でやる


これぞまさしく、鍬ヶ崎の結婚式じゃないか!

渾身のレポートをさせていただきます。



鍬ヶ崎のはなし



新郎新婦、さっそく写真攻め!

記念写真をとったら、熊野神社へ移動しますよ。



鍬ヶ崎のはなし



手を振って、車に乗り込みます。



鍬ヶ崎のはなし



みなさん、お待ちかね~


新婦さんの同僚の方々、

多くの友人に、

生まれ育った鍬ヶ崎をみていただく。

新郎のその気持ちがたまらなくうれしい。




鍬ヶ崎のはなし



きた~!

めんこいテレビの井上アナ、

しっかり撮ってね~!


そうなんです。

めんこいテレビの密着取材をうけたのです。

鍬ヶ崎応援サポーターの井上アナウンサー、

このような場面を取材しないわけがありません。


というか、メディアのみなさま。

皆同じ記事書いて、同じ写真載せてどうすんの??

「被災地での神社で、宮古を離れた青年が古式ゆかしい結婚式を…」

各社の記者さん、集合すべきでしょ!

気概をもって、オリジナルの記事を書いてくださいよ。

(集合したら、オリジナルじゃなくなるか…)

特に、鍬ヶ崎関係の!

でなきゃ、汽車で帰社しなさい。




鍬ヶ崎のはなし



熊野神社での結婚式は、本当に素晴らしいのひと言でした。


夏祭りと元朝参りの時だけ、

とはいっても、

見慣れているはずの場所での結婚式は、

特別な光景でした。


この人数入るかな?というひしめきあった空間に

凛とした空間。

神主さんの、ユーモアある挨拶に

和むお社。


いいなぁ。



鍬ヶ崎のはなし



新郎お父さん。


いい結婚式でしたね~。

本当におめでとうございます。

さあ、それでは

披露宴とまいりますか!?



鍬ヶ崎のはなし



あ、

あれ!?

どこ行くの?




鍬ヶ崎のはなし




ここは市役所の窓口。


な、

なんと、

このまま婚姻届を出しちゃったのでした~!


これには、市職員の皆さんもびっくりです。

遠巻きにこちらを見ています。

そりゃそうですよね。

なんせ、友人一同もびっくりしているんですから。


と思っていたら、

びっくりマークの方がもう一人…



鍬ヶ崎のはなし



な、

なな、

なんだ~!?



山本市長も、やっぱりびっくり組でした!

どこ?

え~鍬ヶ崎~!?

えっ!神社で結婚式!?

いいなぁ、こういうの~!


市長さん、新郎新婦とがっちり握手。

人口をどんどん増やせー!という、

市長のセクハラ発言は、

良き日に免じて許しちゃいましょう(←何様?)



*後日談


復興市なるイベントで、

末広町を、何か食いながら歩いていた

視察されていた市長さんに、

「先日は友人の結婚を祝っていただきありがとうございました」

と伝えると、

いやこちらこそ教えてくれてありがとね!

立ってるものは親でも使えってなもんよ!

あ、このポップコーン食う?


私、ますます好きになりました、山本市長のこと




鍬ヶ崎のはなし



宴が始まりました。


菱屋酒造店、ヒッサの男山で乾杯!

さあ、おご馳走をいただきましょうー!

といきたいところですが、

司会の大役を仰せつかった私は、

緊張でこちこち。

あまりの緊張で、泣きたくなったのは初めてでした。


しばしご歓談ください、と席に戻ってからも、

ご馳走を前に、どうも胃が痛くて

「しばし私に休憩をください」状態。

その割には食ってたじゃんと妻。

うにご飯がしみるね~。




鍬ヶ崎のはなし



友人に囲まれて。


「鍬ヶ崎を初めて感じた」と妻。

なんのことかと思ったら、

友人の、がんちゃん、まっこーと新郎の会話が

あまりに鍬ヶ崎弁丸出しで

あまりに楽しいものだったからとのことです。


鍬ヶ崎地区といっても、

上町と港町では気質が違うもの…

よく聞いた話ではありました。


商業地域の上町あたりと、

漁師町の熱気渦巻く港町地区あたり。

上町がどう、港町がどうなどと、

私ごときが簡単に言えるものではありませんが、

常に私の心にあった、

本当の鍬ヶ崎らしい部分への憧れ

コンプレックスにも似た憧れを

妻は感じてくれたんだと思います。


新郎が新婦さんに見せたかったはずの鍬ヶ崎。

それは、

私自身も、妻に見せてあげたかった鍬ヶ崎であると

あらためて気がつきました。


鍬ヶ崎で結婚式をするということ。

こういったことだったんですね。

素敵すぎて、疲れました(笑)






