教員日記&脊椎分離すべり症治療日誌

教員日記&脊椎分離すべり症治療日誌

音楽専科教員日記(採用試験や免許取得、日々の勤務など)&脊椎分離すべり症の治療日誌(通院・入院・手術)をつづっています★

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卒業式などもあり、かなり遅くなりましたが五日目と六日目をば。

二日いっぺんなのは、当時のアナログな日記を読み返しても内容があんまり変わんないからねえ。


いてーよ!

仰向けに寝てるから、排血のドレーンが当たってめちゃ痛い。
くしゃみができねえ。傷が痛すぎ。
相変わらず38度の熱…。

寝ながらだと食べる気もしないので、痛いながらも食べる時だけベッドを少し起こしてもらう形に。

うむ、やはり起きて食べるとうまい。

尿管は相変わらず入りっぱなし。
寝返りが打てないのでその度にナースコール。

いや~しんどい一日でした(T_T)
集中治療室から無事生還。
母がいて病室のメンバーが盛大に労ってくれた。
腕には痛み止めと栄養剤の点滴2本、胴体は尿の管と、背中の傷の横には排血の管(ドレーン)が入っていてどうにもこうにも痛いけどショック!ショック!ショック!楽しい病室に戻ると痛みが半減した気がした。


まじ昨夜は死ぬかと思ったわ。しかし腹が減ってしょうがない。
だから、ごはん食べたーいって言ったら、母と部屋民(同室の方々)や看護師さんがびっくり。みんなに

『吐き気ないの?気持ち悪くないの?』
と、言われた。

どうやら痛み止めの薬の副作用は吐き気・嘔吐で、十中八九の人が3日はリバースしまくり死んでるらしいが、当方、全くなし。腹が減る一方。

昼になり、術後初ごはんと初飲み物。

いろはすをゴクゴク飲む。
うまい。五臓六腑に染み渡る。しこたま酒を飲んで寝て起きた時みたいな水のおいしさよ。


そして、お昼は術前から楽しみにしていた鶏の唐揚げ定食(普通の米だよ)です。ひゃっはー!!(^o^)

ん?どうやら寝たまま食べるらしい。
枕元の横においてもらう。

食べづらーいショック!
とりあえず完食。

完食したら、部屋民と母と看護師さんの目が点になった。


その日は痛くて、寝返りも打てず45分ごとに看護師さんに体位を変えてもらいました。
熱は終始38.5度。熱がたかいのは術後だからみたいよ。


まあ、こういう患者もいるってことでニコニコ

手術前夜に友達と電話をしたことで心の平安が保てた。

手術当日。

手術は13時~14時のあいだ。前の人が朝からの大手術だから私の開始時間はその人次第らしい。


朝7時から飲まず食わずなので、6時59分にいろはす(500ミリ)を一気飲み!!
そしてお昼まで点滴を入れられた。
午前中は病室の仲間と爆笑したり友達に電話したりして過ごす。

13時には、トイレを済ませたのち、全裸になり、T字帯というふんどしみたいなものをつけ(ちょっと恥ずかしい)手術着を着させてもらって(着方がわからなかった)、ストレッチャーに乗せられた。

低血圧(平均82/47、この時はテンション下がりまくりで最初78/46)で5回くらい血圧を計り直されたのち、さあ!手術室へgo!

ストレッチャーはカーチェイスのごとく意外に早い。怖い。

部屋を出たら同室のみんなががんばれって見送ってくれた。手術室前で母親と別れ、いざ手術だ!

受付みたいなとこで担当看護師さんは待機し、彼女の姿も見えなくなり、不安だ。


………?手術室は広いな。

ドラマとは違い、いくつも手術室があった。
なんかドアとか雰囲気がスーパーの鮮魚や精肉部門のバックヤードに似ている。

ちなみに建物と内装が茶色い病院なのだが、手術室も茶色かった。

運ばれる中、局部麻酔の手術を見た。ひいっショック!ショック!ショック!目をそらす。

そしてアタシは一番奥の手術室に通された。

ドラマで見た手術室の照明。ギャーショック!ショック!ショック!ショック!


そこにいたのは美人な麻酔科医と優しそうな手術室の看護師さん。
挨拶されたら私は気が緩み、
『ここまで来てやっと怖くなっちゃった』って涙ながらに言った。

看護師さんが
『大丈夫、これ吸ってごらん』
って言うので麻酔薬を吸ったらむせた。

麻酔科の先生が『ちゃんと吸ってごらん』

気を失うつもりはないよーこわいよーと、心の中で抵抗したが

………………………。



あ…で?

目が覚めたら集中治療室。
名を呼ばれて目覚め…の前に、激痛で目が覚めた。
ていうか、腰らへんいってえー!!傷口かー!!目ん玉飛び出る!!

たぶん、痛いという単語を1000回叫んだ。

したらば主治医がきて、術後の運動能力を確認するために私の脚に力を加えたりした。
曲げるたびに傷口が激痛だ。
脚はバリバリ動くので問題なし!

しかし、母親には痛くて気が回らん、帰って!!という始末。

私は一晩、集中治療室で酸素マスク、エコノミークラス症候群防止のために脚にマッサージポンプ、指に酸素量を測るリング、心電図、点滴、血抜きの管、尿菅をつけてすごした。


時計はない部屋。
私の場合、時計があるとまだ新月時、まだ新月分しかたってない!!と、イライラするタチなのでなくてよかったですニコニコ(時計持ち込み可でしたが)


酸素マスクはうっとおしくて看護師さんがいない間はコッソリ外してましたガーン脚のポンプがウザ痛くて眠れず。

寝返りうてないから体感時間で30~40分くらいごとに看護師さんにナースコールして体位を変えてもらう。
変えた瞬間にまた変えてほしくなるこの痛さ。

まじ痛い。くそ痛い。
痛み止めなんか効かないしショック!ショック!ショック!ショック!

ボタンを押すと10分ごとに痛み止めが流れる(点滴)らしいが効きゃしない。バファリンじゃないのか!?コレ。
あまりに痛いから看護師さんに痛み止め効かないって言ったら、注射打ちますか?って聞かれたので怖くて我慢することにした。

注射ってモルヒネ?って思ったから(゜o゜;)

痛み止めは吐き気とか出るらしいんだけど全くなかったですニコニコ

んで、手術後は38.5度~39度の熱が出てました。
そして喉がかわく。非常にかわく…かわくが飲めないのよ。唾液は濃くなるし、口の中が気持ち悪いしでこれは一番キツかった。


しかも、その日は超荒い天候で、風がゴーゴー吹きまくりんぐ。雪やあられがふりまくりんぐ。雷も鳴りまくりんぐ。
なんか、窓の外スゲーよ、割れそうよ。恐ろしい音だし。なんでブラインドないんだ。この部屋。

おまけに認知症の方と二人で過ごすはめに!!


私が痛みで悶えてシカトしてるのに彼女は同じことを何度もでかい声で聞いてくるんだガーン

痛みでしゃべんのもしんどいから、うっせー!寝られねーよ!とも言えず。


彼女は、
同じことを繰り返す→うるさくなる→巡回中の看護師にいなされ、おとなしくなる→また同じことをいう→うるさくなる。の繰り返しと嵐のうるささで一睡もできなかった。
そうこうしてる間に朝。
主治医がどうだい?と、微笑んでくれたが、『痛い…』の一言しか出せず。

しばらくすると婆さんのファミリーがみえ、婆さんは一般病棟に移っていった。

てゆーかこの人いつ寝てたんだYO!?



私も母が来てから元の病室に。
病室のメンバーが盛大に労ってくれたが、もう手術はこりごりーショック!