第二次世界対戦時、ユダヤ人の強制収容所であった、ポーランドのアウシュビッツ
周囲は鉄条網ではりめぐらされており、
寒い寒い風が吹き荒れています。
鉄条網は逃亡を防ぐためだけでなく、
男女別の収容所の間にも設けられ、決して行き来できないようになっています。
収容所の入口には、働けば自由になるとの看板が掲げられていますが、そんなことは決してありませんでした。
ガス室の入口
中には遺体の焼却炉もあり、同胞が同胞の遺体を処理したそうです。
中には固く抱き合ったままの遺体もあり、
引き離すのに苦労する場面も。
処刑場跡
処刑場跡
第二アウシュビッツのビルケナウです。おびただしい数のユダヤ人が貨物列車で運ばれてきました。
アンネの日記の作者アンネもこちらに連れてこられました。
寒い寒いアウシュビッツで、わずかな食べ物と衣服を供給され、トイレは二回のみ。しかしながら驚くべき事は、わずかな食料でさえ、他人に分け与える人がいたことです。
少ない少ない配給のパンを食べないで、離れ離れになったお嬢さんのために、そのパンでアクセサリーを作ったお母さんもいました。
辛い強制労働の後でも、人々は夜寝る前に必ず祈りを捧げました。
そんな状況の人々の心の支えは、
ただひたすら、愛する人の事を想うことでした。
会えるわけでも、声を聞ける訳でもありません。ただ愛する事、愛する人の存在が人々の生を支えていました。
人々はここでも通常の生活ができると信じて、自分の愛用の食器類を持ち込みましたが、それらは決して使われることはありませんでした。
こちらの収容所は現在博物館として見学できるわけですが、ポーランドはもちろん、近隣各国の小中高生が見学にやってきますが、おしゃべりする人は誰1人いません。
皆真剣に、つらい現実と向き合っています。
日本の子供たちにも、ぜひぜひ来てもらいたいと切に思いました。
アウシュビッツは、辛い過去であると同時に平和への出発点でもあると思いたいです。