夜は更け…



鍬ヶ崎のはなし



二次会で、歌う媒酌人と新郎。


宮古を離れて暮らす友人。

一度はUターンしたものの、

都合により、再度上京した彼。


独り上京して、

その技術スキルと行動力を生かして、

稀有な興味本位追及体質を、存分に生かせる仕事に就き、

チャーミングで素敵な奥さんを見つけて、

中目黒や東横線界隈のおしゃれな街をテリトリーとしつつ、

しっかりと自分の居場所を見つけた彼の姿。


宮古を離れなければならなかった彼と

あの時、もっと話しておくべきだったと思いながらも、

とても幸せそうな彼の笑顔に、

私は涙がでました。


あの時、何もできなくてごめんね。

そして、鍬ヶ崎で結婚式を挙げてくれてありがとう!



たつおくん

めぐみさん

体に気をつけて、過ごしてくださいね。

あの結婚式の感激を引きずって、

結構心身にダメージがあるので、

上京したら、

ホルモン焼きでもおごってください。






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2012-07-02 21:10:57

鍬ヶ崎は現役だ

テーマ:できごと
鍬ヶ崎のはなし-120702_2110~01.jpg


今月のみやこわが町も鍬ヶ崎特集!!

私も、まったくもっての、
変わりばえのしないコラムを
書かせていただきました。

ところで、
コラムを見たうちの親父の顔が曇っています…
なんでも
「鍬ヶ崎の復興に関してリーダーたる人がいない」という
そのあたりが引っ掛かるようで…
所謂“世間の目”を気にしているようです。
もっと、差し障りなく、楽しくおもしろおかしく書け~!とのこと。

現在の復興会議の委員長は、
鯛屋商店の旦那さんだそうです。
現在の鍬ヶ崎で生きながら商売をされている方々へは、
ある意味で“嫉妬”を感じながらも
心から頭が下がる思いです。

あのような方々を批判しているように感じたのなら、
小学校の国語から勉強し直して
行間を読む訓練をしたほうがいいと
男山の酔いもあり
父を問い詰めてしまいました。(…いつものことながら)

コラムでの私の思いは、
これからを担う若い世代を
復興会議に参加させなくていいのかということへの疑問と
他人様の投票活動でまつりあげられる立場のような人が
しかも結果をある程度求められるべき立場の人が
はっきりとわかる形で
リーダーシップを発揮していないのではということ
まあ、
そのあたりです。

もちろん、
そのあたりの人に期待したことなど無いのですが、
でも、
震災から1年と4か月、
道路1本、
どこをどのように通るのかわからないような
復興の進捗状況で
果たしていいのでしょうか?
さみしい限りです。

そういえば…
震災前に、防波堤の建設に反対した方々がいました。
そういう私も、
「景観が変わる」という点で、
正直さみしいなぁと、あまり賛成ではありませんでした。
しかし、
担当機関にできるだけ交渉することもなく
自分の仕事への影響だけで反対していた人がいました。

宮古は漁業の町。
あたりまえです。
しかし、
漁業関係の人でない人もたくさん暮らしていたことを
忘れてはいけないと思います。
あの日、高台で見ていたある人が、
「これでも防波堤に反対なのかー!」と泣き叫んでいたのを思い出します。
防波堤があったら、
うちの家も土台からずれることなく
解体しなくて済んだと思っています。

防波堤に反対、
それはそれでいろんな意見があって当然ですが、
その当時の意見も踏まえることなく
やれ復興だ
やれ頑張ろうと言うのは、
少し卑怯ではないかと思います。


私の鍬ヶ崎への思いは、
強烈で刺激的すぎるのかとも悩みます。
「それなら、お前が先導してやれ!」と父が吠えていましたが、
鍬ヶ崎に住まない人間が口を出すな
ってな感じでしょうか。
へいへい。

でも、
私なりに少し考えています。
住もうと思っている友人がいたり、
熱く語れる同級生がいます。
もう戻ることのない
鍬ヶ崎の風景ですが、
準備を始めてみます。



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2012-06-03 11:56:37

みやこわが町 2012年6月号は、鍬ヶ崎特集です!

テーマ:できごと
鍬ヶ崎のはなし-120603_1156~01.jpg



今月号のわが町は、鍬ヶ崎特集!

これまでも何度か特集がありましたが、
今回も充実しています。
宮古のなかでも、一番宮古らしい町でした。
掲載されている風景の、すべてが無い!

