mother | 映画熱

mother

糸井重里のゲームではありません。

 

長渕剛の、名曲です。

 

 

お袋の四十九日の法要が、先月にあって、

 

妻と娘が、何とか都合をつけて、行ってくれました。

 

行方不明だった兄も、帰って来ていたらしくて、

 

ちゃんと、接客をしていたそうです。

 

 

それがよかったのか、悪かったのか、俺にはわかりません。

 

ただ、それを聞いた瞬間、体の力が抜けたのをよく覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと、

 

ここ最近、

 

自分の愚痴ばかり書いて、

 

読者の皆様は、さぞドン引きしたことでしょう。

 

 

でも、

 

書かずに、いられなかったんです。

 

 

誰でもいいから、

 

俺の話を、聞いて欲しかったんです。

 

 

そうしないと、死んでしまうから。

 

 

死にたがりのくせに、

 

まだ、生きることに何かを見出そうとする、

 

哀れな49歳の醜いオヤジを、嘲笑して下さい。

 

 

 

その夜は、月が、おぼろげな姿で、ぼんやり見えていました。

 

 

俺は、じっとしていられなくて、外に出ました。

 

土曜日の夜は、大抵、どこの飲み屋も混んでいるので、

 

店の入り口まで行って、賑やかな声が聞こえたら、入るのをやめました。

 

 

そうやって、しばらく歩いて、40分くらい経った頃、

 

俺は、ふだんあまり行かない、フィリピン人のスナックに入りました。

 

 

静かだったので、扉を開くと、

 

ママさんと、年配のお客が1人いました。

 

よかった、空いてる~

 

(それは、よくないことなんだろうけど)

 

 

このお店は、椅子の座り心地がいい。

 

歩き疲れた下半身を沈めるのに、ちょうどいい。

 

俺は、そこにいられるだけで、充分でした。

 

 

キープしてあるボトルで、ロックを頼んで、大きく、溜め息をひとつ。

 

お二人の邪魔をしないように、大人しく飲んでいました。

 

 

その“お兄さん”は、ただの酔っ払いおやじではなく、

 

どことなく、品性がある人でした。

 

カラオケが途切れたので、ママさんが、桑ちゃん、何か歌ってよ、と。

 

フィリピン系のお店では、洋楽を思いっきり歌えるので、

 

俺は、映画「明日に向かって撃て」の主題歌、「雨にぬれても」を選曲。

 

 

そしたら、その“お兄さん”が、食いついてきたんですね~(笑)

 

映画の話ができる人って、そうそう出会えるもんじゃないから、

 

何だか嬉しくて、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの話をして…

 

彼はすでに出来上がっていたので、俺が来てから1時間後に、帰りました。

 

いい時間が過ごせて、俺はすでに、その時点で満足でした。

 

 

 

彼がタクシーに乗って、ママと俺だけになって、

 

久しぶりですね、なんて話をしていたら、俺、思わず、言っちゃった。

 

 

実は、8月に母親が死んでね…

 

 

ママさんは、真摯な表情になって、俺に言いました。

 

…桑ちゃん、歌いなよ!

 

 

ビリー・ジョエル、エリック・クラプトン、ボズ・スキャッグス、シカゴ、

 

ホール&オーツ、ワム、エルヴィス・プレスリー、メリサ・マンチェスター、

 

ホイットニー・ヒューストン、ビートルズ、プラターズ…

 

 

あらゆるレパートリーを歌った後で、

 

どうしても、歌いたい歌があった。

 

それが、長渕剛の「MOTHER」。

 

 

俺は、歌詞を、少し変えて、歌いました。

 

「笑ってばかりいる」を、

 

「謝ってばかりいる」と…

 

 

親父が、怒鳴る。

 

お袋が、謝る。

 

子供には、余計な発言を許さない。

 

何か言えば、火に油を注ぐだけだから…

 

 

お袋のお見舞いには、2回しか行けなかったけど、

 

誰を見ても、謝ってばかりいる、お袋の姿がありました。

 

何か、悪いことが起こると、全部自分のせいにしてしまう。

 

お父さんを怒らせてしまった私が悪い、と。

 

お母さんがバカだから、みんなに迷惑をかけてばっかりで…と。

 

 

それは、違う。

 

俺は、ずっとずっと、そう言い続けてきた。

 

お袋と二人になると、お袋の愚痴を聞いてた。

 

お袋という存在がいないと、家庭が崩壊するのがわかっていたから。

 

でも、俺がしたことは、焼石に水だった。

 

 

兄は、肝心な時に、逃げてばかりいる男になってしまった。

 

幼い頃に、俺をさんざん奴隷のようにいじめたくせに。

 

俺は、家族の中で一番弱い立場だったけど、

 

自分のできることを、一生懸命やったつもりだった。

 

でも、俺が何かいいことをすればするほど、兄の株が下がってしまう。

 

そのことに気づいた頃には、俺は、行動不能になるほど、蝕まれていた…

 

 

 

俺は、無力な男。

 

がんばって、よかれと思ってしたことも、全部、裏目に出てしまった。

 

親父は、俺がいいことをすると、そのぶんだけ、兄を罵った。

 

娘が幼い頃は、かわいがってくれたけど、

 

孫がかわいいぶんだけ、兄とお袋が責められた。

 

 

親父は、常に誰かをいじめていないと、気が済まない人間だった。

 

祖父と、おんなじ。

 

いや、祖父よりも、たちが悪い。

 

 

そんな家に嫁入りして、病気になって、何度も手術するような痛い目に遭って、

 

