七日七夜【5】 | 風の庵

七日七夜【5】

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 むかし、誰かが言っていた
 人は愛されて初めて、愛することを知るのだと


***


 入れてやるまではいい。しかし、もてなしてなどやるものかと奥に引っ込んだ。暖簾の奥は、4メートル四方の小さな部屋。獣型だと狭苦しいため人型で寝る。だが寒い冬は獣型で我慢するが。寝所を、更に天井から垂らした蜻蛉の羽の様な薄い布で仕切ったのが寝床。
 毛皮を敷き詰めた床に座ると暖かい毛布を被ってころんと寝転んだ。だが目は開いている。暖簾の向こうに意識が向く。特に物音もしないが、時折ブツブツと小さな呟きが聞こえた。
 無意識にあの男のことを気にしていることに気付き、ハッとする。

(関係ないッ・・・)

 自らに言い聞かせる。ほっておけば諦めて帰るだろう。肌触りの良い起毛に頬を刷り寄せてよし、と呟いた時、ふっと空気の変化に気付いた。

「?」

 訝しく思い顔を上げた後、驚きに飛び起きるのは我ながら神風のごとき素早さだった。

「別にそのままでも良かったんだが」
「まだ何か用か」

 暖簾を捲って立っているジルベルトは肩を竦めた。瞬時に警戒を強めるデアノラに困ったように微笑んだ。

「話をしないか」
「話すことなどない」
「あるさ。例えばそなたの好きなもの嫌いなものや家族のことや、水狼たちのこと。そなたの子どものころの話やこれからの話。私自身にしても同じだ」
「貴様の話になど興味はない。妾のことを教えてやる気もない」

 そんなことに何の意味もない。どうせいずれは無関係になるのだから。

 素っ気ない返答にジルベルトは溜め息をつくと、片膝ついてしゃがんだ。

「先は気分を害すようなことを言って悪かった。私はそなたと知り合いたい。長としても話をしたい。四柱は一定の調和を保つため、それぞれ互いに接点を保たねばならない。時折生じる氏族間の衝突に対処するためだ」

 不機嫌な顔のデアノラの青い双眸がジルベルトを捉えた。ジルベルトは地べたに腰を下ろし、胡座をかいた。

「まず私から話そうか」

 誰も許可していないのに勝手に語り出す。

「私の両親はどちらも長ではない。前の長の子がいずれも力に足りなかったため私が選ばれた。長になったのは28の時だ。長についてからまだ24年だ。知っているかもしれないが、兄弟も妻もいない」
「子どもはいるのだろう、女遊びでできた」

 突然口を開いたデアノラに一瞬吃驚したようだがすぐに彼はぷっと噴き出した。

「誰から聞いたのだ」
「誰であろうと良い」
「期待を裏切って悪いが、100%の真実ではないな」

 デアノラは眉を顰めた。

「子どもがいる話か。それとも女遊びか」
「確かに子はいるが、養い子であって血の繋がりはない」
「養い子・・・?」
「そうだ。親を亡くしたクロウという名の斑子だ」
「斑、子だと?」

 斑子は斑娶りでしか生まれないはず。そして現存する斑子は火狼と地狼の長の間に生まれた男児が1人だけ。両親はどちらも生きているはずだ。それが、孤児の斑子だと?
 デアノラの疑問にはジルベルトが答えた。

「確かに斑子は斑娶りでしか生まれないはずだ、が、クロウは違う。今から30年ほど前にある地狼と風狼が恋に落ちてな・・・相性が悪い筈の者同士非常に珍しい組み合わせな訳だが、氏族を越えた交わりは斑娶り以外に許さることはない。それぞれ群れから追放された。
 生まれた子がクロウなのだが、運の悪いことに両親共に早死にした。子狼が1人で生きられる訳がないが、風も地もどちらも引き取ろうとしなかった。正当な斑子ではない上に互いに嫌う特性を兼ね備えた子なのだ。私が長となって6年目の冬、餌も取れず衰弱していたところを偶然見つけた。それで連れ帰り育てることにし今に至る。
 私が未だ妻を迎えないのはクロウがいるからだ。長の私の庇護下にあるため表立って迫害する者はいないが、クロウを快く思わない者は少なくない。クロウを受け入れることのできない女など妻にはできない」