最近の車は、
軽ですら、キーを持っているだけでエンジンがかかるという
非文学的なシステムです。
…鍵を店に置いたまま発車した父のために
鍬ヶ崎まで行きました。

やませの風が入り込んで、寒い。
これぞ、鍬ヶ崎(涙)。

なんとも陰気くさい街並みで、
中心商店街への対抗心と情熱だけをもって
盲目的に店を開けていた20代。
わざわざ足を運んでくれたお客様と
「なんだかとってもいい街ですね」など
言ってくれる業者さんの
社交辞令に励まされた日々を
思い出しました。

千葉で浪人生活をしていた頃。
ダイエーで流れていた、歌なしポップスの店内放送。
暗い青春時代を思い出させてくれる
BGMが流れている商店街で店を開けていると、
音楽なぞ無くても、
鍬ヶ崎弁のかがさんやおどっつぁあんの話しぶりや、
おばあさんの引いている手押し車の
ガラガラという音が淀んでいた
あの鍬ヶ崎が
急に恋しくなります。


鍬ヶ崎。
私には、
あの町が良かったですね~



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2012-01-08 12:45:03

あなたとは違うんです。やはり

テーマ:できごと
鍬ヶ崎のはなし-120108_1244~01.jpg  浄土ヶ浜で拾った流木


成人式の穏やかな日の午前中、
父が「視察会」と称して鍬ヶ崎に出かけていきました。
復興委員会云々という会の、
しかも平均年齢70歳(?)ぐらいの指視察団の様子を
通勤前恒例の鍬ヶ崎ドライブしながら
車から見ておりました。
ずいぶん御年な方々ばかりだなぁ~などと
失礼ながら、シニカルぎみに見てきました。

「堤防なんか作るよりも、高台移転に金かけたほうがいい」
最近特に目にすることが多い論調です。
同時にはっきりと感じるのが、
そうはっきりと
口にしたり字にしたりできる人って、
簡単でいいなぁということです。

かくいう私も、
今後かかるであろう予算と時間、
さらに再び襲ってくるであろう(と断言できるほどの確率ですからね)
津波の襲来には、
堤防よりも、高台移転が確実だと思います。
三陸沖の津波を想定した場合、
宮古市への被害は
これまで以上の被害が考えられるようですから。

彼らの意見としては、
鍬ヶ崎でいえば、
水産関係業のみ集約して、
住居は高台移転すべきというロジックなのでしょう。
ところが、
商業施設等でも
また、うちみたいな店舗兼住宅なども
津波が来ない場所にと考えると、
宮古にはそんな場所はないわけで、
鍬ヶ崎どころか、
末広町だって壊滅的な被害になるでしょう。
そうなると、
はっきりって、
宮古での商売は何も考えられなくなります。

しかしそんな状況で、
ふたたび宮古で商売を再開することを決めた方々のなかには、
そう簡単に方向転換できなかった人
しなかった人がいることを
想像してみるべきじゃないでしょうか。

いろんな事情で、
宮古を離れなければならなかったお店さんも知っています。
しかし、
資金や技術、スキルがきちんとあって、
宮古以外の、
たとえば盛岡や内陸で商売できたであろう人も
きっといます。
しかし、
彼らは、その選択をしなかっただけという面もまたあるのです。

もちろん、
商売的な計算もあるかもしれません。
しかし、
宮古での田舎暮らしならではの
しがらみに辟易しながらも
そこで暮らすということを決めた人が
やはり、いるんです。
東北人らしく口下手(だかなんだか知らない)性格で、
「生まれ育ったふるさとですからね」
ぐらいで、がんばっている人がいるのです。

70としょりのおやじ達が、
メジャーを持って、道路を計測している姿を目の当たりにして、
被災地に生きるということや、
生まれ育った場所にしがみついて生きるということを、
改めて考えさせられました。


ちなみに、これは私見ですが、
これから宮古で商売やるなら、
ふたたび津波に襲われても
再開できる体力と、
バックアップできる体勢が必要だと思います。
「とにかく逃げ場所を確保しろ」
福岡出身の義兄との会話で、
まづは命だ!とも再確認しました。

津波が来るような場所に、よく住んでいるなぁと
はっきりと言われたこともありますが、
う~ん、
あなたにはわからないだろうなぁと
困っちゃったことがあります。

転勤族や、
被災地に故郷をもつという現実を体験していない方々、
誤解を恐れずはっきり言えば、“よそ者”の、
「こんな津波が来る場所に、よくもまあ、しがみついて生きてるね」的な
軽~い口笛の音色は、
限られた予算と時間、
本当にそこに住む人の思いなど、
一筋縄ではいかない現代における震災からの復興に
深くて難しい問題ばかりがあることを
露呈してくれます。



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2011-12-30 21:46:15

もうすぐ今年が終わります

テーマ:風景

鍬ヶ崎のはなし



今日の浄土ヶ浜(甥っ子てるあき君撮影)



