物事を理解する方法と親の役割-3 | 言葉の宝石

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ティーンエイジの娘と話す時間の無かったお父さんが娘と日常に話したかった事をブログります(2011年9月から3年間限定)

「自分でその対象物に直接、触れてみる事」

それが「物事を理解する方法」ですが、
直接触れてみても、分からない、という時はある。

それは、人によって感じるものが違う理由と同じで
自分自身でも、時期によって感じるものが違うからです。

今は分からないものでも、時が経つに連れて分かるようになるものもある。※例えば「親の気持ち」というのは子供には決して分からないものです。

「理解する」というのは、あくまでも個人的な経験であり、本人自身にしかできないことです。
人の話しを聞いて「何かを理解」したときでも、それは「人の話しを刷り込まれたのではなく、自分の中にあったものを発見した」ということなのです。

「理解」できなくても、「人の話し」を元に「センサーを磨く」「理解の助けを得る」事はできます。
それは「人の話しを聞く事」と「自分でその対象物に直接、触れてみる事」の両方を繰り返す事。

「人が良いと言うもの」と「自分が良いと思うもの、自分が好きなもの」は必ず別です。

名演奏・名盤集などを読んで、実際に聴いてみると、ほとんどが自分の趣味とは違います。
例えば「ビルボードチャート一位」だけの曲を集めたCDを聴いてみると良い。
ヒットチャートの一位になったのだから「とっても多くの人が気に入った、売れた」曲に違いありませんが、それを100曲聴いてみると、自分の趣味にあった曲などほとんど無い筈です。
同じように「クラシック名演奏100曲」のほとんどが好きと思えないのは自分の耳が悪いのではないということです。

そうして、「人の言う事と実際自分でその対象物に直接触れて感じる事とは違う」ことを認めるようになれます。

「正解は無い」のです。

それでは、最初の話題に戻って「誰の言う事をどれだけ信用したら良いのか?」ですが、
それを子供に説明するのが「親の役割」です。(私の信念です)
親ほど、子供の成長を願っているものはいない。
(そうでもない親もたくさんいますが)
(また、別のところにも書きましたが、親がいなくても親の役割をしてくれる人がいれば、親の存在は必要条件ではありません)

そういう役割を果たせない人が、たくさんいる。それは日本の経済成長の歴史にも理由があります。昔は大勢の家族や友人が身近に生活していて、両親の他にも子供の面倒をみる人がいました。
それが生活の為に都市部で夫婦だけで生活する様式が増加して、しかも親子が一緒に過ごす時間が少ない。私の知り合いで、会社から海外に赴任を言い渡されて家族を連れて行くお金は出ず、その上日本に一時帰国する事も禁じられていたため、赴任直前に生まれた息子と二度目に会った時は子供は既に四歳になっていたという人もいる。

そういう社会の仕組みの所為もあって、親子の関係が壊れている国になってしまった。
本来、親が(或は親代わりの人が)果たすべき役割を誰もしなくなった。

だから子供達は「誰に聞いたら良いのか分からない」状態を当たり前に経験するようになってしまった。
※学校の先生など論外です。アタマの良い子は多くの子が先生によるイジメを経験している。

今は「塾」というものが隆盛している。子供の社交場は「塾」。
子供と誰よりも親密で多くの時間を過ごすのは「塾の先生」かも知れない。

「塾」が受験のテクニックを教えるだけのものではなく、
「自分で物事を理解する方法」を教える場になれば
この国の子供達とその将来を変えて行く大きな力となるかも知れない。

友人が「塾」を開業したので、そんな事を考えてみました。

大人がもっと、自分の役割を自覚しないといけない、と思います。

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