どうして別れないんだろう、って、不思議に思ったものです。

 

病気になってしまったから、負い目があったのかもしれません。

 

でも、その原因を作ったのは、祖父と親父に間違いないんだから。

 

 

 

あんな親父でも、やっぱり、愛していたんだろうか。

 

今となっては、もう、聞くこともできません。

 

 

兄は、溺愛されて育ったような気もしますが、俺には、わかりません。

 

少なくとも俺は、「手のかからない子」として、放置されていたのはわかります。

 

兄は、病弱でした。

 

2番目と3番目の子供は、流産したそうです。

 

俺は、正確には、4番目の子供。

 

この子がダメだったら、もう子供はいらない、と親父は言ったそうです。

 

 

 

しかし、俺は、3900グラムで、この世に生まれました。

 

ついでに生まれた、余計な子供だったのか。

 

3人分の命を受け継いで生まれた、貴重な命なのか。

 

(まあ、実際、弱虫でダメな人間ですが)

 

 

親父の口癖は、

 

ウチの子供は、ロクなのがいねえ、でした。

 

 

生まれたこと自体を、最初から否定していたのか。

 

もともと、子供なんて欲しくなかったのか。

 

 

怒鳴ってばかりの、父親。

 

謝ってばかりの、母親。

 

 

その母が、親父に逆らったことが、何度かある。

 

最後の記憶は、去年の今頃でした。

 

あの時から、すでに、崩壊していたんだと思います。

 

その時、兄が必死で止めたらしい。

 

でも、俺が駆けつけた時は、逃げて、いなくなっていた…

 

 

俺が、何とかしてくれると思ったらしい。

 

…この、バカ野郎。

 

 

長男がそんなんだから、次男がうつ病になるまで苦しんだんじゃねえか。

 

 

母が死んだ日に、兄が行方不明になり、

 

四十九日の法要の直前になって、帰って来たそうな。

 

というか、兄が帰って来たから、四十九日の法要が決まったのか。

 

 

兄は、お通夜も葬式も、俺がうまく立ち回って何とかしたと思っていたらしい。

 

俺が、こんな状態で苦しんでいると妻が伝えると、愕然としたという。

 

俺もいつしか、兄を甘やかしている一人になっていたんですね…

 

 

 

俺はもう、彼らと家族でいることに、疲れてしまいました。

 

7月のあの日に、自殺しておけばよかった、と何度も後悔し、

 

去年のあの日に自殺しておけばもっとよかった、と後悔、後悔、後悔!

 

 

でも、死ねなかった。

 

それは、お袋が、まだ生きていたから。

 

 

俺が死ぬと、お袋の心が、壊れてしまうのがわかっていたから。

 

 

 

親父は、あの日の残酷な会話を、お袋に言ってないと思います。

 

自分にとって都合の悪い事実は、なかったことにしてしまうんです。

 

だから母は、

 

俺がどうして、実家に行かなくなったかも、知らないまま、あの世に行きました。

 

 

 

長渕剛の「MOTHER」に、こんな歌詞があります。

 

 

俺の机の引き出しには まともな字を書けた頃の

 

大きな人の手紙がしまってある

 

 

 

お袋の最後の文字は、今年届いた年賀状に添え書きした、たった一言。

 

 

元気になったら、また顔を見せて下さい

 

 

俺は、元気になれなかったけど、顔を見せたよ。2回も。

 

ものすごく、勇気を出して、行ったんだよ…

 

 

 

 

 

病院のベッドで、お袋は死んだように、眠っていた。

 

まともに会話できるうちに、会えてよかったと思う。

 

 

1回目に行った時は、まだ大丈夫だと思ったけど、

 

2回目に行った時は、もうダメかもしれないと思った。

 

 

俺の悪い予感は、的中することが多いんです。

 

 

最後に、手を握った時の感触が、まだ残っています。

 

 

ありがとね。

 

心配かけて、ごめんね。

 

 

お袋は、俺に、謝ることなんて何もないのに。

 

親父にだって、病院の職員にだって、何にも、謝ることなんてないのに。

 

 

弱く、それでいて、力強い感触が、俺の右手に、ずっと残っている。

 

 

 

Oh,MOTHR Oh,MOTHER Oh,MOTHER

 

謝ってばかりいる

 

 

だから俺は 何故謝っているんだいって 聞くと

 

また遠くを見て ただ 謝っているだけ

 

 

 

ママさんと2人きりのカウンターで、俺は、熱唱しました。

 

ママさんは、しっかりと、聴いてくれました。

 

 

…桑ちゃん、あたし、泣きそうだわ~

 

そう言って俺を見た彼女は、俺を見て、笑いました。

 

 

…桑ちゃんの方が、泣いてるじゃん(笑)

 

 

 

彼女も、色々あった女だと思います。

 

だからこそ、ここ一番という時に、強い。

 

 

俺にとって、忘れられない夜になりました。

 

 

 

 

 

この店は、いずれ、なくなると思う。

 

でも、俺は、この店のあたたかさを、忘れない。

 

 

俺が生きている限り、

 

俺の命が残っている限り、

 

この夜のありがたさを、語り継いでいきたいと思う。

 

 

可能なら。

 

俺が、明日も生きている保証なんて、どこにもないけど。

 

 

生きている限り、

 

俺によくしてくれた人たちのことは、ずっと忘れない。

 

 

読者の皆様、こんな記事を書いて、ごめんなさい。

 

書かずには、いられなかったんです。

 

どうか、許して下さい。

 

 

明日から、また、仕事をがんばります。