環境ビジネスの虚と実 | (仮)アホを自覚し努力を続ける!

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環境ビジネスの虚と実 ~社会的コスト増になっても転ばぬ先の杖を目指すか~
(第一生命経済研究所 経済調査部)


 政府の経済成長戦略では、環境ビジネスがひとつの柱になりそうだ。しかし、温室効果ガスの削減は、それを急進的に目標設定して行えば、追加設備を余儀なくされる企業には収益悪化要因となり、家計はその負担増を転嫁される可能性がある。むしろ、将来のエネルギーコスト上昇に備えた「転ばぬ先の杖」という捉え方で省エネ技術の推進をすることが経済合理性に馴染みやすい。環境規制などによって生じる環境ビジネスは過大評価せず、未来志向で捉え直すのがよい。


決着していない経済論争

 環境に配慮した企業の投資は善である。これに異を唱える人は誰も居ないはずだ。しかし、善行である環境ビジネスについて、収益の上がる事業分野としてどこまで有望と評価してよいのかは別の話である。この点を混同してはいけない。

 2009年末に政府が示した「新成長戦略(基本方針)」では、環境ビジネスを軸に、日本が環境大国になるという方向性が語られていた。具体的には、2020年までの目標ということで「50兆円超の環境関連新規市場」、「140万人の環境分野の新規雇用」という数字が掲げられていた(図表1)。数字の根拠は、これから温室効果ガスを2020年までに1990年比▲25%削減するという鳩山首相の見通しに基づき、それを実行するための政策誘導がしかるべく行われるという前提条件があるようだ。国内の規制強化が、企業に対して環境投資の動機付けになって、巨大な環境ビジネスが成立するという見解である。

 正反対の立場として、厳しい温室効果ガス削減策を推進すると、かえって経済成長を阻害するという見方もある。鳩山首相が2009年10月に国連総会で演説し、2020年までに温室効果ガスを1990年度比で25%削減すると表明したときには、国内産業界からは温室効果ガスの削減を急進的に行うと、コスト増になるという警戒論が根強かった。削減目標をあまりに大きく採れば、製造業はその生産活動を抑制しなくてはならないし、環境配慮のための追加的投資をすれば単純明快に、企業収益は下押しされる。2009年12月にコペンハーゲンで開催されたCOP15(気候変動枠組条約第15回締約国会議)では、「発展の権利」を主張する中国の強硬な反対によって会議は混乱した。環境規制は成長とは相容れないという立場である。「環境はこれからの経済成長分野」という方針は、「環境規制は経済成長にマイナス」という反対意見を封じるための政治的なプロパガンダなのであろうか。この2つの異なる見解のどちらが正しいかという経済論争はまだ結論は出ていないように思える。

 経済学の考え方から言えば、温室効果ガス排出や大気汚染問題は、外部不経済である。企業活動の副産物として、公的には経済損失につながるような温室効果や公害が起こる。温室効果や公害のコストは、市場価格に織り込まれない外部性を持っているので、排出を放っておくと企業はそのコストを支払わないで活動することになる。外部性の効果が経済活動にマイナスなので、外部不経済と呼ばれる。だから、環境配慮のために企業が追加コストを支払わなくていけないというのは、見方を変えれば、今まで支払ってこなかった外部不経済のコストを改めて支払うという評価ができる。

 外部不経済を防止するためには、政府は「市場の失敗」である企業の汚染物質の排出量に対して、環境税をかけることが正当性を持つ。政府は、その税収を基にして、環境破壊の防止設備を普及させる補助金を支給して、外部不経済をなくすことが合理的な選択になる。社会全体で考えると、環境税などの負担増は、一方では企業の収益圧迫になるが、もう一方では社会的なコストの軽減につながる。

 ただし、課題になるのは、環境税を原資にして、環境技術を普及させるという政府の政策配慮が、効果的に技術発展に寄与するかどうかという不確実性が残ることである。例えば、政府が支給する補助金の分配が歪んでいたり、補助金に紐付けされた技術開発が成果を上げなかったとき、外部不経済を公的管理で内部化されることにはならない。市場の失敗を政府介入で防ごうとしても、そこには政府の失敗という不確実性が潜んでいることには一定の警戒感が必要である。

