過去渋家、最短の3rd渋家がスタート。代表はおじさんからメンバーの大輝へ。


2nd渋家から退去し、3rd渋家に入居するまで20日間ホームレスになったおじさん。
このときの渋家メンバーは8人。そのうちホームレスの道を選んだのは
おじさん、桂太、大輝の三人。
ほかのメンバーは渋家によく来ていたひとの家に居候したり実家に帰ったりしていた。

とりあえず渋谷でホームレスすることになったおじさん達。
ちょいちょいお茶をしながら渋家トリエンナーレ2010の打ち合わせをし
漫画喫茶に泊まる日々を繰り返す。12時間2000円で入れる漫画喫茶。


漫画喫茶でメンバーと会ったときの絶望が半端じゃなかった笑


20日ほど時間が経ち、ついに入居日。


3rd渋家は恵比寿。
フランス料理屋さんが1階にかまえている雑居ビル。
2Fと3Fと広い屋上。ついに入居。
渋家トリエンナーレ2010を決行する。
家具より先になぜか運び込まれる作品たち。
何もない家をギャラリー化していく。
やってくるお客さんたち。3日間でおよそ250人。
毎日、夜は飲み会(奢り)。もはややけくそ。
そして何より辛かったのは



布団も寝場所もない。


ちょっとした地獄です。
深夜になると唯一寝場所になりうる押入れへ。
数少ない押入れ(寝)を取り合うメンバー。
いやーやばかった。楽しかったけども。
ちなみにおじさんはこんなものを展示してました。




$としくにのぺろぺろぺーろ
~世界~


まあ小学生が書いたような落書きです。
それよりもこの渋家トリエンナーレ2010、個人的に事件がありました。



浮気バレ修羅場




まあおじさんがクズなだけなのですが
当時付き合っていた彼女は渋家トリエンナーレに渋家にいました。
そしておじさんは何故か寝てる間に浮気を決行。
バレます。ただバレます。



おじさんがトイレで浮気をしているとすりガラスの向こうに見える彼女。
こちらをふっと見、棒立ち。ドア越しに感じる殺気。
テンパるおじさん。なんとかこの場をやり過ごす方法を考えまくる。
おじさんはトイレ出て彼女の元へ。



おじさん「あれ、どうしたのー?」
彼女「今誰かといなかった??」
おじさん「一人だよー。」
彼女「ほんとに?」
おじさん「本当だよ」
彼女「ならよかった。。」


とおじさんが安心した瞬間トイレへ行く彼女。
そこには浮気相手。





あああ、終わった。。




こちらに凄い剣幕でくる彼女。
ビンタ、ビンタ。マジ切れ。
人ってあんな目を人に向けれるんだなと思いました。
ちなみにこの浮気バレはメンバーのやばおが撮っていた
渋家ドキュメントとして映像があります。見たい方はやばおへ。


そんなこんなで渋家トリエンナーレ2010も無事(?)に終了。
家具も搬入し、メンバーにはやっと日常が戻ってくる。







2010年12月。このころにすがい(現代表)とちゃんももが渋家にやってくる。
このころのすがいはバリバリの社会人。
デザイン系の事務所(ブラック)に入っていたらしい。
とりあえず知り合いのつてで渋家にやってきたそうだ。
最初の印象はなんか男っぽい女。とりあえずおじさんがペロペロできない人種。
実はすがい、2nd渋家の布かけ騒動をネットで見ていたらしい。
そしてさらに1st渋家がフリーペーパーに載ったこと(全裸)があって
その渋家のページの前のページに顔の絵を載せていたという。
すがいの1st渋家の印象は


「絶対こんなとこいかない」


だったそうな。いまや代表ですけども。
とりあえず仕事をやめるまでは渋家に来ては寝てるって印象でした。
あ、あとやばおと付き合いました。


初期のすがい
$としくにのぺろぺろぺーろ





ちゃんももはそのころよく出入りしていた女の子が連れてきた。


最初の印象は



バカギャル


とりあえずうるさい、テンション高い、かわいい。
そんな印象でした。
そしておじさん的には「ついにこういうタイプが渋家に来た!ヤバイ、嬉しい!」でした。
ついに渋家に「あーと」を全く知らない子がやってきた。果たしてこれに「あーと(笑)」を教えたらいったいどうなるんだろうと。
最初のほうはバイトに行く前にEDMを昼夜かまわず爆音で流すちょっとした気狂いでした。


そんな感じでメンバーも一気に10人以上に増え3rd渋家が本格的に走り出す。



その後は勢いで出した「via art」と言う現代美術の公募展に受かったり
未来へおじさんこと遠藤一郎さんのわくわくSHIBUYAに参加したり。



思い返してみると渋家が一般的に知られるようになったのはこの頃からだった気がします。



2011年2月頃。
桂太が思いつく。


「会社立ち上げよう!そして国から運転資金を借りてアートだ!」


プロジェクト「株式会社渋家」発動。
桂太はちょいちょい何を言っているかわかりません。
それがあーとであるかはともかく会社はいつの日か必要になるだろうと。
そんな感じでおじさん、大輝、桂太で会社を立ち上げることになりました。


