どうぞメシウマしていってください。
でもたまには慰めてほしいような?


というわけで、二ヶ月で30万とか使いながら微課金と言いはる変態を慰める。

結論から言うと、慰めようと思ったのに、
名前晒すのはやっちゃいけないよという内容になってしまいました。笑い。

最近このブログは記事が一個消えました。
どっかのブログみたいにTENGAとか書いて運営から消されたのではなく、
自主的にです。

簡単に経緯をさらうと

ゲーム内で敵側からわざわざ煽りをこめた挑発書簡がくる

名前とか伏せずに、(多少嫌味もこめて?)それを日記に書く

苦情がきたのか自発的なのか、身内からストップがかかる

その日記を取り下げる

こんな感じですね。

とかく名前を伏せたがる人がいます。
三国志大戦というゲームは、ニコニコ動画に対戦動画をあげる人が多いゲームなのですが、
動画を上げる際には、相手の許諾を得ないと名前を加工処理するという暗黙の了解が出来上がりました。
その影響もあり、今では、公式動画サイトの機能で、相手の名前を伏せることができます。

まぁ大体流れとしては

名前?別に隠さなきゃいけないわけじゃないでしょとそのまま上げる

晒しだ!自分が勝った都合のいい動画しかあげてない!相手の事考えてない!と噛み付く奴が居る

じゃあ、と負け動画を上げる

晒しだ!相手の動きが悪い!これは晒し動画!

どないせえっちゅうねん

名前消せ!!名前消せ!!!

という草の根抗議活動が続けられた結果です。
サイレントマジョリティの逆で、ノイジイマイノリティとでもいいましょうか。
大抵の人がえ?そうなん?と思うようなことでも、
声を荒げて精力的に活動する人がいて、わざわざそれを止めようと思う人がいない場合、
少数派の意見が通ってしまうんですよ。人権とか歴史問題はよくそんな感じですね。

これ俺は不思議だったんですよね。名前とプレイがセットで出されるってのは、
別に俺は晒しとは思わんのですが。偶然対戦相手になっただけならね。
あー、俺の感覚がおかしいかもですが。そうなるとこれはノイジイマジョリティ?
マジョリティならノイジイとは言わないか。

ツイッターは常時公式スピーチのようなものであると言いましたが、
それは、インターネット上で、他者から見えるよう発したものだからです。

ブラウザ三国志とかの書簡は、
特定個人にしか読めないように送ってるものである、とは言えますかね。
でも俺はブラウザ三国志で、対外的に受け取った書簡は名前をほぼ伏せませんでした。
伏せたのは、名前を出すと相手に悪影響があり、それを俺がよしと思わなかった場合だけ。

これはあくまで俺の解釈ですが、
あのゲームは書簡でコンタクトを取らなくてもゲームが完結します。
なのに、敵同士なのにわざわざ書簡を送ってきているということは、
それは宣戦布告であり、挑発であり、舌戦への招待状だと受け取るからです。

ま、こんな理屈で相手の書簡を晒してると、
目を付けられて包囲網を敷かれてフルボッコされる、
村八分システムがありますから、
それを覚悟で盟主でもやってない限り、
他人の書簡なんて晒さないほうがいいでしょうね。

俺のしらないところでシコシコと俺への陰口を書いていたよなくんさんは、
どマイナーで、誰も見てない、身内向けのブログで、
どう読んでも俺と特定できるのに、空○だの伏字を使うのが大好きです。
こっちは名指しでいってるのに、いまだに某有名人みたいな言い回しを使います。

これはあくまで俺の経験則ですが、
相手の名前をきちんと呼べず、○とか使って伏字にする人は、
自分に自信がない人ですね。
名前を堂々と呼ばれることに嫌悪感を示す人です。晒しだとか騒ぐ人です。
自分が名前を呼ばれたくないから、他人の名前も呼べません。

名前を伏せるという行為は、擬似的に共感を得る行為でもあります。
「ほら、わかるだろ、あいつだよあいつ。名前○で伏せてるけどわかってくれるよな?」
っていうことなんですよ。
何故共感を得たいか?自分に自信がないからです。自分一人で相手に向かい合えないんですな。

と同時に、俺のことを認めたくないんですよ。
俺の言ってる事を認めたくない。でも心のどこか認めるところもある。
そういう後ろめたいところがあるから、相手の名前を呼び、いち個人として認める事さえ
できないんでしょうね。

そういう陰湿な感情が渦を巻き、沈殿し、沼のようなものを形成すると、
相手から名指しで呼ばれてもかたくなに相手の名前も呼べない、卑屈なものが誕生します。
大変気持ち悪いですね。

だから、名前を伏せるとかじゃなく、
大見得を切って相手の名前を呼ぶか、貝のように口を閉じるか。
どっちかにしましょう。伏字で鬱憤を晴らしているとゴラムみたいになりますよ。