道なき道を〜秋季エベレスト2011〜 | 栗城史多オフィシャルブログ Powered by Ameba

道なき道を〜秋季エベレスト2011〜

 道は長くても歩き続ければ必ずたどり着くことができる。「そこは道じゃないよ」と言われてもさらに突き進む。僕は誰かが辿った道が道ではなく、自分の道を歩みたい。道は開けるものではなく、歩き続けることで振り向いたら道になっている。道なき道を歩き続けていく。

 三度の目の秋季のエベレスト。日本に帰って来て、しばらくは寝ていても突然起きたり、まだ自分がベースキャンプにいるんじゃないかと錯覚をする。まだ頭の中に、あのヒマラヤの冷たい空気が残っていた。
 
 講演を行う日々、日本を周り、沖縄では久しぶりに青い海を見た。沢山の人達と出会うことによってようやく自分の気持ちが地上に降りてきたような気がする。
 
 でも気持ちが落ち着くことができたのは、ベースキャンプで亡くなった山岳カメラマンの木野さんのご家族に会いに行ったことだろう。
 
 帰国後、僕は休む暇もなく走り続けている。エベレストは終わっていない。今も登り続けている。そして、この海抜0mからヒマラヤに向かう見えない山登りは続いてる。
 
 標高6500m地点。真夜中のローツェイフェイス取り付きのテントの中、いつもとは違う緊張感が漂っていた。不安でなく、憧れの人に会いにいくような緊張感だった。頭の中では何度もシミュレーションを行う。LUMIX FT3(デジカメ)で前に撮影したルートの写真を一枚一枚何度も見て、無駄のない登攀を考える。
 
 ここから先7000mを越えれば、6000mの世界とは全く別の世界。全てがスローモーション。重力をこんなに感じる世界はないだろう。標高が高くなればなるほど、重力が重くのしかかる。ベーキャンプから使っていたザックがここから先、人を背負って登っているような感覚になる。

 食事らしい食事はとることはできなかった。特製のチョコレート羊羹を2本口に入れる。日本から持ってきた抹茶が心を落ち着かせてくれた。ローツェ・フェイスから落ちてくる小さな氷がテントに当たる。テントに穴が空いたとしても気にすることはないだろう。ここから先、ローツェ・フェイスから降り注ぐ岩や氷の落石が待っている。ヘルメットを持って行っても拳一個分の大きさなら当たれば終わりだ。むしろヘルメットの分の軽量化し、その分、早くこの氷壁を登りたい。
 
 深夜2時25分。テントを出て夜のローツェ・フェイスを眺める。ヒマラヤの秋季は顔に刺さるような寒気が襲う。自分の登るサウス・クロワールを眺める。黒い大きな岩少し右を狙う。
 
 黙っているとますます寒くなる。早速、壁に取り付き、ノーマルルートではなく、サウス・クロワールに向けて、進路を左へ左へと登っていく。僕はヘッドランプを消した。満月の月が山と僕を照らし続けてくれたからだ。10月12日の月は満月だった。
 
 満月は僕が進むべき方向を照らしてくれる。サウス・クロワールはただの雪壁ではない。真っ黒く輝くブルーアイスがあり、雪質も所々違う。ここは非常に複雑な場所なのだ。それを満月が照らし、進むべき場所を教えてくれる。何よりも満月の夜は暖かい。僕は月にも温度があることを知っている。
 
 昔登った、マナスル8163mでは最後のアタックは月が照らし続けてくれた。しかし、その月が沈んだ瞬間信じられないような寒気と睡魔が僕を襲った。

 そして、今は亜熱帯高気圧で天候が良い。満月は僕にとってはただの「月」ではなく、運をも照らす「ツキ」なのかもしれない。

写真1 真夜中のアタック。中央の光が僕のヘッドランプ
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 標高7000m地点を越えても僕の頭も身体も休むことなく登り続けた。右横を見るとローツェに伸びる通常ルートのセラック地帯が見える。

