kuppoのブログ

kuppoのブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!

1998年5月にクルーグマンが JAPAN’S TRAPと題してHPに記事を書いていました。

全部はとてもじゃないですが約しきれないので(経済学の専門性が無いと無理です・・・)


日本の処方箋につき、書かれていた一部につき抜粋して訳をつけてみました。

英語の得意な方は下記URLからどうぞ!


http://web.mit.edu/krugman/www/japtrap.html


日本が陥った罠
ポール クルーグマン 
1998年5月


6.何をすべきか?


日本は、その生産能力の下に、ほぼ確実によく製造している経済である。- また、日本が直面している
喫急の問題は、需要であって供給ではない。
そして、流動性の罠の中にいる全ての外観を与えている。伝統的な金融政策は限界までプッシュされているように見えるが
経済はまだ停滞している。一体何が出来るだろうか?主に3つの答えがあるように思える。
構造改革、財政拡大、そして伝統的な金融政策だ。
それぞれを順番に考えてみよう。


構造改革:


誰もが日本に構造改革が必要だと言う事に異論は無いと思う。
銀行を整理し、サービス業の規制撤廃や企業の会計を改善する等等。
しかし、そのような方法がミクロ経済の効果を促進する一報で、経済回復を助けてくれるのだろうか?
図2に示される罠を心に留めておいてください:
政策がyfを増やすのに対しポイント3を右へ押し出す。どのようなケースであっても、もしポイント2が留まって
しまうのであれば、経済はよくならない。
日本の供給能力を上げるが、そこでの需要を放置してしまう方法は解決策を助ける事はないでしょう。
実際、もし効果を促進する結果として失業率が上ったとしたら、国家は実際悪化してしまう。

現在の状況において役立つ為には、構造改革が、人々により多くを費やすように、なんとかして誘導しなければなりません。
これを起こす為いくつかの方法を想像する事が出来ます。改革された金融セクターは、
現在信用圧迫されている人々と会社に(お金を)貸すことができるかもしれません。
規制緩和は新しい投資機会を引き起こすかもしれません。そして、投資需要を上げます。
そして、おそらく、改革は将来の収入の予想を上げるかもしれません。そして、現在より高い出費を促します。
構造改革に関する議論についての、しかし、著しいものは1つが問題を起こすとき、「どのように、需要を増やしますか?」
ということです-供給とは対照的に-答えは実は全く漠然としています。

私は少なくとも、日本で力説されている構造改革が少しも需要を増やすだろうとは到底思えないし、
急進的な改革が現在の罠(流動性の罠)から経済を揺さぶるのに十分であると信ずるに根拠を見出す事が出来ない。


積極的な財政政策:


勿論、古典的なケインズ派の視点では、それは、ある条件下では、通貨政策が無力なことを証明すると共に、そのようなケースは
(公共投資による)財政的な呼び水政策が唯一の答えである。
ここでのフレームワークは金融政策に対するその意味合いより、むしろ異なり、財政拡大が機能すると提案している。
明らかにそのモデルはリカードの中立性の対象になり、それ故減税は何の効果も得られない。
だが、初期においては、民間消費支出の減少によって部分的に相殺されてしまうが、政府の製品やサービスの調達が実際の需要と生産高を
増加する事が出来る。

しかし、この政策が上手く行く一方でこれが日本にとって正しい事なのだろうか?
日本は既に経済を刺激する目論みで、大規模な公共工事を実施して来たが、それは上手く行っていない。
この支出の多くは、悪名高く、非生産的だ:
何処にでも多かれすくなかれ橋をかけ、利用客の少ない空港などなど。。
経済は供給に制約があるためと言うよりはむしろ需要である為、無駄な支出がないよりはましだ。と言うのもまた真理だろう。
しかし、多分言い分としてむやみにそれ(財政拡大)を使いたがったとしても、政府の財政的制約がある。
いずれにしろ、人々が実際に望むものを生産するために経済的資源を使用することが不可能であるというのは、本当に本当なのだろうか?


金融政策:


選択肢として金融政策にもどってくる事に不思議に思うかもしれませんね。
我々は丁度それが結局は無効であった事を見てきた所ではなかったか?
しかし、私達が演じてきた実験を通して金融が特別な特性を持っている事を理解するのは大事な事なのだ。
通貨供給の中の一時的な変化にのみ関係があるのです。

この点は、大きくなる必要があります。伝統的なIS-LMのフレームワークは、静的なものである為、一時的な政策変化と恒久的な
政策変化の区別が出来ないからだ。
そして部分的に結果として、流動性の罠は永遠に続くものと示されているように思われる。
しかし、ここでのフレームワークは、そのままでは初歩的であるが、全く違った視点を提案している。
価格柔軟性モデルのバージョンにおいて、たとえ通貨や国債が1の期間に完全な代替である事が判明しているにもかかわらず
通貨はまだ中立的である。 - それは、全ての期間で等比例したマネーサプライの上昇が同じ割合で物価を上昇させると言う事である。
それでは、マネーサプライの永続的な上昇は期間1で物価のあらかじめ定められているケースにおいてどう作用するでしょうか?
たとえ、経済が、名目金利がゼロで立ち往生している場面である流動性の罠にはまっているとしても、通貨拡大は将来の価格レベルP*を上昇させ、
従って実質金利を下げる事になる。
一時的な金融拡大と対比しての永続性は、言い換えると、効果的です。何故ならそれは、インフレ期待を引き起こすからだ。


それでは、議論を地球に、特に日本へと戻そう。
勿論、日本の中央銀行(日本銀行)はマネタリーベースでの変化が永続的か一時的か公表していない。
しかし、民間の演者が、中央銀行(日本銀行)が長期目標として通貨の安定を約束していると信じるが故に
その行動を一時的なものとみていると主張してもよい。
そして、それが金融政策が効果無い理由なのだ!と主張してもよい。
日本は経済を正確人移動させる事が出来ないで来た。それは、市場が中央銀行(日本銀行)を注意深く見ていて、
物価水準が上昇し始めた場合、マネーサプライを抑制すると期待するからである。

では、金融政策を効果的にする方法は、中央銀行(日本銀行)が無責任であると信ずるに足る約束をする事です。-それは
経済が必要とする否定的な実質金利の増加をそれゆえ生じるのですが、インフレを起こす事を承諾しうる事例を説得する事
なのです。


下手くそな訳で何をいっているかさっぱり分かりませんが、何かの参考になれば・・・

でわでわ・・・