絆は埋もれない | 栗城史多オフィシャルブログ Powered by Ameba

絆は埋もれない

4月1日22時。
一台のハイエースに、大量の段ボールを詰め込む。
運送業者かと思うぐらいの段ボール。

中身は下着2100枚と、アンファーさんから提供してもらったシャンプー(スカルプD)200本。
こんなに沢山の下着を買うことは、一生で今回だけになるように祈りたい。

この大量の下着の行き先は、宮城県石巻市。
今回の東北太平洋沖地震で、大きな被害が出た場所。
地震発生からの数日間、直接被害を受けていなくても多くの人が連日報道されるテレビを見て悲しみ、
そして自分の無力さからくる罪悪感を感じていたことだろう。
そう思っている人も多いのではないだろうか。

震災発生の3月11日、僕はシシャパンマ8027m南西壁のスキー滑降に向けたトレーニングのため、アラスカのバルディーズ山脈に向かっていた。
夜空には巨大なオーロラが現れ、見たことのない巨大なカーテンが夜空を包んでいた。
写真を撮ってtwitterでつぶやいている時に、地震の情報が入ってきた。
twitterだけでは被害の状況が良くわからず、目的地の村に着いてからUstreamでNHKのニュースを見ると、そこには津波で多く家や車が流されている信じられない光景が何度も流れる。そして、原発・・・。

時差が12時間もある、アラスカと日本。
情報が欲しい。

そして、遠く離れたアラスカから自分は何ができるのかと考え、すぐにあのオーロラの写真を使って義援金サイトを紹介する、オーロラ義援金サイト制作に向けて動き出す。
トレーニングも完全に集中できぬまま帰国。

帰国後、夜も朝も震災のニュースを見る。
そして、動き出したかった。

なぜ自分がここまで気になっているのか。
それは小学校5年生の時に体験した、南西沖地震の経験があるからだろう。

忘れもしない夜10時17分。
下から聞いたことのない不気味で重い音が近づくと突然、家が激しく揺れ、皿が真横に飛んでいるのが見えた。小さな町はパニックになった。

夜は余震が続き、翌朝テレビに写っていたのは、近くにある奥尻島の町が津波で無くなっている映像だった。津波の高さは30mと言われおり、そこで初めて「津波」という言葉を知った。それから地震が起きる直前、動物感覚なのか目が覚めるようになった。

あの頃は何かしたくても何もできないでいる自分がいた。
でも、少し大人になった今の自分は違う。
何かができる自分がここにいる。
今何もしなければあの無力の頃と自分と変わらない。

被災地にボランティアで入っている知人に電話をかけて「今一番何が必要ですか?」と聞くと、「沢山の下着が欲しい」という回答が返ってきたので、すぐ下着を大量に入手できる方法を探った。下着を募集する方法も考えたが、時間がない。

スーパーのダイエーさんと交渉して、下着2100枚を原価近くまで下げてもらい購入した。2100枚は自分が買えるギリギリの金額だった。

そして用意ができると、栗城隊の廣瀬さん、テレビ東京の梅崎さん、FCCの山田さん、栗城事務所の大土君がすぐに集まってくれた。すぐにハイエースを借り、自分たちの燃料も食料も寝袋も全て準備し、夜の10時に石巻に向かって車を走り出した。

午前4時頃、石巻の看板が出てくると同時に、道路は濃い霧で包まれ始めた。
信号も街灯も消えており、人の気配も何もない。
多くの家は傾いているが、確かに街があった。
街はあまりにも静かで霧の中だった。

本当にここに津波が来ていたのかの思いながら車を進めると突然、道の真ん中に大きな漁船が姿を現し、急ブレーキをかける。
まだ港は3キロ程先にあるのに。
津波は街を一つ飲み込んでいた。

夜が明けるのを待ち、数々のNPOが集まっている専修大学キャンパスに向かった。
そこで災害支援を行っている「め組JAPAN」と合流。物資の支援や食料の支援などは、ここのNPOが各機関と情報を共有して配る仕組みになっていた。

知人のボランティア数人に会う。
長時間の支援で疲労しているはずだが、それを顔に出さない。

め組JAPAN事務局長の井上さんから石巻の被災状況を教えてもらい、湊小学校と住吉小学校の避難所に向かうことになった。湊小学校は一階も体育感も津波が入り、体育館の壁には津波の高さがわかる跡がはっきりと残っていた。

泥で何もできない状態だったのが、「め組JAPAN」やボランティアの方が、一日で体育館いっぱいの泥を掻き出したのだ。早速、各クラスに分かれて下着を配る。
「ジャージはないの?」「ももひきは?」
下着だけを持ってきたが、ニーズは幅広かった。

まだ電気も水道も完全なインフラは整っていないが、食料など今すぐ必要な物はある程度揃っていた。
でも、学校の裏の墓地には、お墓の上に車が何台も重なっていた。最近、墓地の奥からは遺体も見つかったそうだ。