 本来ならあそこにテントを張る予定だった。昨年の僕は彼処にいた。そこから徐々に離れて今まで見たことのない世界に向かって行く。キャンプ3を7000m地点に張らないで標高差1500mのサウス・クロワールを登るのは自分の心が向かう答えだった。

 7000m以上での高所登山は体力だけではなく、戦略が重要。どこの標高にテントを張り、どれだけ休養をするか、その場所が高くなり、滞在時間が長くなればなるほど酸素ボンベのない身体は、低酸素の影響を身体がもろに受ける。
 
 だが、標高が低いとその分登る距離は長くなり、強靭な体力が要求される。何もよりも一気に上がれば高度障害も一気に出てくる。高所順応とかなりの標高差を登る経験が必要だ。
 
 ローツェ・フェイスの通常ルートから最後のアタックキャンプになるサウス・コル7900m地点に向かうルートより、今僕が登っているサウス・クロワールの方が距離的に短い、何よりも真っすぐにサウス・コルに向かえるのが美しかった。そして、この標高差を一気に登ってみかった。
 
 それはあのシシャパンマ南西壁の単独登攀の経験からだろう。2007年のチョ・オユー(8201m)から高所登山を始め、このシシャパンマ南西壁から僕の登山は、別の次元に入ろうとしていた。シシャパンマ南西壁は、頂上まで登ることはできなかったが、末端氷河から標高差2000m近くの氷壁を登りきり、稜線に出ることができた。
 
久しぶりに登山を楽しむことができた山だった。そこから僕はトレーングを続けていた。ヨガ的な要素を取り入れた筋トレとウェイトトレーニング、筋肉を増幅させることなく、そして、無駄な部分に着いている脂肪を取るための減量。

「冒険の共有」を実現させるためのスポンサー周りと講演活動の合間を続けていた。どんなに頑張っても資金難は続き、その中での減量は、まさに吹雪の雪山を登っている感覚だ。
 
 普段、マイナスな言葉はしない自分がいつの間にか言ってはいけない言葉を口にし、部屋の中で呆然とする日々もあった。それだけ、「地上の山」は大きかった。それでも朝、昼、夜のトレーングは欠かさず続けた。
 
それがシシャパンマ南西壁にチャレンジしても十分に通じる実力がついた。そして、今、秋季のエベレストに単独・無酸素で挑んでいる。
 10月3日、サンス・クロワールを登り、サンス・コル手前の7800m地点に僕は2日分の食料とガス、テント、マットをデポ(荷物を雪で埋める)していた。

 その時は、この標高差はさすがに楽ではなかったが、今は満月にも照らされ、自分の身体もエネルギーと情熱に満ちていた。満月は徐々に沈んでいき、太陽の光が遥か向こうにあるチョ・オユー(8201m)と黄金色に照らしていた。
 
 眼下にはクーンブ氷河が見える。クーンブ氷河が奥まで見えた。昨年見えなかった景色が広がっていた。太陽の光に僕はまだ当たってはいない。だが、あともう少しで気温が高くなる。気温が高くなれば、夜間行動の世界とは全く違い、血流が良くなる。

 ここから更にエンジンが掛かり始めるのだ。ようやく、休憩らしい休憩をするためにピッケルで雪壁を掘り出し、腰一つ入れる休憩所を作った。そこで座っていると「ヒュッ、ヒュッ」と小さな氷が頭の上を飛んで行った。「バーン!」と石が飛んできた。落石だ。身体を小さくして、ならべく、当たらないようにする。

 氷や小石のスピードは早く、弾丸がバンバン飛んでいるようだった。太陽がエベレストに当たり始めると気温が高くなり、それによって氷が割れ、落石を引き起こす。だから太陽が当たる直前は安全なところにいないといけない。
 だが、サウス・クロワールは逃げる場所はなかった。あまりにも無防備な場所。
前回は、ここで手の甲に小石があった。厚手のグローブをしていたから良かったが、素手だったら大きなケガになっていただろう。