 また、汚染物質の排出量に関しては、環境税ではなく、法律などによる排出量の直接規制をする対応も考えられる。その場合、各企業は自前でコスト増を覚悟して、排出削減の追加設備を設置することになる。追加設備の費用は、企業の製品価格に転嫁されるので、結局、消費者が割高なコストで環境費用を負担しなくてはいけなくなる。これは、市場メカニズムを介さないために起こる失敗の原因である。

 家計や企業への単純な負担増は、プラスの経済効果を及ぼさない。仮に、経済効果がプラスになるのならば、家計や企業が負担増を負った分以上に、支払われた追加費用が環境ビジネスを成長させてネットアウトしてプラスになる場合である。このシナリオは、現実にはかなり厳しいと言わざるを得ない。あえて言えば、環境ビジネスに取り組むときに、未知なる生産性上昇を起こるかにかかっているということになろう。

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原油高騰への「転ばぬ先の杖」

 環境ビジネスが単純に社会的コスト増にならないという別のシナリオは成り立ちうる。それは、未知なる将来のコスト増に事前に備えておくというシナリオである。政府や企業が環境ビジネスに積極的に取り組むことで、エネルギーコストを大幅に節約する成果を生み出すという場合である。この理屈は、環境ビジネスという用語を、「省エネ技術の普及」と読み替えるとわかりやすい。

 例えば、将来、2008年夏までのように、原油価格が1バレル100ドル以上に急騰したとする。そのとき、企業は製品に価格転嫁を進め、消費者は輸入物価上昇に伴う損失を被る。もちろん、企業の中には価格転嫁ができずに収益悪化となり、雇用・賃金を削減する先も出てくるだろう。日本1国でみれば、原油高騰は中東などの産油国への所得移転になり、マイナス効果を及ぼす。この作用は、交易損失と言われる。計算上、資源高などを背景に国内から海外に流出した交易損失は2008年度に23.2兆円にも上った。

 こうしたコスト増に対応するには、日本経済がより省エネ型に体質転換をする必要がある。省エネ構造への転換は、原油価格の高騰に反応して即座に進んでいくものではなく、前もって先見的に備えようという活動があってこそ進捗するものである。企業や業界、あるいは政府が戦略的にエネルギー構造を転換していくような取り組みをしていかなければ、省エネ技術の普及は一朝一夕には進まない。

 日本のエネルギー効率をみると、1990年代以降は緩やかにしか低下してこなかった(図表2)。これは、原油価格が安値で推移していて、省エネのインセンティブが強まらなかったせいであろう。2008年にかけての原油高騰はそうした趨勢の中で起こったので、多くの企業にとっては負担増になった。一方、過去、1970年代以降をみると、第一次石油危機に反応して日本企業・政府は一致協力して省エネ技術の推進に力を尽くし、エネルギー効率は高まった。日本経済が第二次石油危機を欧米経済よりも軽微なショックで乗り切ったのは、そうした背景もあると考えられている。省エネ体質転換に成功した日本経済は、80年代央にかけて高成長を遂げていった。


 だから、今後を展望すると、今のうちから省エネ技術開発を推進し、数年先に再来する可能性のある資源価格の高騰に対して、先見的に生産性上昇を伴うような省エネ技術の普及を目指すことはそれなりに有益だと考えられる。

 一方で、こうした省エネ・代替エネルギー技術の普及には、資源価格の大きな乱高下がダメージを与えるかも知れないことには注意が必要である。かつて、2008年頃まで、米国でバイオエタノールを開発・普及させようという動きが活発であった。しかし、2008年後半に原油価格が急落すると、原油が割安になったせいで、新エネルギーの事業採算は一気に悪化して、多くの事業者が窮地に追い込まれた。脆弱な新エネルギー産業は、原油高騰を前提に採算が成り立っていたが、予期せぬ環境変化に見舞われることまでは見通せなかったのだろう。同様に、二酸化炭素排出権の取引を例にとっても、これまでのところ排出権価格は、原油市況と対応するような格好で大きく振れている(図表3)。環境ビジネスが相場変動によって悪影響を受けないように、わが国でも、化石燃料代替型の環境ビジネス・新エネルギー産業の育成を図るときには、相場変動に対応するような一定のセーフテトを整備しながら業界支援を行うことを考えておく必要がある。