 きっぱりと言い切ったジルベルトは真摯な眼をしていた。驚きに満たされて彼を見つめたデアノラは意外すぎる彼の一面に衝撃を受けていた。地の属性を風の属性は本能的に不快に感じる。彼とて例外では無かろうにそれでもみそっかす扱いの子を庇護するとは、何という男なのだろうか。

「デアノラはクロウをどう思う」

 話を振られ一瞬無視しようかという考えが過ったが、しかしそれ以上にその斑子に興味を引かれた。不思議に、自分と何か似ているように思った。

「親に罪はあろうとも子に罪はなかろう。狼王を軸に属性を越え、妖狼族皆が一致すべきと唱えるのであらば等しく扱われるべき。貴様の判断は正しかろうな」

 その答えにジルベルトは嬉しそうに金色の目を細めた。何故かそれを目にした途端胸がざわつき、デアノラは再び眉を顰めた。

「私は子どもが好きなんだ。純粋で可愛い。クロウは今26だ。デアノラと近い。都合が良ければ話しかけてやってくれないか。あれは私以外に依る辺がなく寂しい子なのだ」
「・・・・・考えておいてやる。それより、女遊びの方は真実なのだな」

 途端にジルベルトの目が泳いだ。デアノラは半眼になる。

「女遊びというのは・・・まぁ、何だ、男の甲斐性だ。私も若いし男だ。寄ってくるのを無下にはできない。だが――そなたを迎えた暁にはそなた以外には目を向けるつもりはない」

 不意に真面目な顔になると、真っ直ぐ見つめてきたジルベルトの予想外の切り返しに、心の準備ができていなかったデアノラはみるみるうちに顔を紅く染めた。ずり、と後ろに後退する。しかし石壁に背中が当たった。

「な、にをッ・・・戯言は」
「戯れではない。私は本気だ。斑娶りは確かに儀式だ。だが聖なる婚姻でもある。ただ一時ではなく生涯そなたと共にありたい。風狼の中に私は相応しい者を見出ださなかった。だがそなたなら――そなたの話を聞き、そなたなら共に歩めるやもしれないと思った。私を頭がおかしいと思うか?」

 頬が火のように熱くて、先に感じたとは正反対の感情故に胸が熱く、苦しかった。動悸が激しいせいで頭がのぼせ、彼の問いに答えを返すことができなかった。

 そんなことを―――生涯斑娶りの夫と共に歩むなど現実にあり得るとは思わなかった。
 ジルベルトは単なる儀式を越えようとしているのだ。

「そ・・・な、こと・・・」

 言い返そうと思った。そんな話には乗らないと。希望は儀式が済めば縁を切れることにあるのだと。勝手に言ってろと。
――だが、できなかった。
 風狼の長の、ジルベルトのあまりに真剣な眼差しに気圧されて。

「7日、いや後6日か。そなたに選んでもらいたい」

 入口に座っていたジルベルトは静かに立ち上がると、語りながらデアノラのすぐ前で膝をついた。幕越しに金色の瞳が見ている。

「・・・何をだ」

 そ、と幕を指で退けると、ジルベルトは手を伸ばしデアノラのそれを取った。あまりにも無駄のない動きにかえって反応が遅れた。彼はごく自然に、白魚のような手に――口付けた。