 写真2 サウス・クロワールから眺めるクーンブ氷河とチョ・オユー(8201m)。落石が収まるとサンス・クロワールが見えてきた。そして、左をみるとエベレストの上部が見える。
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 昨年とは、違う。昨年よりも近く、そして大きく感じていた。喉がキリキリに乾いていた。登りに専念し過ぎたのか、水分補給がうまくできていなかった。やはり7500m以上の世界は、さらに身体を重力の負荷をかけてくる。咳が出て呼吸が息苦しかった。

 僕は子供の頃から肺が弱い。喘息持ちだったのだが、その喘息が再び再発するかのように咳こむ。だが、これは高所では必ずなる。咳こみながらもしっかりと呼吸をする。肺水腫の前兆でない限り、何も問題はない。
 
 それよりも僕は今、登っている。自分の夢、その夢を沢山の人達と共有し、夢ではなく現実を登っている。誹謗中傷も応援も、いいものも、悪いものも全て一緒に登っている。それが僕の山登りだ。

 デポ地点が見えてきた。前に刺した竹は2本少し傾いてるがきちんと刺さっているのが遠くからでも分かる。荷物は無事だ。雪も多くなく、昨年のラニーニャ現象による大雪が嘘のようだった。

 目の前に突然、イチゴのアメ玉が現れた。喉が渇いているのでアメをありがたく頂戴した。「なんてラッキーなんだ」と思っていたら。次は見覚えのある食料の袋がでてきた。
 
 その時、自分の荷物から出てきてものだと認識した。「もしからしたら、、、」
そう思いながら7800m地点のデポに到着し、早速デポを掘り返してみた。
雪の中に荷物を覆うインナーダウンが見えてきた。インナーダウンがあるということは荷物があるに違いないと思ってダウンを取った。

 だが、そこにはあるべきものがなくなっていた。そして決して無くなってはいけないものだった。荷物は上からではなく、下から引き抜かれる形で食料と燃料が入った袋が抜き取られその勢いでテントポールも落とされていたのだ。
 
 僕は唖然とそこにしばらく立っていた。キバシカラスだった。高所に生息するクチバシの黄色いキバシカラスの仕業だとすぐにわかった。僕は今までにこのカラスに2度やられたことがある。非常に頭が良く、雪を掘り出して遠征隊の食料を漁る。ある山の先輩はテントを破り、テント内に置いていた食料をこのキバシカラスにやられた。
 
 春は遠征隊が多いので分散するが、秋はすでに上部には僕しかいなかった。だからずっと狙われていたのだろう。人間がようやく辿りつくことができるこの標高でキバシカラスは自由に飛び回り、おいしいものを頂戴する。
 
 この地球に置いて、人間よりも優れた生き物が沢山いることを思い知らせた瞬間だった。食料と燃料が無くなっても下山して補給すればいい。テントポールもまだ予備がある。

 だが、本当の相手はキバシカラスではなく、「時間」だった。秋季の時間が経てば立つ程、気温が下がり、気圧が下がる。10月上旬の登頂予定が、地震でルートが無くなり、そして木野さんが倒れたこと。すでに登頂予定日から2週間が過ぎていた。10月上旬では感じられなかった冬の寒気が近づいてくるのを感じていた。
 
 エベレストの気圧が高くなれば体感する標高も高くなるそれが一番高いのが夏のモンスーンだ。春に登頂率が高いのは時間が経てばたつ程、気圧と気温がが高くなり、後半になればなるほど登頂率も高くなる。だが、秋は逆で時間が経てばたつほど寒くなり気圧が低くなる。ヒマラヤ山岳気象予報士の猪熊先生から「この亜熱帯性高気圧はもうない。次は冬型の低気圧がくる」
 