忘年会と称して、先輩夫婦と飲みました。


「今年はホント1年があっという間だったなぁ~」と先輩。

たいていの皆様はそうおっしゃるようですが、

私は、今年はなんだか長かったと感じています。

仕事をするようになって、

初めて4か月も“休業”状態になったこともあるのでしょうが、、、


家と店が無くなり、

車も流され、

旅の計画ばかりしている日々が続き、

中古の車を買って

ぽっと物件が見つかり、

店を再開する準備を始め、

再び店をオープンする


こんな展開など、

たった1年で体験するもんじゃないらしく

頭がおよそ2、3年分ぐらいの時間を感じさせているのではないかと

思うくらいなのです。


もっともっと忙しく過ごされ、

何倍も頭と体を使って、

復興に向けて頑張っている方々ばかりだと思うので、

我ながら、

体力と頭脳の無さに、辟易しています。majide


鍬ヶ崎は、どうなるのでしょうか?


自分の稼業、服屋を頑張ろうとすればするほど、

鍬ヶ崎から離れてしまうんじゃないかという

不思議なもどかしさがありますが、

もともと

誰かと一緒に力を合わせて何かをしようという柄でもないので、

自分のペースと能力の範囲で、

鍬ヶ崎のためにできることを考えます。



みなさま、良いお年をお迎えください。




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2011-11-22 17:25:52

あー!俺んちの床材だ!

テーマ:風景

鍬ヶ崎のはなし



会津で開かれている、漆の芸術祭 に、

義兄の青野文昭さんの作品が展示されているというので、

行ってみました。


店のフローリングで隠れていた、

昔の床材が、

テーブルにくっついていました(笑)



鍬ヶ崎のはなし



さとう衣料店の名が(笑)



流されてもなお、出たがりのさとう衣料店…

それを知ってかどうか

とにかく青野さんに感謝です!


被災地入りして、

いろいろ拾っていた青野さん。

がれきは、

やっぱり単なる“ゴミ”ではないし、

その人にとっては宝物に他ならないものも

あるわけです。

流されたことはしょうがないですが、

記録を残すという意味でも、

ありがたいことです。


流されたといえば…

鍬ヶ崎の防潮堤の建設に反対している人がいるとか。

びっくりです。


私はと言えば、

震災前、特に賛成なわけでもなく、

いつ来るかわからない津波に

巨額の費用が地元に落とされて申し訳ない…

また、

この素晴らしい鍬ヶ崎の景観が変わるだろうということで、

正直慎重な考えでした。


でも、今後の鍬ヶ崎を考えると、

はっきり言えば、

鍬ヶ崎がどうなるか本当にわからないですが、

事業所や住宅で構成される可能性があるのならば、

少しの高波さえにも、日々怯えなければならない土地に

誰が将来を見出すのでしょうか?


本当に鍬ヶ崎のことを考えている方の発言とは

とても思えません。

もしも防波堤があったら、

うちの家だって、柱や壁が残っていたかもしれず、

そしたら何かしらの店を

(服屋は無理でも)

必ずしつこくやりたかったと思うわけです。


びっくりついでに…

復興会議なるものに、父親も参加していますが、

地図を渡されて、

「今後どうなるのか、どうしたいのか書いてきて」的な課題があるそうです。


道路を拡張したいからといって、

人様の土地に線なんかひかれるか!と

父は言ってましたが、

ある程度の前提要件、

たとえば、

防潮堤を作って道路を広げましょう

それぐらいの提示は、

市なり県なりがやるべきではないのでしょうか?

だいたい、立場も職業も違う人々が集まって話しても

簡単に決まらないでしょう。

なんせ、この期に及んで、

防潮堤建設反対という人もいるくらいですから…


陸前高田を見てきました。

恐ろしいほどに、何もない。

そして、想像するのを辞めたくなるほどの、津波の爪痕。

仮設の市役所、店舗、

まだまだ多いガレキ。


「自分たちで考えた町は、誰もそこを離れない」と

宮古市の誰かが言っていましたが、

愛した土地を離れなければならない人は、もういるわけで。


復興というものを考えた時、

宮古市と陸前高田とでは、

求められているスピードと、その内容は

かなり違うものでしょうが、

何年か後にそれは確実に現れてくるものだと思います。


そういった意味での、

頑張りましょう!宮古であるなら、

悲しい。




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2011-10-07 00:34:57

あの日のこと

テーマ:できごと
鍬ヶ崎のはなし-111007_0034~01.jpg  青亀堂の張子はいずこへ




義兄である、青野文昭さん が、
あの日のことについて書いてくれました。

11月は会津若松で行われるイベントに出展。
鍬ヶ崎にゆかりのある作品になったとのこと。

鍬ヶ崎の良さを感じて、伝えてくれる人って、
ここにもいたんですね。








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