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環境ビジネスに対する過大評価

 環境ビジネスの中身について考えてみたい。過去には環境ビジネスの市場規模について、2003年の環境省の試算、2006年の経済産業省(産業構造審議会環境部会「環境立国宣言」)、2009年3月の経済財政諮問会議(環境省・日本版グリーンニューディール)の試算がある(図表4、5)。それぞれの試算では、2003年環境省が2000年29.9兆円→2010年47.2兆円→2020年58.4兆円、2006年経済産業省が2001年48.1兆円→2010年67.3兆円、2009年経済財政諮問会議が2006年70兆円→2020年120兆円と目算を立てていた。ここで試算の数字が異なる点を問題視することは、定義やその時々の想定する計画の相違があるので、無意味だと考える。

 むしろ、それぞれに「環境ビジネス」と呼んでいる内容が果たして、新エネルギー・省エネルギーの市場規模を指しているかどうかが問題になるだろう。実際は、市場規模の大きな割合が廃棄物処理・リサイクルで占められていて、新エネルギー・省エネルギーのウエイトは限定されるとみられる。

 燃料電池・発電技術を含んだ市場規模について具体的な像を描くことや、電気自動車や二酸化炭素固定化技術といった将来のイノベーションがどう展開するかを見通すことは未だ不透明な部分があるのが実情だろう。温室効果ガス削減を積極的なビジネスチャンスにしていこうという青写真は、まだ実体のある骨太のビジネスとしてのビジョンが成り立っていないと言わざるを得ない。

 温室効果ガスの排出削減という達成すべき目標の側から振り返っても、電力業界の発電が占める排出量の割合は31%(2008年度)になっていた。筆者の見方では、発電部分で発生する二酸化炭素は原子力発電の割合を増やさなくては、二酸化炭素排出量の削減は大きく進捗しないと考えられる。原子力発電に関しては、その安全管理や情報公開をもっと徹底させるべきだという厳しい見方がある。こうした見方に対しては、「温室効果ガスの削減は賛成だが、原子力発電はダメ」という意見もある。そうした見解に立つと、太陽光発電などの自然エネルギーを中心に温室効果ガスを積極的に削減するという政策を志向することが多い。しかし、家計向けの太陽光パネルの普及に補助金を支給する制度をかなり大胆に進めたとしても、発電分野の二酸化炭素削減への貢献は小幅に止まるだろう。原子力発電を使わずに温室効果ガスを削減するという立場はややナイーブに聞こえる。

 温室効果ガスの削減を希求するときには、もっと漸進的に技術進歩の成果を獲得するべく、運輸分野におけるエコカーの普及、家庭の消費電力を「見える化」しながら省エネ家電への買い替え、オフィス内の節電活動の展開、など様々な手当てをしていかねばならないだろう。

 結局、環境ビジネスは、将来、数々のイノベーションを経て、ようやく現在のまだ小さなビジネスの芽が育っていくという状態である。先見的に環境ビジネスが「21世紀の成長産業」と大きなテーマ設定をするのは、やや過大評価である。環境ビジネスは、社会的コスト増になる可能性が高いことを承知しながら、慎重に進めた方がよい。そうした認識に立って、たとえ社会的コスト増になったとしても、(1)潜在的な将来のエネルギーのコスト上昇に事前に備える意味があること、(2)もしも消費者が環境配慮の企業の製品をより好んで購入し、環境配慮の企業が成長の好循環を遂げていくことになれば、環境分野の生産性上昇が得られること、を広く世の中に認識してもらうことも重要になる。筆者は、将来の環境ビジネスの規模は劇的に大きくならないにしても気長に推進していくべきだと考える。

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