つまり、今日最終キャンプに上がり、明日登頂しなければ、もうチャンスはないとうことだ。「時間切れ」だった。無線でプモリ・ハイキャンプから中継の準備をしてくれている仲間にかける声が出なかった。「言葉がでないです。」その後、僕はしばらく座り込んだ。 
 
 チョ・オユーが低く見えた。エベレストは僕を見て笑ってるように感じた。僕が登っても登らなくてもこの山は変わらない。僕がこの山に魅せられ登っているだけなのだ。登れないと分かった瞬間、これほど辛い場所はないだろう。
 
 一気に身体の力が抜ける。エンジンは止まったのだ。その時、ふと生中継用の機材を気にかける。最後、ここから中継をやろう。中継の告知はしていない。誰も見ないかもしれない。だが、今まで支えてくれた仲間にここから見える景色を魅せて上げたかった。下から見上げるのではなく、彼らもこの景色が見たくてここに来ている。
 
 そう思い、送信機にスイッチを入れた。そして、無線で受信の準備をしてもらう。だが、その景色を見せることも共有することもできなかった。
 
 今、僕が担いでる機材は今年初めて使用した新機材だった。ベースキャンプで何度も中継テストを行ってきて、さらに機材を一度入れ替え、ベースキャンプを出発する直前にようやく日本から届いた機材だった。
 
 何が原因なのかわからない。僕は繋がらない機材を抱えて、孤独な世界で一人立っていた。でも、ここは孤独ではなく、孤高の世界なのだ。山の標高は変わらない、来年また自分が成長すればいいこと。そう思い聞かせ、エベレストを背に来た道を降りて行った。

 写真3 奥に最終キャンプ予定地のサウス・クロワールが見える。
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 写真4 デポキャンプに向かって行く栗城
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 キャンプ2に下山後の翌日、標高5800地点から最後の中継を行った。本当はやるだけの気力がなかった。でもこの「冒険の共有」を支えてくれる人達がいた。その人達のお陰で僕はここに存在する。そして、沢山の人にこの世界を伝えることができる。

 標高5800mから最後の中継。遠くには中継基地となるプモリが見える。迷路の登ってきた氷河地帯の奥に仲間がいる。天気は良く、ヒマラヤンブルーが見えていた。最高の登頂日だった。機材のスイッチを入れると自然と僕の心のスイッチも入った。

「明るく、元気に、楽しんで、全てに感謝」ダウラギリ(8167m)を登った時から自分に言い続けてきたこと。

 中継で全国の43カ所でパブリックビューングを行った。サッカーでもなく、野球でもない。ただの山登りを沢山人達が見守ってくれていた。その人達もまた「自分の中のエベレスト」を登ろうとしている。登り続けているのは僕だけではないのだ。

 秋季のエベレスト。そして、見えない地上の山。僕はこの山を登り続ける。
最後までこの道を進みたい。道なき道を。
 

2012年4月シシャンパ南西壁、9月秋季エベレストに必ず行きます。そして、今まで応援し叱咤激励をしてくれた皆さんに心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。これからも栗城史多は止まりません。


写真5 標高7800mから眺める、雪化粧したエベレスト。
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■事務局からのお知らせ

第四回沖縄国際映画祭で、昨年のエベレスト遠征ドキュメンタリー『地球の頂へ』特別編が上映されます。

3月26日(月) 19:00開始 <隊長による舞台挨拶あり>
場所:桜坂劇場ホールC

3月30日(金) 16:40開始 <舞台挨拶なし>
場所:沖縄コンベンションセンター・シアター3

皆様のご来場を心よりお待ちしております。

沖縄国際映画祭ホームページ:http://www.oimf.jp/jp/
桜坂劇場ホームページ:http://www.sakura-zaka.com/
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■チームクリキ隊員募集

「冒険の共有」を応援してくださる隊員(会員)を募集しております。
チームクリキの詳細:
http://www2.kurikiyama.jp/memb/teamkuriki.html