ひさびさの名車列伝・・・今回は平成ABCトリオのトリを勤める
皆さまお待ちかね。平成ABCトリオの中で一番のバランスを誇った、スズキのカプチーノを紹介します。

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カプチーノを前から、後ろから・・・
91年に量産の始まったカプチーノも、98年の軽枠の変更まで生産され、実に
27,656台(内輸出分1,182台)が生産されました。



<最初は本気の軽スポーツ>
カプチーノは、1987年に開発コードネーム「ULW P-89」(ウルトラ・ライト・ウェイト・スポーツプロジェクト89)でプロジェクトがスタートしました。

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カプチーノの前身である「ULW P-89」の組立て前に並べられたパーツの一群
プロトタイプはカーボンコンポジットを用いたバックボーンフレームにボディ
パネルを取り付ける手法で、480キロの軽さをマークしました


これは当時協力関係にあったマツダとの関係から始まった軽自動車スポーツモデルプロジェクトで、AZ-1(当時はAZ-550スポーツ)でマツダはミッドシップ+ガルウイングを採用するとの情報が入り、それに負けないインパクトが求められたことから、クーペや幌タイプのオープンではなく、取り外しのできるハードトップを用いたコンパクトスポーツを目指すことで開発が進みました。

開発時の車重の目標値は450kg。そのため各パーツは軽量パーツをふんだんに使って開発がすすみました。

フロントエンジン・リアドライブ(FR)を採用した軽自動車の枠で、現実性を考慮した上でスポーツ性能を追求したモデルということで開発されたプロトタイプは、カーボンコンポジットのフレームを元に、アルトワークスの直列3気筒ツインカムターボエンジンを縦置きに搭載して後輪を駆動する、古典的なレイアウトに、縦置きエンジンにしたことによるスペースを活用して、サスペンションを4輪ダブル・ウィッシュボーン方式にするなど非常に凝った作りをしていました。

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エンジンルームにフロントミッドシップで搭載される660ccエンジン
元々はアルトワークス用の直列3気筒、ツインカムエンジンを縦置き
に改修して搭載、後輪を駆動する古典的なFRレイアウトだからこそ、
長く親しまれたともいえます。


プロトタイプは目標の450kgを達成できず480kgで登場したものの、その軽さゆえ、2リッタークラスのスポーツセダンにも引けをとらないパフォーマンスを誇り、プロトタイプの開発模様をCG(カーグラフィック)誌に掲載するなど、開発当初から鳴り物入りで前評判が高いモデルでした。

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コレがプロトタイプ
ご覧の通り、見た目の違いはシートの形状と色ぐらいで
デザインは既に完成の域に達していたといっても過言で
はありません。



<鶴の一声で生産決定>
プロトタイプは1989年の東京モーターショーに参考出品し、当時の鈴木修社長(後に会長)がテレビ番組に生出演したときに、自動車評論家の特大寺有恒氏の質問に、いきなり「発売する」と表明して開発チームのメンバーを脅かせた経緯は今でも語り草で、その翌日に所ジョージ氏の番組で取材を受けた開発メンバーが「昨日、ウチの社長が「発売する」って言ってましたから、発売するんじゃないですか?」と、スタッフも寝耳に水状態だったことがわかります。

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「(所)印のクルマはえらい」の1シーンから
スズキの開発プロジェクトスタッフも、コンセプトカーであり生産はしない
ものと考えられていたが、鈴木修社長(のち会長・社長)が鶴の一声で生産
にゴーサインをかけてしまい、スタッフも「社長が言うなら作るんじゃない
ですかね?」と困惑の末に所ジョージ氏(当時の所さん、若い!)にコメン
トしている所


とはいえ、さすがにプロトタイプ仕様のまま480kgの重量で出すにはとてつもないコストがかかってしまう為、プロトタイプから比べて市販版は大幅な仕様変更を行うこととなりました。

ボディはFRレイアウトとしたオープントップのスチールモノコック方式を採用し、フロント及びリヤにそれぞれサブフレームを設け、フロントボンネットなど一部パーツををアルミニウム製としたり、車体構造部材を薄板化すると共に、高張力鋼板を多用するなどを行い、プロトタイプから250kg増しの700kgの重量で世に送り出すことに成功しました・・・

が、そこまでするのにかなりの無理もあったことは確かで、初期モデルには車体の剛性不足から車体前後がばらばらに振動する「スカットルシェイク」を起こすなど、開発までにかなりの苦労があったという事は言うまでもありません。

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カプチーノの室内とシート
ステアリングはこの後のマイナーチェンジでエアバッグつきに切り替えられる
シートはフェイクレザー(ビニール製)によるもので、室内空間から取り付け
ができるスポーツシートが限られている為、純正シートに本皮を張り替えるな
どの業者も存在しました。


プロトタイプが発表してから2年後の91年、市販モデルがビートやAZ-1に先駆けて登場され、カプチーノのおかげで、ビートの運輸省形式認定がクリアされた(当時、運輸省はビートの形式認定を渋っていたが、先に販売が始まったカプチーノを指し「アレが通過できるのに何故ウチのビートができないんだ?」と詰め寄ったという)という経緯もあり、カプチーノの存在は軽スポーツの前例をクリアさせる上で重要な役割を果たしたことは言うまでもありません。

その認定を通過させた理由として、オープントップの屋根が幌ではなくハードトップだったからと見る人も少なくありません。ルーフは3ピ-ス構成で取り外せばトランクに収納できるため、クローズのほか、フルオープン、タルガトップ、Tバールーフの3種類の形態を選択できます。


<軽スポーツの中で最長の販売期間>
AZ-1、ビートともに発売を終了する中で、カプチーノだけは軽自動車のスズキとしての意地もあるのか、1995年にはマイナーチェンジを受け、550cc時代の設計でもあったF6Aエンジンから、オールアルミ化されエンジン単体で11キロ軽量化と10キロを越すトルクをマークする新設計K6Aターボエンジンと16ビット化された制御用コンピュータを搭載することで、ベースモデルの性能アップを果たすことに成功しました。

そのほか、デビュー当初は5速マニュアルトランスミッションのみの設定だったが、このマイナーチェンジにより3速オートマチックトランスミッションも選択出来るようになりました。

1998年10月、バブル崩壊に伴うスペシャルティカー市場の低迷と軽自動車の規格変更による車種再編に伴い、セルボモードとともに車種整理の対象となり、生産を終了しました。

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軽自動車ではあるものの元々のポテンシャルが高かったこともあり
カプチーノはカスタムカーのベースとして重宝されました。
写真は「違いの分かる男」でお馴染み、レーシングカーデザイナー
由良拓也氏が軽規格のレース「K-4GP」用に作り上げた空力ボディ
のスペシャル「子紫電あーる」


<海を渡ったリトルスポーツ>
カプチーノは初期モデルは英国でも発売され、英国ではオーナーズクラブ「SCORE」も立ち上がったほか、香港やドイツにもオーナーズクラブが存在する人気を持っています。しかし、ドイツの道路は右側走行なのにもかかわらず運転席配置は変更されていない英国仕様のままで発売されたという、特例措置がとられました。ちなみに英国輸出に向け、ウィンカーやリアフォグなど英国の法律に適した変更はされたものの140km/hリミッターはそのままで日本から輸出されたそうです。


と、長期にわたりましたが「平成ABCトリオ」を紹介することができましたが、今の日本に足りないものはこういった刺激的な山椒は小粒でピリリと辛い、カプチーノで言うならばホイップされたクリームに隠れたニガウマエスプレッソのような刺激的なクルマが世に送り出されたら、これからもっとステキになるのではないでしょうか?