チームメイトはライバル !!!
F1GP来シーズンでは、フェラーリのアロンソとマッサが早々にシートも決まり、
チームメイト同士の熾烈な争いも予想され、楽しみのひとつですネ!!
今シーズンでは、チャンピオン決定まではバリチェロにもチャンスはありましたが、
2位に残るどころか、結局チャンピオンシップ・ポイントは3位に脱落しました…
では、過去には、どのようなチームメイト同士の戦いがあったのか!?
そんな思いから、チームメイト同士でチャンピオンシップ・ランキング1位と2位を、
独占した年をピックアップし、どのようなシーズンだったかを探ってみてみました!
次の一覧表は、チャンピオンと同じチームのドライバーが、
ランキング2位にもなったのシーズンだけを、ピックアップしてみました☆
Year = チームメイトがチャンピオンシップ1~2位を独占したシーズン
Constructor = チャンピオンが所属したチーム(コンストラクター)
Champion = チャンピオン名、2nd = ランキング2位のドライバー名
Win = 優勝回数、Points = 獲得有効ポイント数、Difference of Points = ポイント差
バリチェロ選手の話しがでたので、最初にみてみれば、
なんかシューマッハ帝王は、楽なシーズンを過ごしてきたような感じがします…
プロストやマンセルの引退、セナの死亡によって、チャンピオン不在のシーズン…
その後は、ライバル不在の中で、ひとりトップチームに在籍し、
チームメイトは、ただただ、従順なセカンド・ドライバー以外の何者でもない!
そんななかでのシーズンを、気楽に過ごしたと言えば、言い過ぎでしょうか???
バリチェロは、2002年の4勝のうち、3勝はチャンピオン決定後のレースにですし、
2004年の2勝も、消化レースにおいてのプレゼントみたいなもの(笑)です…
2004年は、チャンピオン決定まで、決してシューマッハの前を走ることはなく、
シューマッハがリタイアしたときは3位の体たらくでした( ´艸`)
なお、1997年も結果としてチームメイトが1位(ジャック・ヴィルニューブ)、
2位(ハインツ・ハラルド・フレンツェン)を独占(ウィリアムズ・ルノー)していましたが、
2位のシューマッハがポイントを剥奪されたためで、上の一覧表からは除いてます。
しかし、この年もセカンド・ドライバーの行為が問題となったシーズンです!!
1992年のR.パトレーゼの1勝も、チャンピオン決定後に、
N.マンセルがリタイアしたレースでのものです…
このように、最近では熾烈なチームメイト同士の戦いはありませんが、
過去は、現在とは全く違っていたようです!!!
1950年は、全6戦ともアルファロメオが優勝を独占、
最終戦でファリーナが優勝し、ファンジオがリタイアし、チャンピオンが決定しました。
1952年のA.アスカリは圧巻です!第1戦のスイスGPはエントリーせず、
第2戦のインディ500では予選19位、決勝リタイアでしたが、残る6戦すべてに優勝し、
それも1回だけ予選2位でしたが、5戦はともにポール・トゥ・ウィンです☆
また、6戦すべてにおいて、ファステスト・ラップも記録するというオマケ付きです!!
1961年は、実質最終戦(最終戦がインディ500)において、P.ヒルが優勝、
W.トリップスがリタイアしたために、大逆転チャンピオンとなりました!
1967年は、オーナー兼務のJ.ブラバムと最終戦までチャンピオンを争い、
上位入賞回数(ポイント)の差で、D.ハルムがチャンピオンを獲得しました。
その後、10年以上も、チームメイトが上位を独占することはありませんでした。
言い換えれば、混戦接戦のワクワクするシーズンが続いてたんでしょうね☆
そして、「チームメイトがライバル」と言えば、誰でもが思い出すセナ・プロ時代です!
プロストは1984年に勝利数で上回った口惜しさを、1989年にお返ししてます(笑)!
しかし、80年代から90年初頭にかけてのマクラーレンとウィリアムズにおいては、
チーム・オーナーは、胃の痛くなる(反面うれしいけど)毎日だったでしょうね^^;
N.マンセルも、1987年には勝利数で上回りながら、
確実に2位を獲得したピケに追い込まれ、日本GP予選で怪我してしまいました…
1978年のR.ペテルソンは、12ポイント差でチームメイトを追い上げてましたが、
イタリアGP決勝スタート時の事故によって死亡しています…
F1の歴史を振り返ると、どうしても悲しい出来事とぶつかりますね…
さて、気持ちを取り直して、これからはどんなライバル争いがあるだろうか?
なぁ~んて、そんなことも思い巡らせながら、来シーズンを待ちましょうね('-^*)/