――相変わらず人間臭いことをする

「我が妻となるか、否かを」

 目が逸らせなかった。まるで術にでもかかったかのように彼を見つめていた。彼もデアノラを見つめていた。見つめたまま口を開く。

「決まりきったこと。妾が・・・選ぶことではない。それはもう決まったことだ」

 しかしジルベルトは穏やかで悠然とした笑みを浮かべた。また、胸が疼く。頭のどこかでそれを美しい、と感じた。

「いや、そなたが選ぶのだ。そなたが拒否すれば、私はそなたを娶らない」

 爆弾発言だ。一瞬で目が覚めたような感覚を覚えた。思わず手を振り払っていた。

「虚言を申すな!!そのようなこと、できるはずがない!!」

 しかしジルベルトは強い光を湛えたその眼でもって見据えてきた。

「できる、できないではない。やるかやらないかだ。私はやると言ったらやる」
「・・・・・・・・」

 あまりにも有り得なさすぎる荒唐無稽な話だと言うのに、何故――――――

「だから選べ。7日後を楽しみにしている」

 思わず立ち上がった。

「く、くだらぬ・・・!妾を謀って楽しいか!」
「デアノラ」

 せっかく覚悟を決めたのに

「ならば妾は今結論を出してやるわ!貴様など選ばぬ!さあ、やってみせよ!妖狼族全てを敵に回してまでやってみせよ!!」

 何故目が熱いのか

「デアノラ」

 期待など、もうしないと決めたのに

「口のうまいは風の特性、だが妾は騙されぬ!親切を装って妾をコケにしようしても無駄ぞ!妾は・・・ッ」

 何故心が震えているのか

 

 甘い言葉には耳を貸すな
――傷付いて終わりなのだから

 乱されたくない

「妾は貴様など嫌いだッ!」
「デアノラ!」

 叫んだと同時に腕を掴まれ、気が付いた時には力強い腕にきつく抱き締められていた。

「・・・ッ、はなッせ――!」
「断る」

 離れようと腕を突っ張ろうとしたが、びくともせず、むしろ頭を逞しい胸に押し付けられた。

「触、るなッ・・・無礼者!はなせ・・・」
「泣きたいならば、泣け。胸を貸してやる」
「誰が泣い―――」

 言いかけて初めて自分が泣いていることに気付いた。何故泣いているのかも分からない。
 頭上から落ち着いた低音が降ってきた。頭に置かれた手が宥めるようにゆっくり撫ぜる。

「そなたは独りではない。そなたは儀式に捧げられる贄でもない。そなたを縛るものがあれば私が解き放とう。そなたが斑娶りを厭うているのは知っている。そなたを傷付けてまで――憎まれてまで得ようとは思わない。私は抱かれたくない女を抱かない主義だ。そなたが私を否めば、そなたを儀式から解放しよう」
「嘘だ・・・」
「ならば、偽りかどうかその目で確かめろ」
「何が目的だ・・・」

 上からふっと笑い声が漏れ聞こえた。

「そなたの、心が」

 言葉のひとつひとつが琴線に触れる
 音を弾いてゆく

 訳が分からない。何もかも分からない。
 この男は何なのだ。
 下世話な話をしてみたり、こんなことを・・・

「貴様、何だ」
「私はジルベルトだ。何度も言っている」

 ふざけたやつだ。
 そう思うのに、ついさっきまでは怒りと憤りに満ちていたはずなのに。

 この腕の中が、とても心地よかった。



 恐らく無意識にであろうが、いつの間にか彼の服を掴んでいた手にジルベルトは目元を弛めた。

「私はそなたが気に入った。見事に庇護欲を掻き立ててくれる」

 デアノラを抱えたままゆっくり、柔らかい毛皮の上に膝をつく。

「・・・デアノラ?」

 反応がないことを訝しく思い、顔を覗き込むと何ということか、静かに寝息を立てていた。頬に残る涙の跡に憐れみを感じる。

 彼女の太陽になろう。再び想いを強める。

「おやすみ」

 青銀の艶やかな髪に、額に、そして桜色の唇に口付けを落とすと、そっと彼女を横たえた。掛布をかけて立とうとしたところでふと気付く。
 未だに彼の服をしっかり掴んでいた。

「・・・・・・・・全く、いちいちツボをついてくるな」

 ポツリと呟き苦笑する。デアノラは可愛いすぎる。素直ではないところも、それなのに純粋なところも、傷を抱えた寂しい心も、己以外に関してのみ発揮される賢さも。狼の皮を被った羊だ。

 目覚めた時隣にいたら、どんな顔をするだろうか。

 離そうと思えばできるはずだが、敢えてジルベルトは隣に寝転んだ。柔らかい髪を指で鋤く。頬を撫でるとくすぐったそうにする。

(寝てる分には、噛みつかれる心配もないな)

 少し幼く見える寝顔を堪能し、彼も目を閉じた。




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