名古屋市緑区のライフオーガナイザーmakiです。

なんだか長くなっています。
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ここにいたるきっかけ
親子関係をふりかえってみると

中学生の時に父が亡くなって
一番下の妹はまだ小学校2年生で
片親でもちゃんと育てなくてはと
力が入っていたのかな・・・

今となっては母の立場も気持ちも想像がつくけれど
当時の私には支配でしかなく・・・
頑固に自分は持っているけれど
それが実行が伴わず
絶対嫌だ! とか
そんなものばかり強くて

なのに
その自分の意思を通すことが
できていなかった・・・

そんな親子関係を引きずったまま
逃れたいのに逃れられない・・・
母のがん再発から、入院。
抗がん剤治療へと日々は流れて行きます。

入院中の辛い思い出は
なんといっても
もっと面倒見てあげて欲しい・・・
仕事も辞めて・・・
母のことだけをしてやって欲しいと
このままじゃ、絶対に後悔する・・・と
そう言われたこと。

それはつまり共倒れを意味していました。
母が亡くなるまでくらいは・・・
何とかなるでしょうが
その後は・・・
私たち親子(娘と私)はどうなってもいい・・・
そういうこと。
やっと生活して行けそうな仕事に
就くことができたというのに
1年もたたずに辞めるなんて考えたくない・・・
何よりも、それは
母が死んだら、私たち親子も生きる必要がないと
そう言われたと
その時はそう思いました。

「死ね」
と言われたも同然。
少なくとも私にとってはね・・・

振り返って考えてみると
それはそれで
その人の正義で
母もたぶん、私には見せない弱音なんかを
見せていたのかもしれないけれど・・・


無力感を感じた時に、誰かを責めることで
責任を果たしたような気持ちになる・・・
そんなことだったのかな・・・??

私は親不孝でひとでなしの娘という
烙印を押されたも同然だったけれど

同じ娘という立場でも
嫁に行った妹たちは責められず
私は不足ばかりを言い募られ
なのに母からは相談するように言われ

相談なんてできないよね・・・
だったら仕事辞めろ
母のことだけ考えろ
私や娘なんて生きてるだけでありがたいと思え

それは強烈なメッセージで
そこまで考えていなかったとは思うけれど
今も許すことはできないでいます。
自分を自分で殺してしまいそうだった時に
孤立無援で
誰も私の味方はいない・・・

そう感じていました。