大変でした、もう。



知らない言葉しかない。
そもそも社会人にもなったことない。
会社とはいったい何なのかという概念勉強。
初めての公共機関とのやりとり。


言葉を学び、書類作成をする大輝。

出来上がった書類を提出したりチェックをするおじさん。


「会社マジやばいっしょ!」と何もしない桂太



立ち上げ1週間前くらいの昼。
一番ピリピリしているとき、桂太が帰宅。
作業しているおじさん達を横目に
メンバーとチョコを食べながらきゃっきゃっと騒ぐ。
そして



桂太「いやー会社やりてえー。」



大輝キレる。
静かになる桂太。
軽く震えてました(笑)



そんなこんなで渋家株式会社設立。




2011年4月頃。
引っ越してまだ半年も経っていない中、次の家の話が出るようになる。
tomadが渋家によく来るようになり、デカイスピーカーとアンプを購入して
毎週ホームパーティーをやりまくっていてかなり人もくるようになっていた。
そして何より展示とかイベントのやりすぎで渋家はどんどん汚れていく。
そんな中、どんどん強くなる引越し願望。
気づけばインターネットで物件を見るようになっていった。



クラブイベント、展示諸々こなしつつ、季節は夏。また事件が。



2011年7月。
「ナンダコーレ」と言う企画で渋家はやばおを中心に映像制作をすることになった。
それは「公園に渋家メンバーが住んでいる」と言うていの映像作品。


「HOUSE IN WONDERLAND」


引越しの話も進めながら映像制作。
怒涛のスケジュール。とりあえず毎日何かやることがある。
自分のHPを削ってでも完成度上げる代表大輝。
実は会社立ち上げのあたりから不眠症になっていた。
夏のころにはだいぶやばいとこまできていたらしい。(後日談)


そして撮影当日。



公園の木のテントみたいなところに布をかけたりし
撮影の準備。ハードなスケジュールをぎりぎりこなしていく。
そして映像のメインシーン「公園に住んでいる」シーンを撮っているとき。
事件は起こる。


ドサ!




突如ぶっ倒れる代表大輝。




メンバー「!?」



大輝「うっううー!」




やばお「大輝!?大丈夫?大輝?痙攣!??」




大輝「うううううううう。」







癲癇(てんかん)しました。
癲癇とは「脳細胞のネットワークに起きる異常な神経活動(以下、てんかん放電)のためてんかん発作を来す疾患あるいは症状である。(wiki参照)」


そのまま意識がなくなり病院へ運ばれる代表大輝。
ざわざわするメンバー。
そして鬼のように心配した後、メンバーが行き着いた感情。



「やべえドラマ撮れた!」



まあおじさんを含む渋家メンバーは最終的にこの感情に至ります。
だからこそどんな事故、事件が起きても続いてくのかもしれません。
病院にカメラを持ち込み大輝を撮影。
そして「HOUSE IN WONDERLAND」が完成。









メンバーからは「ありがとう、でももう無理をするな」と命令。
ってか布使うとロクなことが起きていない気がする(笑)


そして撮影終了後、渋家に一通の手紙。
会社を立ち上げてから渋家は「次の家への運転資金」を作るために
公共機関ともろもろ手続きをしていました。
そしてついにその結果が出ます。
手紙には一言。





「ご希望には添えません。」







ぎゃーす。。。






まあそりゃそうです。
おじさんが仮に公共機関だったら子ご希望になんか添いません。
物件のめぼしもついていましたが一気に振り出しに。
もうすでに渋家の積載容量には限界が。もちろん苦情もです。
次の家(現渋家)に夢をのせまくっていたメンバーは絶望モードに。




引っ越してえ・・。でもお金がない・・・。




そのときのおじさんの気持ちがこちら







7月中旬の朝。屋上で会議をしているとそこにメンバーのますみが来る。
そして突然おじさんにお金を渡す。



ますみ「これくらいしかできない、ごめんなさい。」




ますみはその月から3ヶ月ほど外国へ行く予定だった。
そんなますみは渋家の決まってもいない引越しのためにお金を渡した。
おじさんの記憶ではこれがきっかけでした。




そう例の





「もういくしかなっしょおおおおお!」






ますみの激励から改めて立ち上がる渋家メンバー。
そして長いこと新宿で働いて渋家にほとんどいなかった1stからメンバーの
かじや(4代目代表)の帰還。あいも変わらずのフルテンションへ。





突撃。





日払いのアルバイト。それを毎日交通費と食費以外を全て渋家へ。
知り合いという知り合いに頼みこみお金を借りる。
親へも頼む。


そしてインターネットへの呼びかけ。
次の家にマルチネ参入決定。
tomadのツイッターの激励。




「ここまできたら渋家、ダサいことさせないからな」





たくさんの人々の協力の中、7月末、ついに引越し確定。
3rd渋家は過去最短の8ヶ月を経て、現渋家、4th渋家に引っ越した。
代表は大輝(てんかん)から4代目のかじやへ。
現渋家、4th渋家へ。


$としくにのぺろぺろぺーろ
3rd渋家







「渋家とおじさん4」に続く。
次回が「渋家とおじさん」最終回です。