ありがとう。
おひさしぶりです。長くなるかとおもいます。
ちょっとしんどい話になるかもしれないので、良かったら読んで下さい。
長い間放置状態。
かと言って他の媒体で呟いたりすることもなく、最近になってやっとTwitterを始めてみました。
正直、ここ数年お年頃もあるのかな?何かを自分から発信するという気力が低下していて
日常に真新しさとか、自分にそんなパワーがあるとかないとか考える感じじゃなかったんです。
分かりにくいかもですが、急に脂汗が止まらなくなってしまったり、体がざわざわしたり。
自分では、めちゃめちゃポジティブだと思っていたのでものすごく面喰いました。
20代後半で病気になった時に、とにかく早めに体のメンテナンスをせねばと思っていたので、
良い整体の先生に出会い、泣きながら体の流れを良くしてもらって今にいたります。
その時先生が『更年期じゃないよ』っていってくれたのを信じています。ほんとですよね(笑)
皆さんのブログにもこっそり見にいったりして、兄弟犬増えてるなぁ♡とか こどもさん大きくなったなぁとか勝手に喜んでいました。
さて、そういうわけで不義理も甚だしいのですが、うちの坊ちゃんです。
一昨年の秋(賢太郎9歳)から、少し食欲が落ちて病院でも診てもらったんですが、
元気はあったのでその時は毎年の時期的なやつかもしれないと思い、その後食欲も戻ったので
食べ辛い時は、ふやかしたり好きな果物やササミを少し混ぜてあげたりしながら普通に過ごしていたんです。
年明けて2月5日の10歳の誕生日もいつも通り元気いっぱい。
※誕生日だけの特別食 瞬殺です(笑)
その後しばらくして少しずつ食欲が無くなり、体重が落ちてしまったんです。
すぐいつもの動物病院へ。
毎日のようにみんなで診察に連れて行き、医師たちも一生懸命やってくださったんだけど
なかなか決定的な病名がみつからず。
元々アレルギーがあったので、何でもあげるわけにもいかないし、絶対に良くなると思っていたし。
いつもは診察台で待ってる時に、皆に笑われるくらい(待合室の人もニコニコしている(笑))
元気いっぱい吠えてた賢太郎が、さすがに元気が無くて医師や助手のお姉さんたちにも
すごく心配されてました。
その頃は毎日行って、何とか食欲を戻してあげようと皆で必死。
賢太郎もホントによく頑張ってました。
日曜日も午前中はきつい子は当番の医師がいるから連れてきて良いよっていわれてたので、
その日も私が一人で病院へ。
でも、賢ちゃんも高齢で食べれてなくてホントにきつかったんでしょうね。
自分で立ってられなくて脱力してて(´;ω;`)毛布にくるんだまま抱っこして診てもらって・。
家に帰ってしんどそうに横たわってる賢ちゃんにほんの少しだけど水分を取らせて。。。
それから少しして、脱力して歩けなかった賢ちゃんが起き上がってよろけながら、玄関から外に出ようとしたんです。
え?歩けるの?と思って、でもしんどいだろうから抱っこして外の空気を吸わせてあげようと思い、
『賢ちゃん大丈夫?抱っこするよ』って言いながら、抱き上げたら急に安心したみたいに脱力してしまったんです。
ここまで書いてる今も涙が出るけど、びっくりして家にいた母に声をかけ、
毎日忙しいのに一緒に病院とかやってくれた妹に電話をかけ(当番で仕事に行ってた)
そのひと月前から、東京に行っている娘にテレビ電話をかけ、そうこうしてたら妹もすぐ帰ってきて
皆で賢太郎に色んな声をかけながら、お別れとお礼を言い、安心して虹の橋を渡れるように送ったのです。
初めて我が家に来てくれたのは、生後1か月。その時も皆に抱かれて(まだ父も元気だった)
最後もまさか私の腕の中で旅立つとは思っていなかった。
一番ダメダメな私に心配かけないように、安心できるように。。。
賢太郎 10歳2か月でした。
文字にするまでに1年かかってしまいました。
最近、いろんな事情でTwitterを始めて、あ、伝えたい事がいっぱいあるじゃないかって思い出せたんです。
賢太郎のことを心配したり、想いを馳せたりしてくれていたかもしれない。
ちゃんと伝えようって。
遅くなってしまったけれど、賢太郎のおかげで出会えた皆さんに感謝です。
本当にありがとうございます。
読み返すと、アホなことしかかいてなさそうなブログですが(笑)
娘と賢太郎、そして家族の日記みたいに思えて愛おしいです。
その時を生きる が、若い頃からの信条ですが、拙くてもそれはあるのかな?
また、こっそりでも堂々と?(笑)でもお邪魔するかもしれません。
こんな時期だからこそ愛しい。
皆さんの幸せを祈っています。
父の誕生日
お久しぶりです
なんとお正月以来でビックリしました(;´∀`)
何度もブログを書こうと思いつつ、活字にするという気力がなかなか湧かずにご無沙汰になっておりました
そんな中、今日は父の74歳の誕生日
これを機会にまた少しずつ更新していこうと思っております
賢太郎の様子を気にかけてもらっていたんじゃないかと、
ここ1、2年のブログ停滞ぶりに我ながら心が痛かった日々です
実は、今年の2月に父が永眠いたしました
今から2年ほど前に、突然倒れてから闘病の日々でした
難しい病気でしたが、持ち前のど根性で最後まで頑張ってくれました
脳の病気で進行も早く、言語にまず影響が出たので、しゃべれる期間も短くて
出てくる言葉も脈絡がないことが多くて辛かっただろうと思います
そんな中でも、絶対に反応したのが「孫」の名前でした。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
寝たきりになって、最後は瞼でパチパチ返事してくれる感じでも、孫(私の娘でひとり孫)が来たら良く分かって反応が違いました
亡くなる頃は、ちょうど高校受験で家族みんな精神的にもきつかったですが、
何とか推薦で早めに合格してくれて、じいちゃんも安心しただろうと思います
優しくて酒もたばこもせずに家族を大事にする職人気質の父でした
私も妹も一度も叩かれたりしたことないです
背中で語ってくれたことがたくさんあります
少しでも追いかけて行けるように、しっかり前を向いて頑張ろうと思っています
じいちゃん、ありがとう