私はなんで走るのか? | ギューンのブログ

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Boiler陸亀としての日常をメインに、日々の発見と激動をあなたに届けます。




「ボイラー陸亀の人」



から



一時期は「ホットドッグの人」



と言われ




最近では「マラソンの…」


と声をかけられるのが増えてきた






”マラソンの良さは走ってる人にしかわからない”


と走ってるみんなが思ってるんやろう






そんな人と話をしだしたら


「待ってました!」とゆうように話が止まらなくなる




どれくらい走ってるか?


ペースはどれくらいか?


なぜ辛いのに長時間走ろうとするのか?


走ってる間は何を考えているのか?


一番気持ちいい瞬間は?


最終的な目標は?




話は止まらない





最近はライブ会場やジャガーズでも

そんなランナーな方達と話をするのが非常に楽しいのである






完全に「アーティストとお客さん」や「店員とお客さん」の関係を超えてただのランナー同士の熱い話が繰り広げられるのだ






中にはギューンさんに触発されて…と言って走り出した方までいてて、それはもう嬉しかった





いつもツイッターにあげてるこれ












「よっしゃ今日も走ったぞ」と自分の頑張りをただアピールしたいとゆう自己顕示欲の裏側には



「走るって最高だ」の気持ちをみんなと分かち合いたいと思う微かな願望が隠されている




私がなんで走るのか?

まぁ一番は…



・体力増強
→ちょっとやそこらじゃ疲れない体をつくる為。
これはワンマンライブの為でもある。
とにかく強くなりたいのだ。
生きてる中で「あーしんどい…」って言いたくないのだ。なぜなら心と体は密に連動するからだ。
心がしんどい時、体を動かせば少なからず気分は晴れるし体がしんどいと心もしんどくなるだろう。
いつでも「昨日あんなにやったのに全くもって疲れていない、今日も元気だハイパー、おい」でいたいのだ。
「スタート!」と聞こえれば全力フルパワーダッシュで走り出せるくらいの状態で常に戦闘態勢でいたいのだ。
実際にマラソンを初めてからは何本も連なるライブ後や、10kmランの後なんかに全く疲労的なだるさは残らなくなった。


あと同じく大きい理由は


・精神安定
→「走っている」とゆうことに安心感を覚える。
これは共感しづらいかもしれないが、日々の怠惰を吹き飛ばす一番手っ取り早い方法が「走る」とゆうことなのだ。
とにかくポジティブになれる。
単純にひたすら前を向いて走るからだ。
ゴール地点、目標があるからだ。
そしてその中に必ず理想の自分のイメージが散らばっている。
走っている時に一度は必ず自然と頭に浮かぶのは、「こんな自分になりたい」とゆう理想像なのだ。
そしてそれに向かって走っているのだから自ずと足は進む。人に走らされてるんではない、自分の意志で走ってるのだから。
当然、ワクワクしてくる。
見てろよ、今に見てろ。そんな強気な気持ちにさえなる。
何も「こんな体になりたい」「力をつけてこんなことをできるようになりたい」の次元じゃなく
精神面の問題で、「成長している、鍛えられている」とゆう感覚が自分に自信をもたらし、生かされているのだ。



あとは

・時間を無駄にしない
どうゆうことかとゆうと…
走ることに慣れてくると、走ること自体が自然体になってくる。
「しんどい」「あと何キロだ、辛い」そんなのがまぁなくなってくる。
部屋でぼーっと考えごとをしているのとさほど変わらない。
ならば、家でやるべきことを走りながらできるわけだ。
例えばギターのアレンジ考えたり、決めるべきこと(イベントタイトル等)をひたすら考えたり。
最近は聞きたい曲をただ聴きながら楽しんで走る、とゆう感じではなく、自身の音楽活動の一部に、いや、生活の一部になっている。
ふと、パッと全く新しい思考が降りてきたりもする。それはすぐにメモる。脳内メモに。こればっかりは絶対忘れないようにと。
それが後々、ブログになったり、曲になったり、自分の変化につながったりするわけだ。
走りながらブログを書く感覚にも近い。
あと走りながら、よく脳内で自分はライブをしている。
過去の自分はそこに存在しない。
いつも最高にかっこいいライブをしている。
それが直接次のライブにも走った後の自分にも繋がっていく気がして「走る」とゆう単純な行為はなんて無限大で奥が深いんだとつくづく思う。



まぁ一応…

・ダイエット

これは目的とゆうよりかは願望に近い。
走った結果ついでに痩せれれば尚いいな、と思う程度。とゆうか、以前は走ってたら痩せれると思ってたのに、しばらく走っていても体重に一切変化がないのでだいぶん前から目的が諦めに変わったのだと思う。笑
結果、ちゃんと食べても太らない。
それが目的かもしれない。いや、きっとそうだな。
自分の欲求的習性を考えると「食べるのを我慢する」ことは絶対にできないことを知ってる。意志が弱いのか、欲が強いのか、食べたいとゆう欲に負ける。過去、普通にダイエットをしていた時、今まで100回以上は負けてきた。なんとか我慢をしたりもしたが、運動するようになってからは私はそれに逆おうとしなくなった。
何故なら、「甘いもの食べたいな」と本能が言った時きっと体は本当に糖質を求めている。
「フルーツを無性に食べたい」それはきっとビタミンを欲してる。
「肉を食べないと」それは筋肉がエネルギーを必要としている。
こんなに肉体をいじめたあとに強くそう思うのならば、それはただの欲求ではなくて生きるために必要だと体が信号を送ってるのだと思うのだ。
そこで食べるのを我慢したとしたら単純に栄養不足でせっかく増強しようとしてる筋肉が潰れてしまう。それはランナーとしては絶対にいけない。

ちゃんとしっかり食べよう。
とゆうのはしっかり栄養を摂ろう。
とゆうことだ。

ダイエットにおおいに興味はあるしもっと華奢になりたいとも思うが、本当の美容とは健康であると、胸を張って言う私は何年も前の自分から見て相当年をとったんやなと自負してるのは事実である。


やっぱり見た目が綺麗、よりも、健康で綺麗な人の方が私は魅力を感じるのも事実。

健康は見た目にも出るからちゃんと。


それにしてもそう言ってる私自身はと言うと、
最近頻繁に周りから

「最近老けたよな?」
「なんか顔疲れてない?」

とありえない頻度で言われ続けてるのは一体どうゆうことなのか?



  

ちっ

エッグばっか食うてるせいか(都合悪くなるとエッグに逃げる)
 







とまぁ、つらつらと書いてきたが


やはり総合的に言えることは

・心も体も健康になる

とゆうことだ。

不思議なことに、走った後のやる気は半端ない。
だけでなく、体にも変化が。
走ったあとに、体に悪そうなもの(コンビニの揚げ物や、酒、スナック菓子)を一切体が拒否するのだ。
その代わり、さっき言ったように「肉と野菜を食べたい。」等とゆう本能的欲求が体から発信される。
あとは、その通りに与えてあげるだけ。
その繰り返しで心も体も健康になれると私は信じている。

走るって最高


さて、
ヨガおわり、帰宅。
明日は走ります。
まもなく北海道。
冬が近い。
家にこもらず、寒さに負けない体を。

ほな!

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