湊小学校から住吉小学校に向かう時、石巻で最も被害が大きい門脇中学校近くを通る。
そこには、津波の後に火災も起こり、全て流され、そして全てが燃えた場所だった。
瓦礫と化した街で車を止めて外に出てみるが、目の前の光景に愕然とする。

瓦礫の中を進むと、アルバムが出てきた。
家族と旅行した写真や社員旅行の写真。
ここにごく普通に暮らす「家族」がいたのだ。
「思い出」は、お金で買えるものじゃない。

瓦礫の中にまだ他にもアルバムや写真があるのではと思い、焼けた焦げた家の跡や車の中から写真を数枚探し出す。気がつくと、見渡す限りが焼け焦げた瓦礫の山だった。

住吉小学校に向かう時に、twitterを見て駆けつけてくれた地元の人と出会った。
応援のために来ていたのに、逆に応援に駆けつけてくれた人達だった。

「仕事も全部失った」と悔しい顔を見せるのと同時に、後ろを見ていてはいけないと明るく振るまおうとする姿を見る。「石巻は魚がおいしいですよ」「エベレスト頑張ってください」と言われた。

今まで多くの人に勇気を伝えたいという思いで登ってきたが、初めて「日本のために登りたい。東北の人たちに元気を伝えたい」と思った。「必ずお魚食べに来ますよ」挨拶をして、車は再び湊小学校に向かった。

今回、どうしてもやりたかったことがある。
それが海水で重くなった泥を掻き出す作業だ。
松江でチャリティーイベントを行った時に、何度も聞いていたのがこの泥の撤去作業だった。
瓦礫と共に大量の泥が家や路地に入り込む。高齢者が多く、人手が足りないと聞いていた。

湊小学校の近くの路地の泥の作業をする。
泥は異臭がして重い。
周りには本当に人がいない。
圧倒的に人手が足りないことがわかる。

そこに一人の女性の方から声を掛けられた。
湊小学校で下着をもらった人だった。
女性はまだ家に住みたいので、一階の泥や瓦礫を撤去してほしいとのことだった。
家に向かうと一階部分は大量の泥と瓦礫で埋め尽くされていた。
家自体も傾いており、とても住める状況ではない。
でもその女性にとってはまだここが「家」なのだ。

早速、撤去作業をする。
泥の詰まったタンスや家具はさらに重い。
でも重いという言葉は決して口にはできなかった。

女性があるものを探しそうとしている。それは家族の位牌だった。
仏壇は家の奥にある。ガラスも散らばり、奥は真っ暗だった。
昼間の作業だからとヘッドランプを持ってこなかった。
こんなに外は明るいのに、家の中は真っ黒い泥しかなく、影が落ちていた。

家の奥に突っ込んでいく。
仏壇はある程度見えていたから、その近くにあると思っていた。
泥に覆われた4つの位牌が見つかったが、女性のお父さんの位牌がないという。
家族は全員揃った方がいいに決まっている。

だが瓦礫は想像以上に重なり合って二階近くまでの高さになり、奥までたどり着くのは至難の業だった。それでも瓦礫や泥を掻き出し、ようやくできた隙間の間を這って進む。

その時に、瓦礫の上から明かりを照らそうしていた山田さんが足を滑らせ、畳が僕の脇腹に刺さり、つぶされそうになる。上からの明かりは、複雑に折り重なった瓦礫できちんと光が当たらない。
何度も手を泥の中に突っ込み、何かを持って確認しては、捨てることを繰り返す。
そして、位牌らしきものを見つける。泥を払い名前を確認すると、女性のお父さんだった。
女性はそこで涙を流した。

たまっている言葉を瓦礫にぶつけるように、作業を続ける。
夕暮れになっても作業は続いた。みんな言葉を出さず、瓦礫や泥に向かう。

気が付くと、大土君が釘を踏みつける。
これ以上は危険と判断し、言葉をかけるが、皆一歩でも前に進もうとする。
声にならない叫びを感じていた。

作業を止め、避難所に慰霊を持っていく。避難所には、女性のお母さんがいた。
お母さんは「これで寝られます」と言って泣いていた。その周りには同じように全てを失った人が沢山いる。

手についた泥は冷たい。だが、水で洗おうとしなかった。冷たい泥の中でもあの家族の絆は決して埋もれることはない。僕はヒマラヤの雪よりも冷たく感じるこの泥を忘れることは一生ないだろう。

ヒマラヤの雪よりも冷たいこの泥を感じながら自分の山を登り、ここの人々が見えない大きな山を無事に乗り越えられるように心から祈った。


写真1
門脇中学校の近くの瓦礫の中から見つけ出した、家族のアルバム。この震災を乗り越えるのは家族の力。そして、人と人の絆。この震災で、東北も関東も日本の全てが繋がっていることに気付いた人は多いと思う。現地にボランティアに行けなくても、一人一人の力が「全て」と繋がっている。生きていることに感謝し、一生懸命に生き、今自分ができることをしよう。それが東北や日本、世界の力になるのだから。
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